女子部員は全員幸福に

 

 今、王仏冥合論ということを大白蓮華に書いておりますが、そのなかで、きょう書いたのは、十一通御書という御書についてである。

 

 これは、日蓮大聖人様が、ほうぼうへけんかをしかけたようなものですが、なにもそんなことしなくたっていいと、私がその時いたら言うたかもしれない。しかしその時に、大聖人様がとくに弟子に出したお手紙には『逃げるなら逃げろ、ついてくるならついてこい』とある。そのなかに『生命もいらん、流罪、死罪驚くな』とあるのです。それを今、私はどう書こうかと思って困っている。流罪は、いいとしても、死罪は困る、死ぬのだから。

 

 流罪、死罪を覚悟のうえでやれという、そんなお師匠様が世の中にあるか。私は書きようがなかった。どう書いてあるかは、大白蓮華で読んでください。

 

 そこで、私にも家内がおりますが、その同級生が、今日では、不幸な者もいれば幸福な者もいる。ここに集まった一万二千の諸君らと会った以上は、私は、みんなしあわせにしてやりたいと思う。そして五年、十年たった後『先生、私はこんなにしあわせになりました』とそばへきてほしいのです。しかし、ほんとうになるかならないか、それは問題でしょう。

 

 しかし、多くの見本があります。ただ題目を唱え、御本尊様を信じて幸福に花やかに生きている見本であります。だから、あなた方も、御本尊様を信じてしあわせになっていきなさい。

 

 広宣流布は、君らには頼まない。広宣流布などと、生意気なことを言ってはいかん。君らは自分だけ大事にして、自分がしあわせになりなさい。広宣流布は、君らの分際ではありません。だが、やるなと言われればやりたいのは人間の根性だから、やれたらやってもいいのです。

 

昭和31年12月8日

女子青年部第四回総会

川崎市民会館