折伏を忘れて功徳はない
蒲田支部の矢口地区は、優秀な地区であり、今度、七つに分裂したが、きょうが最初で最後の総会である。これも学会の急驀進のためにはしかたがない。
白木理事は、学会で会長に代わって計画を立てる、最高機関である四人の理事のなかのひとりとして、また蒲田支部も大きくなり、副支部長制をとり、その副支部長として、今後は別の面で働いてもらうようになった。
ここで、折伏はなんのためにするかということについて話しをする。折伏は、学会を大きくするためでもなんでもなく、ただ幸福になるためにするのである。大きくなると、幹部は苦労するが、みんなのしあわせを考えれば、やむを得ない。
この世のなかには、金に困り、病気に苦しんでいる人が多い。心から楽しい生活をさせるには、折伏以外にはない。家で拝んでいればよいというであろうが、学会活動に出ないと、折伏ができないので功徳がでない。折伏を忘れた信者は功徳がない。
日蓮大聖人様は、一生折伏されたのです。われわれの信心の目的の、成仏をするとは、未来を知ることで、未来を知るには、現世に証拠をつかまなければならぬ。
観念は宗教ではない。真の宗教は生活であり、生活上の証拠が必要である。折伏し、勤行するのは、生活がよくなる手段である。幸福には相対的、絶対的幸福がある。絶対的幸福をつかむのが、宗教の目的である。
昭和29年9月1日
蒲田支部矢口地区総会
豊島公会堂