本尊雑乱の邪宗

 

 われわれの生活をみるときに、あらゆる生活が科学によってなされている。また教育も、小学校より中学、高等学校、大学までの教育課程があるゆえに、われわれの生活は、科学万能ということになっている。

 しかし、事実はどうか。私は科学も医学も否定するものではない。また、おおいに肯定するものでもない

 

 われわれの人生の生活のうえに重大な影響を与えるものがある。それを宗教という。

 

 科学と同様あるいはそれ以上の幸福を与えている。私がよく汽車に乗って思うのに、これから仙台に行くのに、六時間ないし六時間半で行ける。大阪へ八時間ぐらいで行ける。飛行機で一時間半で大阪へ行けるという、じつに科学の力は、われわれに幸福を与えていてくれる。このような幸福というものは、限界点がある。

 

 宗教には限界点がない。だが宗教といっても、ほんとうに正しいりっぱなものであるというものでなくては、われわれが幸福にならない。

 

 しかし、今の政治家や教育者、科学者にしても、宗教がわれわれの生活のうえに絶対な力がある。また、絶対、影響があるということを認めない。

 

 それが人生を幸福にできないおおもとになっている。まことに、遺憾なきわみである。

 

 しからば、宗教がわれわれに、いかなる影響を与えているか。どんな宗教でも影響を与えている。日蓮宗と称するもの以外に真言がある。真言亡国といって、国のものがみな信ずれば、国が滅びてしまう。禅宗は天魔の所為である。必ずや、われわれをしてまどわせている。また、念仏は無間地獄に落ちなくてはならない。これらは、われわれに大きな影響を与えているではありませんか。

 

 また日蓮宗と称するもののなかで、身延も、また仏立宗、霊友会、または立正佼成会とこれらは一家離散となり、あるいはまた、病人が多くでたり、商売不振となったりして、けっして、われわれの生活を幸福にしない。不幸にする。ここに大きな影響を与えている。

 

 なぜこのようになるかというと、本尊がない。本尊とは根本に尊敬すべきものである。また御本尊様でなくとも、あなた方の友人のなかで、スリを尊敬すればスリがうまくなり、詐欺をやる人を尊敬すれば詐欺師になる。

 

根本の尊敬すべきものが大事なのであります。

 

 立正佼成会などは、なにを本尊としているかわけがわからない。姓名判断や八卦みたいなものは、人生をしあわせにするわけがない。霊友会のように、先祖を拝んでしあわせになると、したためられた経文はない。

 親孝行をしなさい、先祖の生命を安んじてやりなさいということは、どこの経文にもある。しかし、われわれに先祖を拝め等とはどこにもない。先祖を助けなくてはならないことは、皆さんはよく知っているが、死んだら仏になるのだと思っているバカがある。

 

 人間が死んで仏になるならば、宗教などいりません。仏さまは貧乏もしない。仏になって貧乏する仏は見たことはない。また仏さまがおかしな死に方をするわけもない。当宗の御本尊様を拝まないものは、畜生界、修羅界、よくて人間界です。先祖は地獄へ行っているかもしれない。そういうものを並べて拝んでいると感応してくるのです。それが、からだのなかで、駆け回っている生命で、しあわせになるわけがない。

 

 それと同じものが仏立宗であり、根本は同じである。身延では、蛇を拝ませたりしている。蛇を拝めば蛇が感応する。きつねを拝めば、それが感応して油揚げを食いたくなるというわけなのです。

そういうふうに、宗教というものは、われわれの生活に絶対に影響を与えている。

 

 反対に、なにがゆえに、わが日蓮正宗は絶対に幸福になるか。なぜなら、大聖人様の本懐である三大秘法の弘安二年十月十二日の大御本尊様が、おすわりあそばされているからです。私が登山し、けさ客殿の大御本尊様にお目通りして、学会の百人たらずの人といっしょに、朝の勤行をして、御祈念申し上げましたが、信心の厚薄により、また信心の強い、弱いかによって、幸、不幸が現われてくるのです。

 願わくは、これらの人々のうえに、福運を分けてあげてくださいとお願いしておきました。あなた方も、功徳があらわれてくる信心をしなさい。

 

 このあいだ、あるひとりの奥さんが『頭が痛くてどうにもならない』と言ってきたが、何人折伏したかと聞いたら、ひとりしかしないという。そんなことで功徳があるわけがない。

 また、それで功徳が出ると思っていたら大間違いである。あたかもゴムホースを水道の口につける。ところが、そのホースの中に、クモの巣や、ゴミが詰まっていたら、きれいな水は出ない。きたないものをきれいに出してしまえば、きれいな水が出るように、御本尊様を拝めば絶対に幸福になる。

 

 あなた方のホースは長すぎて、出てくるものは、きたないために、なかなかきれいにならない。中にいっぱいゴミが詰まっていて、いっぺんに出そうとするとたいへんだから、あなた方も大聖人様を拝んだ以上、転重軽受法門といって、法を守る力によって小さく出す功徳を受ける。

 

 築地支部の折伏数は、はっきりわからないが、千台までは、いっていない。今、会場には三千か四千はいるでしょう。ひとりが、月ひとり折伏しなさい。築地が一番となり、四千の成果があがる。

 一か月ひとりの折伏ができないものは、大御本尊様に申しわけないと、私は思うがどうか。

 手ばかりたたいて忘れてはだめです。日蓮正宗の信仰は邪宗と違って、われわれの生活のうえに重大な影響を与えている。絶対に幸福になるという影響がある信心と折伏を申し上げて私の講演を終わります。

 

昭和30年9月18日

築地支部第四回総会

中央大学講堂