広宣流布近きにあり

 

 広宣流布、広宣流布と、たえずいわれますが、なんのために広宣流布するのか。創価学会のためにするのか。日蓮正宗のためにするのか。この問題を、はっきりしておいてもらいたい。

 

 広宣流布は、わが日本の国をりっぱな国、もっとも安泰に暮らせる国にするためにやるのです。これが、日蓮大聖人様の精神なのであります。

 

 学会はたえず叫ぶ、『日蓮大聖人様の昔にかえれ』と。

 

 大聖人様は、法華経を広めるために、あの苦難を受けたのではありません。その証拠には、佐渡からお帰りになったときに『三千貫の寺領を受けて法華経を広めてよい』という北条幕府の申し入れに対し、ニッコリ笑っておおせには、『なにも、法華経を広めることを許してもらいたいと思って、いままで戦ってきたのではない。日本の国を救わんがため、間違った宗教が人心を弱めているから、それらをやめさせるために叫んだのである』と、三度いさめて聞かずんば去ると申されて、身延の山へこもられたのであります。この精神がすなわち学会精神なのであります。

『広宣流布して、日本の国を安泰にしたい』それが、われわれ創価学会の念願なのです。

 

 いま、明治維新のときいらい、百年の間、日本の国は東洋に進出して、東洋の盟主として東洋民衆の平和を確保しようとしたあのときには、国を憂うる志士が山ほどいたが、いま国を憂うる志士がいく人いましょうか、国士がいましょうか。

 

 ゆえに大白蓮華の巻頭言に、青年につげて、わたくしはいうのです。

『宗教家になってはならない。わたくしも、ともに国士として、日本救済のために立つから、やってもらいたい』というのが、望む精神であります。

 

 ゆえに、広宣流布は、ぜったいに、われわれの手によってなさなければならない。

 広宣流布のことばは、宗祖日蓮大聖人様お出ましから、七百年叫ばれてきましたが、まだできない。だから、広宣流布は看板みたいなものだというように思われるのがとうぜんで、だれもできないものであるとしていっていたのです。

 

 しかし、わたくしは、『この広宣流布は近きにある』と断ずるのです。まず、なにごとにも、大きな仕事には前兆がある。それは、まず国に三災七難が現われている。七難とは、まずやさしくいえば、『風の難、火の難、水の難、星の難、月の難、内わもめ、敵国から攻められる』これが、ぜんぶそろっている。風の難は目の前に見てきた。水の難はしょっちゅうで、星の難もしょっちゅうである。内わもめは、もっとも新聞で多く見るでしょう。われわれの代表の代議士が、けんかの見本を示している。内わもめの代表です。他国侵逼難、攻められたでしょう。三千年の歴史が滅びる、宮城の前で外国の閲兵式とはなにごとでしょうか。このように、七難がそろってでている。

 

 三災というのは、物価が高い。他国から攻められる。それに疫病であります。物価が高くて食えない、洋服など買えない、買えば月賦月賦である。疫病にはふた色ある。『頭が狂って正しい判断ができないのも疫病』と、日蓮大聖人様はおっしゃっている。また、『結核などの病気がひじょうに多いこと』医者が肺病を作っている

このほか、あらゆる病気が多い。これがそろっていることは、広宣流布が近いことを示している。

 

 いまひとつは、もったいないことながら、七百年間、清浄に、真剣に、信者、僧侶一致してお守り申してきた日蓮正宗が、まさに滅びかけた。寺は修繕することができず、坊さんは飯が食えぬ状態、屋根は破れ、床はいたみ、手がつけられないのが現状である。信者は折伏どころか、ただ文句をいうことがかれらのしごと。末寺を守ろうとするでなく、大法を守ろうとするでもなく、これが、広宣流布の前兆であります。

 

 その他、数えれば数かぎりなくあるが、『広宣流布近きにあり』とわたくしは断言するのであります。しからば、なにも日蓮正宗が広宣流布しなくとも、日蓮宗はたくさんあるから、合同するなり、他の日蓮宗がやればよかろうというのに……。

 

 しかるに他の日蓮宗は、ぜんぜんニセもので、民衆救済どころか、自分の商売としている。そんなものと手を取れぬ。また、かれらに、広宣流布という高い理想もみえない。一歩進んで、これには、『日蓮正宗だけが、広宣流布せよ』との仏勅であるのです。

 

 なにをもって、おまえはこれを断ずるのか。それを申すならば、哲学的にあるのですが、かんたんに申しあげることとします。かりに、身延が広宣流布したと仮定しましょう。身延は、行学日朝が出るまでは満足な寺ではなかったのであります。日朝が出て、身延付近と江戸のわずかな信者をもって、徳川の庇護のもとに立ち上がったのが始まりであるゆえに、日蓮大聖人様から、れっきとして伝わっている大石寺とは違うのであります。

 

 だが、一応かれらが広布することを許すといたしましょう。ところが、日蓮大聖人様は仏でいらせられる。広宣流布を必ずするということを承知でいらせられる。そのときに国家鎮護のため、皇室に安置する御本尊様が必要であろうとおぼしめされ、『広宣流布のその日に、勅使がみえ、皇室の本尊をいただきたいと申し出があろう。それがために、予がしたためておくから』との御遺言である。

 

 そして、その大聖人様おしたための御本尊様を、紫宸殿御本尊様と申しあげる。いま、身延が広宣流布したとする。天皇から、『日蓮大聖人様がおしたための御本尊様があろう。紫宸殿におまつりしたい』とご諚があったときは、身延がもっていけますか。ない袖は振れない。ましてや、かけ出しの仏立宗、佼成会などは問題ではない。

 

 しからば、紫宸殿御本尊様は、どこにあるのか。富士大石寺の御宝蔵に厳然としてあります。こうなりますと、広宣流布が、日蓮正宗によってあすにでもできるように考え、来年か、明後年かと思うかもしれないが、まだ、それはできないのです。どうなったらできるか、予言しておく。それは、三類の強敵が現われたときにできるのです。

 

 三類の強敵とはいかなるものか。俗衆増上慢と申して、わけのわからぬ人がゴボゴボと悪口をいう。次は道門増上慢と申して、坊さんー失礼だからいいなおすと、坊主どもが自分らの信者が減るため、ゴボゴボいい出して悪口をいう。次に、もっともこわいのが僭聖増上慢です。どういうものかというと、一国の指導者で、あの人のいうことなら間違いない、あのかたこそりっぱな人だといわれる人が、この広宣流布に対して悪口をいい出したときが、広宣流布するときです。

 

 わたくしが、初代会長のあとをついで、広宣流布の途上に立ちながら、いつも悲しく思ったことは、三類の強敵がない。三類の強敵どころか、第二類もない。すなわち俗衆増上慢だけで二類も三類もなかったので、ひじょうに悲しいと思っていたところが、最近、学会も十五万を越える世帯数となりました。

 

 そして、ある新聞記者が大阪へ行った話しによると、このちょうしで大阪の学会がのびたら、三年で信者がなくなると騒いでいた。そこで三流新聞の記者を買収して、攻撃してきた。邪宗の坊主が、さわぎだした。わたくしは二類が現われたかと、心から喜んでおります。

 

 だが、信心弱き人は恐れをなし、疑いをもち、退転するかもしれないが、それはいけない。恐ろしいことです。地獄行きです。学会の悪口を書くにも、なにも書けないので、坊主は、脅追だ、暴力だという。われわれは、脅迫したり暴力をふるった覚えはない。われわれは断じて、このねつ造記事に迷わされてはあいなりません。われわれの強い折伏を、こう表現している。

 

 しかし、これからますます学会活動が本腰になるにつれて、日本中の邪宗の坊主が結束してかかってくる。それでも責めようがなくなると、次に現われるのが、第三類の強敵であり、これはこわい。これがでると、わたくしもうれしいと思うが、みなさんもうれしいと思ってもらいたい。そのときこそ、敢然と戦おうではないか。

 

 一国を救うため、生活を豊かにするため、信心を励まし、霊鷲山で、日蓮大聖人様に、『学会員なになに、広宣流布をやりとげてまいりました』といおうではありませんか。

 

昭和29年10月18日

志木支部第二回総会

豊島公会堂