宗教界の王者

 

 少しからだを悪くして、口は前より三人前ぐらい達者になったが、足の方が三分の一に減ってしまって、どうもこれは、どっちがいいものだか、あかばかりたまって、洗うのにほねがおれる。

 

 いや、岸総理もなかなかりっぱなお方でありまして、このあいだ、週刊朝日かなんかで見たというて、わしにある人が報告しましたが、賀屋さんにある人が、岸はだめだ、だから、もう少しりっぱな人物を立てなければといったら、今、日本の国で、岸をおいたらほかに人物がいるかと、賀屋さんが答えたそうだ。ほんとうに書いてあったかどうか、私が見たのではないけれども。

 

 私は心のなかから、あの人が幹事長のときから思っているのです。日本の政権を保って、社会党と共産党をおさえていける人は、岸先生しかいないということを、あの人が幹事長のときに深く心に思うて尊敬していたのです。

 

 今度も、『一日の落慶法要にはこれない』っていうから、そのあとはどうだといったら、十六日なら行こうというから、きょうを楽しみにしておったのですが。なにしろ商売が商売だから。月給は安いものだ。一国の総理だって、いくらも、もらわないのだ。しかし、こき使われることはずいぶんこき使われるらしい。きょうも昼までに東京にこなければだめだと、電話がかかってきたそうだ。岸さんは『きょうは、ほかに約束があるからだめだ』と断わったが、どうしてもきてもらわなければ話が終わらない、よって、無理に……。なにしろ自民党のあれだけの大世帯を背負って立っているのだもの。それはしかたがないでしょう。

 

 しかし、お嬢さんと坊ちゃんと奥さまと、その他自分がこの人と頼む人々を、さしむけて本山へよこされたその誠意というものは、私は心からうれしく思う。帰ったら改めてお礼も言おうと思うけれども、ここの電話では礼を言うわけにはいかないのです。電話が聞こえないうちに料金が高くて。礼を少し長く言うと七百円だ、八百円だととられてしまう。東京へ帰って電話すれば七円ですむのだから、東京へ行ってから、よくお礼を言うつもりです。私が礼を言ったら、会長は十四円ぐらいのところでやったなと思ってください。

 

 ここ四、五年は、いずれにしても岸総理に日本の国を、なんとかしてもらいましょう。それ以外に方法はない。その先はわからない。きょうきてくれればなにも文句はなかったのだ。ないっていったって、商売が商売だから、あれがほかの商売なら、豚汁をつくるのに、きょう豚を殺さなければ、一晩ぐらい生かしておいたって、あす殺せということができる。しかし、これは日本の政局上、もう一時間はずれても、大きな波動をもたらしますから、岸先生がどうしてもこられないって、そうおっしゃる以上には、これはやむをえないと心で思いました。

 

 しかし、奥さまもおいでくだすったし、坊ちゃまも、それから、御新戚の方もおいでくだすって、しかも前の建設大臣、いまではない、お古のほうだ、お古の建設大臣、岸四天王のひとりだとうわさがあるが中身はわからない。八天王のひとりかもしれない。そういうふうに、これまでの人をつけて、岸先生がこの御本山を思うてくれた真心には、戸田は感謝にたえない。

 

 このたびも、石橋湛山君が身延へお参りして、そうしてなんとかの衣をもちって、位を何級かもらって、中風になってしまって。それだけはさしたくないと、岸先生の名声のある限り、このお山で岸先生の武運長久を祈ろうと思った。

 

 これはお山で大問題でありました。法主さまに直接私が談判してお願したのです。ところが宗務院ではどうのこうの畳を二枚あげてやるとか、さげてやるとか、なにしろ、ここは徳川時代より古い、足利政府より古い、じつに古い寺ですから、しきたりがじつにやかましいのです。

 

 そこで、そんなことはどうでもいいから、畳が足りなければ私が買ってくるから、だからそれを飾って岸先生の武運長久を祈って、そしておからだも丈夫に、また日本の政治もよくなるように、岸先生が、両岸だ、無岸だ、岸がねえ……などといわれて、そんなこといわれたって、それは政治家はあたりまえのことで、なんでもないことだけれども、そのなかから岸先生のあのたくましい男の生命を、盛り上がってくるように、御本尊様へお願いしてください、とこうお願いしたのです。だいたい御了承願ったのですが、きょうそれができない、ただそれが残念なだけです。

 

 だが、きょうできなくってもいいではないか。正法に帰依する者が、いっぺんで帰依したおぼえはないのだから。君らまじめな顔をしてそこにおれば、正法の話を聞いてすぐにそうしたと思っているかもしらんけれども、さんざんいわれて、いやな思いをして、そして正法に帰依してよくなったのだから、岸さんにそれをやらさせたくなかっただけの僕の友情です。

 

 だから、きょうは、御家族に、満足していただくっても、この山中では、なにも満足してもらうものはないが、富士山を見てもらうのと、杉を見てもらうしかない。創価学会といえば、新興宗教というアダ名がある。新興宗教にこんな大きな杉の木がありますか。こんなものが、三年や五年でつくれる方法があったら、私は新興宗教のいちばんのトップをやります。これは六百何十年、七百年近い歴史をもった寺なのですから、とにかく岸先生も、きょうは残念に思っていらっしゃる。それは、よくわしは、岸総理の胸の中が浮かばれる。

 

 岸先生の敗軍や、勝ちいくさなどというのは、わしには問題にならない。岸先生が総理だから偉いと思ったおぼえはありません。岸先生が、これからどんな立ち場にお立ちになっても、わしは悪い人だとは思いません。それが友人の真心ではないでしょうか。君らも、そういう心で、岸先生と付き合ってください。私も付き合うつもりだ。そのうちに御授戒を受けます。

 

 今、その、御本尊様より、票のほうが御本尊様よりよく見える年なのです。一票二票とはいる、それがなんだかありがたく見える年なのです。それは見させておいてあげなさい。

 

 同じ岸系といっても、いろいろある。ここらでへたくそにたった代議士の応援などやらないように。私は宗教団体の王様なのであり、岸先生は政治団体の王様なのです。立ち場が違うだけです。ただ人間を理解し合えばいいのです。少し話が長すぎてしまった。まだ話してやりたいことはたくさんあるけれども、これくらいでよしておこう。

 

昭和33年3月16日

岸首相夫人一行を迎う

総本山富士大石寺

(戸田城聖先生昭和33年4月2日死亡される)