十如是論(一)
方便品に『諸法実相・所謂諸法・如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等』とあるが、これは十界論のごとく、生命の実相を説いたものであって、手短にいうならば、十界をまた細分して、その実相を説いたものである。たとえば、天の境涯と、ひと口にいってしまっても、大ざっぱな実相論であるから、これを、また深く観察するならば、十種の実相をみることができるというのである。
このように、地獄界にしても、人間界にしても、餓鬼界にしても、みな、その瞬間、瞬間に十種の生命の実相に区分してみることができる。この十種の生命観がすなわち十如是である。
いま、この十如是をわかりやすく概念づけるために、例をとって説明することにする。
この例は、生命活動の一瞬闇であるということを忘れてはならない。
〔例〕
十万円札の束を拾った瞬間。
如是相
地獄界 - 一人っ子が病気になって死にそうな状態になやんでいる父親が、この十万円束を拾っ瞬間は、札束を拾ったのか、クズ紙の束を拾ったのか、わからぬようなすがたで、また捨てようとするような態度であるかもしれぬ。
餓鬼界 - 金がほしくてたまらない餓鬼の境涯にいる人が、この十万円の札束を拾った瞬間は、うれしさのため、何もかも忘れて相好をくずして、夢中でよろこんでいるすがたになるであろう。
畜生界 - 目先がきかない近視眼的で、金のある人にはぺコぺコして、自分が金があれば、いばっているような畜生根性の人が、十万円の札束を拾った瞬間は、人に見つからないか、自分のものにしなくてはならないと、キョロキョロあたりを見回す態度をとるであろう。
修羅界 - 腹が立ってムシャクシャして、人を見たならば殺してしまいたいような激烈の境地の人が、この十万円の札束を拾ったとすると、こんなものはめんどうくさいというかっこうで、投げるような態度になりはしまいか。
人界 - 平静にして落ち着ききった人間の境地を、しみじみと感じている人が、この十万円束を拾ったとすれば、交番へ届けてあげようと、静かに交番のほうへ歩こうとする態度になるであろう。
天界 - 歓喜にふるえ、胸のなかいっぱいが朝日に輝くような境地の人が、この札束を拾ったならば、「いやぁ」といって高く空へかざすであろう。なぜこんなことをするかは、如是性のところで説明する。
声聞界・縁覚界 - 自分だけは幸福である。他人のことなどは少しも考えない境涯の人が、この十万円束を拾ったとするならば、かかり合いになってはならない、めんどうなことが起こってはならないと思う(如是性)。これを捨てて逃げようとするすがたをあらわすであろう。
菩薩界 - 衆生をあわれみ、人の苦悩を救いたい心でいっぱいの人が、この札束を拾った瞬間、落とした人のことを思って顔じゅうを非常に気の毒そうにすることであろう。
仏界 - 仏のおすがただけは申しのべがたし。
如是性
地獄界 - 地獄界の人が十万円束を拾ったときの心の状態は、自分のなやみでいっぱいで、外界の何ものをも受けいれることができないのである。
餓鬼界 - この人の心は、十万円の金に魅惑されて、よろこびに満ちているのである。十万円全部を自分のものにしようとするにもせよ、あるいはまた、警察に届けて謝礼金の一割をもらうにもせよ、金がほしいという心でいっぱいなのである。
畜生界 - この金を自分のものにして、あとでこまるとか、届けなくてはならないとか考えないのである。ただ十万円を人に取られたり、このすがたを人に見られたりしたくない心でいっぱいである。
修羅界 - 落とした人にたいしても腹を立て、拾った自分にたいしても腹を立てているような心の状態ではなかろうか。
人界 - 拾った物は交番へ届けるのが当然だという、一般通念にもとづいている心の状態であろう。
天界 - 心がよろこびにふるえているがゆえに、落としたやつも愉快なやつ、拾った自分もおもしろいと、おどりあがりたいような気持ちでいっぱいではなかろうか。
声聞界・縁覚界 - 自分がこの十万円にかかり合って迷惑が起こってはならない。この十万円の事件のなかには、はいりたくないという心ではなかろうか。
菩薩界-落とした人がかわいそうだ、早く届けてやりたいという心でいっぱいではなかろうか。
仏界 - 仏界ばかりは申しのべがたし。
如是体
地獄界 - 地獄界の人は無意識に十万円の束を持って、フラフラと病院のほうへでも歩いて行く体を作ってはいまいか。
餓鬼界 - 十万円の束をしっかりとにぎりしめて、落としてはならないという餓鬼のすがたを示すであろう。
畜生界 - 人にこの十万円を取られたり、見られたりしてはなるまいと思っているのであるから、あたりをキョロキョロと見回して、ふところの奥ふかく、しまおうとする態度をとるであろう。
修羅界 - 腹を立てて、その場へ投げ捨てるすがたが、形にあらわれるであろう。
人界 - 静かに交番へ歩いて行くすがたをとるであろう。
天界 - 札束を両手で天に高くさし上げる態度をとっていまいか。
声聞界・縁覚界 - そっとさわらぬように落ち着いて逃げだす、からだつきであろう。
菩薩界 - 落とした人の身を気づかっているのであるから、すぐにでもさがしに行こうとするすがたが、からだにあらわれているであろう。
仏界 - 仏の体の境涯は知るよしもない。
如是力
地獄界 - この人は十万円の金を持ったとき、なんらの力も、それによって、わいてはこまい。
餓鬼界 - 餓鬼の心を満足させるだけの力が、この十万円にあるのだから、心身ともに十万円長者としての力がわき出ているはずである。
畜生界 - 十万円の金は畜生の心を満足させて、野良犬が食ベ物を持って、かくれて食べるときのような力が、この人にわき出ているはずだ。
修羅界 - 十万円の札束によって、ますます怒りをあおるような力が与えられている。
人界 - この人の生命力は、十万円を当然交番へ届けるだけのものにすぎなかろう。
天界 - 十万円の札束を、これはおもしろいと天高くさし上げたこの人の力は、世のなかは、おもしろいという気持ちを高めさすだけの力となっている。
声聞界・縁覚界 - 消極的な迷惑を受けないという考えであるから、この十万円の束は、この人に、おそろしさを感じさせる力となるであろう。
菩薩界 - 落とした人に、一刻も早く届けてやりたい心でいっぱいであるから、その方法などについて勇気凛然たる力がわいているはずである。
仏界 - 語ることができない。
如是作
地獄界 - 十万円拾った瞬間のこの地獄界の人の働きは、如是力に通じて、なんの働きもないのではなかろうか。十万円持っているということも、持っていないということも、同じようなものでなかろうか。
餓鬼界 - この境涯の人の十万円持っている働きは、富豪と同じような働きをする瞬間であろうと思う。胸をはり、力に満ち、その働きたるや、十万円の威力を十分感じたものではなかろうか。
畜生界 - 十万円の金をわがものにしようとする意図の働きは、ネズミが穀物を取ろうとする働き、犬が食物を盗み取らんとする働きが、そこにあらわれるであろう。
修羅界 - 十万円拾ったこととなる、それ自身に腹を立てているのだから、その働きも、同様に投げ捨てんとする怒りの働きがあるのではあるまいか。
人界 - 平静な働きが、そこに自然に具現するであろう。
天界 - うれしくてたまらない人であるから、十万円を人にくれてしまうかもしれないし、一杯飲んでしまうかもしれないし、かんたんに通りすがりの人に、ボンと、落とした人に渡してくれと、渡すかもしれない。
声聞界・縁覚界 - 自分に迷惑がかからない一心であるから、そっとそこへおいておく働きが満ちるであろう。
菩薩界 - 大声をあげて、だれか落とした者はいないかと、さけぶ働きをするかもしれない。あるいは、また警察へ行く道を夢中になってさがす働きをするかもしれない。
仏界 - 仏界は申しのベがたし。
如是因
地獄界 - 十万円拾った地獄界の人は、あいかわらず、なやみに沈んでいるだけであるから、地獄の因を積んでいるにすぎない。これでは幸福への道は開けないのである。
餓鬼界 - 餓鬼はむさぼりの因によって餓鬼道におちたが、十万円拾っても、これをむさぼるのみで、また餓鬼の業因を積んでいる。
畜生界 - 弱きにいばり、強きにへつらう畜生根性で、十万円をこっそりわがものにしようとすることが畜生界の因となる。
修羅界 - 十万円を拾ったことに腹を立てているから、これも幸福の因とはならない。
人界 - 親を思い、子を思い、社会の人々のことを思う人界の人は、拾った十万円をすぐ交番へ届ければ人界の徳を積むことになる。
天界 - 世のなかをおもしろく愉快に暮らしている天界の人は、拾った十万円が、また天界の因となっている。
声聞界・縁覚界 - 学理にのみとらわれて、自分ひとりの生活を楽しむ人は、十万円を拾っても、かかわりが起きないようにする一心であるから、空理にふける因となるのみである。
菩薩界 - 拾った十万円でまた人を救い、菩薩行の因を積む。
仏界 - 申しのべがたい。
(昭和二十七年十二月二十五日)