石橋湛山の退陣
大阪の参議院選挙に補選をやってきまして、それで自民党と社会党を向こうにまわして、じゅうぶんな戦いをしてきた。負けたけれども、惜しくない負け方なのです。あっぱれな負け方なのです。
相手は自民党であり、社会党です。こっちは第三勢力みたいなものです。
これがなんで信心に関係があるかというのです。
それはある。岸君が総裁選挙をやった時に、御本尊様へどうか頼むと言ったのです、彼は、まだ信仰はしていない、信仰していると思って間違えてはいけません。
しかし、頼みたいのはそれだといったのです。しかるに石橋君が七票で勝った。それから彼が、身延の権大僧正の衣をもらった時に、私は、これはあぶないと思った。
一月の二十八日に、本部幹部会で、はっきり言ったのです。そのまま彼が総理をつとめれば、日本の国に災いがある。彼が病気で倒れたのは、それから三日目です。そうして、岸君が総理の位置についた。
身延にほんとうの力があるならば、なんで御本尊に頼んで石橋君を助けてやらないのですか。
私は、はっきり申し上げる。もし彼が、ほんとうに身延の権大僧正なんかやめてしまって、そして日蓮正宗に帰依して謗法払いをしたら、私は助けてやるというのです。
身延側から総理を出しながら、それが病気になったからって、助けられないのが身延派なのです。まことにお気の毒さま。このあとは話せない。
それをやめたのだから、病気がなおったみたいなものです。だが、めでたい。しかし、初代会長の牧口先生は、病気がなおってめでたいというバカがあるかというのだ。病気がなおったのは、元になっただけだというのです。
それだから、ここ妙本寺の問題も、めでたいといっていいものやら、元になってけっこうだといっていいものやら、まことにどうも、ことばづかいが悪くて、こういうふうに、私は言いたいほうだいをいっている男ですから、気を悪くしないで、どうかお聞き願います。以上終わり。
昭和32年4月28日
帰一奉告法要
保田妙本寺