昭和三十三年
民衆救済説く大講堂
きょうは私とともに喜んでいただきたいと思うのです。
日蓮宗といえば、いままで身延が親玉のように日本じゅうが思い込んでいた。いまでもそう思っている者もある。いうまでもなく、身延というものはニセ物であり、あれを信じていって、三代、五代と繁盛した家がないくらいです。
坊主は……、いやここにも、その種類の方がおりますけれども、邪宗の坊主はほとんどインチキでありまして、金もうけがその主たるものであります。ところが連綿と七百年の歴史をもつ当山が、なにをやるにも身延に負けてばっかりいるのだ。宣伝負けです。これはデパートみたいなものだ。
ところが、最初に御書の発刊のときもまた総本山はやられるぞと思うとひじょうに残念だった。ただ、ひたぶるに半年のうちに身延を追い越して、あの有名な当山の御書ができあがったのです。
その後、なにもかも、向こうは私のほうを目のかたきにする。目のかたきにしてみたところが、のら犬のほえるみたいなもので、食いつくことはできないのです。力がない。めしをくわないのら犬が、いくら歯をむいたところで、食いつきようがないのです。いまは売り食いで、山の木も売り尽くして、これから坊主の頭の売り場所を捜しているようなウワサがある。これはウワサだとこういっているのです。あんな頭、だれも買わない。つぶれるに決まっている。
しかるに日本の……、さきほど猊下のおおせどおり、迹門仏法の興隆した時には比叡山の大講堂があった。これは民主主義です。その大講堂が焼けるのを知って、この本門の大講堂を建てたわけではないのです。
焼ける焼けないということはわかったものではないのですから。わからないで、この大講堂の建設にとりかかったら、比叡山の迹門の講堂が焼けてしまった。
比叡山のは迹門の講堂です。こちらは本門の大講堂です。本門の大講堂がこうして新しい芽として、かくもりっぱにできあがったということは、七十五万の世帯の人々、今、八十万を越える人々の真心が一致したればこそできたのであります。
これは、私一代のうちにできればありがたいと思っていたことですが、まだ死にそうもない時代にできましたので、これから法主様からお酒をくださるそうですから……、ちょっとからだを悪くしまして、このごろはからだのほうがいうことをきかないのだけれども、飲むほうは前と同じに飲めるから……きょうはじゅうぶんに飲んで、死んでみようかと思うのです。それで死ねなければ、よっぽど運が悪い。
大講堂の完成はことごとく皆さまのおかげだということを、戸田が心から感謝しておったということを地方へお帰りになったならば、地方の方々へよろしくお礼を言ってくださいまし。お願いします。
創価学会の精神は、たった百円の金も、一千万円の金も、心をもってはかるものでありまして『おれは百円ほどしか供養しないのに、戸田がそんなに喜んでくれたか、すまん』なんて言わせないでください。その百円札がありがたいのです。十円玉一つがありがたいのです。百万千万の金なんかほしければ、日本銀行に行けばたくさんある。行かないまでのことだ。行ったところで、くれないから行かんけれども、まことにこれはありがたいというて、私からお礼を申し上げておきます。
今後とも、心を合わせて、信心第一に、いま自界叛逆の難におちいっている日本の国を、御本尊の力によって救わなければならない。政党をごらんなさい。もし、このなかに、政党の御関係の方がありましたならば、あの野郎は、口から先に生まれてきたのだとおぼしめしていただきたい。
共産党にもせよ、社会党にもせよ、自民党にもせよ、仲間割ればっかりしているのです。これは、自界叛逆難というのです。会社は会社で、けんかばかりしている。家庭は家庭でまとまっていない。自界叛逆の姿が、日本の国をおおっている。このままいってどうなりましょう。これを救うのは、皆、御本尊様の力。この大講堂で教えを受ける、その教えの力のなかから、日本の国を救っていかなくてはならんのです。
世界に誇る日本民衆の力量を、御本尊の力によって示す時が、これからであります。よくよく心して、そうして信心第一に、りっぱな生活をするようになってくださいよ。これで私のあいさつを終わります。
昭和33年3月1日
本門大講堂落慶大法要
総本山富士大石寺大講堂