宿命転換の大仏法

 

 本日のこの燃え上がる結集また支部の幹部諸君の、じつに打ち解けた団結、これを私はひじょうにうれしいと思います。

 人生は、ことごとく宿命である。これをまず前提として、われわれの人生を考えなければいけない。

 

 しからば、この宿命のよってくるところは、どこであるか。これは、一応は釈迦の仏法へいかなければならない。これを究明したのは東洋の仏法哲学であります。これは、前世というものがあり、肯定しなければならないものです。われわれは、この世きりであるというならば、なにも宗教はいらないのです。

 

 ゆえに、じっさいは次の世に、またわれわれは生まれてこなければならない。これが原則なのです。それが本質なのです。

 

 さて、その生まれかたについて、仏法哲学では、どう規定しているかというと、前の世で泥棒したものは、この世で貧乏に生まれる。また前の世で人を多く助けてきた人は、金持ちに生まれる。そういう考えかたがほんとうなのです。そうなってくると、このなかに前の世の泥棒がずいぶんいるように思われます。

 

 しからば、その運命を転換する方法はないのかというと、これを打解する方法が日蓮大聖人様のつくった仏法なのです。釈迦の仏法でも運命は転換しないこともないが、今は、そんな方法をやっていられない。

 そこで、大聖人様は、われわれのために、釈迦ではとうていおよばない大御本尊様をおつくりあそばしてくれたのです。これを信ずれば、仏と同じ暮らしのできるようになれるというお約束です。

 

 いかなる仏典にも、貧乏人や肺病の仏さまなどは聞いたことがない。ことごとく円満にして、喜びにあふれている力を仏といいます。そのお約束とは御本尊様は受持すればよいということであり、受持とは御本尊様を信じて拝むことです。

 

 この御本尊様を受持しますと、仮に、前の世では金持ちにならないようなことをやってきたとしても、大御本尊様の功徳によって、われわれのからだのなかに金持ちになる生命がちゃんと湧いてしまっている。

 

 これは大事なことなのです。たとえば、病気がなおるようにと御本尊様にお願いすれば、じょうぶになるという生命が、このからだのなかにきちんとできちゃっている。だから、じょうぶになるのです。

 

 だが、このことは、すぐ現われない場合があります。

 なぜ、すぐ出ないかというと、きたないホースがあって、そのホースの中に泥があるとか、馬のふんとか、あるいは、くもの巣がいっぱい詰まっているのです。それを水道へくっつけて水道をひねると、水はきれいなのだが、出てくるものは、きたないものばかりです。だからといって、やめてしまえというわけにはいかない。中のものが出てしまえば、きれいな水が出てくるのです。

 

 あなた方の生命も、そうとう長い、いろいろなものが詰まった生命なのだから、きたないものが出てくるのです。ホースのきれいな人は、御本尊様を拝むとすぐ功徳がでる。いずれ、必ず功徳の清水が生命にどんどん流れ込んでくるから、怠らず信心して功徳を受けてください。

 

 これは、この世だけではない。この御本尊様を拝んだ功徳は来世まで持ち越す。また生れてくる時に、四畳半の押し入れの中なんかには生まれない。家のおもてには、自家用の自動車が三台もあって、金庫の中には、お金がうんと詰まっている。この世だけの楽しみではない、来世へかけての楽しみが、この信仰なのですから、このことばを信じて、一生、信仰をやりとおしなさい。

 

昭和30年10月9日

仙台支部第七回総会

仙台市レジャーセンター

 

 

早く全国に寺院を

 

 皆さん、お寺ができて、まことによろこばしいことです。

 

 私の念願の一端が、今、ここにできました。それは大宮ー高崎ー軽井沢ー新潟の一直線、そのうち、高崎と軽

井沢には寺院がある。新潟は、きのう、その敷地が買えました。すぐにできます。また、富山にはわれわれ同志

が少ないので、早く建てたい。金沢にはすでに寺は建立してある。東京から南に出て、浜松を買い、これは改造

だけですみ、名古屋には建立されてある。

 

 そして、あと広島に寺院を建立し、東海道線一本に直通することができるようにしたい。そして、全国に早く

寺院を造り、広宣流布しようではないか。

 

昭和30年10月18日

入仏落慶式あいさつ

大宮正因寺