絶対的幸福を摑め

 

 創価学会の使命は、宗教革命にある。女の子まで、闘争、闘争と言っているので、気の小さい、おまわりさんは、肝をつぶして、棒をもって、たたきにくるかもしれない。ただ、ことばだけを聞いて、ワーワー言ってさわぐから、新聞で捏造している。新聞で捏造していることを、世間ではほんとうのことのように言っている。

 

 そこで、宗教革命ということについて、はっきりしておこうと思う。外国あたりで宗教革命というと、鉄砲や、槍を持ったりしてやった歴史がある。わが創価学会の宗教革命は、そんなものではない。おとなは紳士的で、また皆さまはレディー的で……そういうふうに、われわれのは、自分もしあわせになり、人もしあわせにしてやる。

 

 すなわち人間革命にある。宗教革命イコール人間革命、自分の闘争である。

 

 人間革命とはなんぞや、というと、首を取り替えることではない。しあわせな生活、幸福な生活にするということである。

 

 だが、宗教革命は、けんかではない。むしろ、自分の生活と戦うこと、自分がしあわせになり、人も幸福にしなければならない。これが、われわれの目的であります。

 

 幸福ということは、いつも申し上げますが、絶対的幸福と、それから相対的幸福と二つある。お金がほしい、できたら幸福か。また、家がほしい、家ができたら幸福か。洋服がほしい。洋服もりっぱなのを着たら、しあわせか。これが相対的幸福です。

 

 これがだめだというのではない。昔、よく、女学校の生徒が卒業するのをみまして、その人たちが年をとってどうなるのかと、よくよく考えたことがある。私は五十六になったので、家内も、そうとうのばあさんになった。

 

 また、いろいろ付き合っているばあさんがいる。その若い時の友だちが、どうなっているかと、まえまえから聞かされもし、見もしますが、ひじょうなへだたりをもっている人が多い。そうすると、ここに集まった六千名という人々が、きょうという日を基盤にして、これから五十あるいは四十五、六になった時に、どういう生活をするのかと思った時に、私は心配である。どうか、そろって、りっぱな奥さんになってもらいたい。これが相対的幸福論です。

 

 ひとりは長家のおかみさんになって着るものもない。ひとりは自動車を十五台ももって、走って回る。その中間にずらっと並ぶわけだが、ひとりでも落後をさせたくない。それには御本尊様をきちんと拝むこと、自分の信心のあり方と闘争すること、いままで信心といったが、絶対的の幸福とは、毎日毎日の生活が、瞬間瞬間の生活が、うれしくて、うれしくてたまらないということです。

 

 会社にいればいるで、楽しく暮らせる。勤めていれば勤めていること、それが楽しく、働けば働いているのが楽しい。勉強しているのが楽しい。だれびとでも壊すことができない絶対的幸福感、これは御本尊様をしっかり拝まなくては出てこない。これができれば、それでよい。それまで信心を押し通していただきたい。

 

 そして、相対的にも、りっぱな生活をするようになってもらいたい。皆さんが五十、六十になった時に、若い人のように、いつも、ニコニコして毎日を楽しむ、そういうおばあさんになってもらいたい。

 そうした時に、この六千人の人が、ぜんぶ絶対的幸福感に立ち、だれびとにも壊すことのできない、絶対的な幸福感に立った時に、皆さんが、五万、六万の人を救うことになる。

 

 このような幸福をつくってもらいたい。絶対的な幸福をつかむようになってもらいたい。これだけのことを申し上げて、総会の訓示にかえる。

 

昭和30年12月11日

女子部第三回総会

中央大学講堂