仏法に妥協はない
学会も、いよいよ広宣流布の門出をした形になってきた。きょうは、一般の宗教界と、学会の相違を一言申しあげておく。
立正佼成会や、霊友会や、念仏、真言宗は、謗法をしてもなにもいましめない。まして天理教などはとくにひどい。おさい銭を多く出せば、よい信者だといい、また天理教をやりながら、他宗教をやってもよいという。そこに、他宗を認めて妥協を見いだすという性格です。わたくしは、ひじょうにおかしいと思う。
なにゆえかといえば、たとえば阿弥陀経をやったとする。そこで、阿弥陀経以外のものをやってもよいというならば、阿弥陀経より、外の教えの方がよいことになる。そうなれば、なにも自分の阿弥陀経をすすめる必要がない。
ところが、わが宗祖日蓮大聖人様は、いっさいの教えはだめです。念仏は無間地獄、人を地獄へやってよいものか。禅は天魔、真言は亡国、律は国賊。いまは律宗はないが、こういわれた日蓮大聖人様のご意志を、われわれは受けついで、徹底的に邪宗を攻撃し、ただ七文字の南無妙法蓮華経でなければだめだというのが、学会精神である。
かつて平左衛門は、日蓮大聖人様に迫害を加え、その結果すごい死に方をしたが、蒙古の襲来があったとき、大聖人様に『いままであなたとけんかしたが、仲直りをしたい。それでひとつお願いがある。蒙古がいつごろ攻めてくるだろうか』とたずねた。大聖人様は『天のようすを見るのに、いかにもひどい。ことしは、さぞや押し寄せてくるだろう』とおおせられた。蒙古がいつくるかは仏教書に書いてないが、大聖人様は仏様だからわかるのである。
そこで平左衛門が、『どうか蒙古を調伏するために祈ってはくれぬか。そうすれば、お寺も建てて、布教を許そう。そして、三千貫の寺領もあげましょう』といってきた。これが、われわれだったならば、寺も建ててくれる、領地もくれる、といってきたら、もうこれ以上いじめられてはたまらないから、たいへんけっこうなことだと思うが、大聖人様は断固として『だれが法華経を広めさせてくれといった。そんなことを頼んだ覚えはない。
自分は日本民衆を救うため、念仏や禅、真言、律をやめさせなければだめだといっているのであって、広めさせてくれとは頼まぬ。三度いさめて聞かなければ去る』といって身延の山へ入られた。
いま、現に民衆を不幸にしているあらゆる邪宗邪義、すなわち立正佼成会や仏立宗、念仏、真言、禅等の邪宗は、断じて許すことはできない。『あれもよいでしょう。これもよいでしょう』などとは、学会はいってはいない。
断固として、世界の宗教界を相手にまわして戦っていく孤立無援の教団が学会であります。あらゆる方面から敵が現われてくることは、会長就任いらいすでに覚悟の上です。前からわかっていることです。わたくしが難を受けることはいいが、みなさまにぜったいの幸福をつかませてから死にたいものだということを、わたくしは念願している。
そして、『指導者は難を受けることがとうぜんだ』と、前々から教えてあるが、学会はいかなる教団とも手を結ばず、日本国を万代まで平和にするために戦っているのです。いかなることが起こりましょうとも、退転することなく、学会とともに戦い、しあわせな安住の境涯を獲得してください。
昭和29年10月29日
本部幹部会
豊島公会堂