楽しい折伏

 

 地区部長諸君、あるいは地区担、あるいは班長、班担、組長といいますれば、私にとりまして、もっとも大事な人であります。ぜんぶがぜんぶというわけではありませんが、地区部長のなかでも非難をうける人もあり、ああいう班長ではだめだといわれる人もいる。まことに、胸がさされるような思いであります。

 どうか、そういう声のないようにしたいと思うのが私の願いでありまして、これは班長諸君や、また地区部長諸君に、ぜひともお願いしたいと思うております。

 

 また、組単位の座談会に切り替えましたら、聞く声は、組長がだめだというのです。さっぱり動いていないというのです。この声には、私も、冷や汗をかくような思いがするのです。地区部長と班長と、組長と三人しか集まらない座談会があったなんて。

 また、組座談会へ本部の幹部が行こうとすると、きょうは集まらないからこないでくれ。そういうような声を聞くたびに、これはいかんと思うけれども、どうにもならない。

 

 組長級の人をじょうぶんに教育してもらわなければ、ほんとうの広宣流布はできません。だが、また文句を言うほうもおかしいと思うのです。地区部長が悪くてもいいです。班長がだめだっていいです。班長を拝むのではないのだから。御本尊様を拝むのです。

 

『依法不依人』といいまして『法に依って人に依らざれ』これが、法の四依の第一です。

 四依の菩薩と申しまして、正法、像法、末法にかけて、皆信心する人のよりどころになる菩薩が現われることになっている。

 末法今日は、地涌の菩薩が四依の菩薩になるのでありますが、法の四依といいまして、今度、法に約しますと『法に依って人に依らざれ』もし人をたのんで信心するとすれば、われわれ凡夫は、たのみどころがないのです。

 

 いつも申し上げますように、会長だからと、なにも偉いものではないのです。ただ役目でやっているだけのことで、なにも会長が偉いからやれるというわけではないのです。

 御本尊様がお偉いから、御本尊様に力があるからやれるのです。

 そうなると、御本尊様によって、人によっては相ならんということになるのではないでしょうか。これを、よく教えておいていただきたいと思います。

 

 で、これはいいことを習ったと、私はいくら組長をいじめたって、班長をおこったって大丈夫だと、法によって人によらざれだから、おれになんかよるなと。これでは困る。

 

 やはり信心だけは、模範になるような信心をしてもらいたいと思います。世法のことはよろしゅうございます。

 

 ちょうど組座談会中心というと、今度は折伏しなくていいようなことになってしまうのです。数にとらわれるな。そうなってくると、今度は、折伏意欲というものがガタリと落ちてしまう。しかし、折伏ほど楽しいものはないのです。ですから、組長諸君にも、組員諸君にも、折伏をする楽しさというものを教えてもらいたい。

『やれ、おまえ、やらなければだめだ』これは命令です。いっしょにやろう。そうすると、あたかも班長諸君や地区部長諸君は、その組座談会へ行きさえすれば、もうそれであとは私の用事はないと考えている。そうではない。

 どうしたら、この組に折伏させられるか、どこか行くところはないかと、私がいっしょについて行こうと、いっしょについて行くのが組長の教育になる。

 

 妙な話ですけれども、班長が組座談会へ行って、なにか質問されたら怒って帰ってしまったなんていう班長がいるという。怒って帰らなくても、いいではないか。知らないものは知らないのだし、知らなければ知らないでいいのです。御本尊様はありがたいということだけわかっていれば、ほかのことは知らなくてもいいのです。

 

 そこのところをよく腹へ入れて、来月から自分の組が、仮に地区で百組ありましたならば、一組に一世帯の折伏をさせるような指導を、班長にしてもらいたい。班長が十組の組長をもっておったら、十世帯の折伏を、組一世帯ですから、できないわけはないのです。それぐらいの折伏をさせるような指導をしてもらいたい。一組一世帯。あとふた月ですから。それで、今、四十三万世帯、ふた月で七万世帯だから、どうしても組一世帯ぐらいやってもらいたいと思うが、どうだろう。

 

 組単位の折伏には力があるわけです。組単位で、組長が自ら率先して、ひとりの人を救っていくと、そういうまじめな信心する者を、地区部長が指導すれば、組長と月に一世帯の折伏のできないわけないですから、そのような指導法に切り替えて、ただ『組座談会か、では行ってみてやろう』なんていうのでは、『集まらないなあ』『いや、このごろ集まるようになりましたよ』『新しい人きていないではないか』『いえ、古い人が五、六人ふえましたよ』などと言っている。

 そういうのではなくて、新しい人を必ず連れてくるような指導をして、けっして頭ごなしでなく、また『決をとります』などとやらないでください。そして、まじめな信心に立つ人をひとりでもふたりでも救うという決心を、組長にさせていただきたいと思うのです。

 

昭和31年10月30日

本部幹部会

豊島公会堂