時にかなう信心

 

 来賓の方より、あげられたり、さげられたり、まことにおめでとうございます。きょうの盛会を思うとき、どだい杉並の発生は、いまの柏原杉並支部長と、教学部教授の山浦君を右翼として、小岩支部長夫人の石田栄子を左翼として、三人を始めとしてできあがった支部である。

三人とも、わたくしの子飼いの弟子であります。杉並支部長を、公式には呼び捨てできないが、普通呼ぶときは、ヤス子と呼んでいる。これは、軽蔑の念ではなく、愛弟子として、親しみをこめていっているのである。しかし、いつまでも杉並にやってはおけない。本部として、重要なしごとがあり、必要であるから、早く杉並に支部長が出て、本部へかえしてほしい。支部長も、早くくびにしてもらいたくて待っている。わたくしも早くくびにしたい。

 

 さて、なにがために信仰するか。自分が幸福になるために信仰するのである。折伏のためでもなくまた、学会のためでもなく、みんな自分のためである。

 

 それなら、戸田はなんのためにやっているのか、と聞かれるならば、わたくしは、大きな幸福をうけている。

わたくしのうけた功徳は、いっぱいである。わたくしのうけた功徳を、この会場いっぱいとすれば、みんなのはこれぐらい(小指を出して)である。わたくしが、日蓮正宗創価学会のために働くのは、功徳をうけたご恩がえしのためにやっているのです。

 

 仏法というのは、時にかなわざれば功徳がないのである。紙のないときは、身の皮をはいで紙となし、筆のないときは、骨を削って書いたということがある。今日、紙も筆もある。そういうことをやっても、なんにもならない。だから、時にかなった修行でなくてはだめです。

 

 いまある宗教は、みな誤った本尊である。宗教というものは、みな本尊がある。いまは、間違った本尊を、命をかけて撲滅するという人が、ほんとうに功徳があり、仏になれるのです。

 

 しからば、日蓮正宗の本尊が正しい、また、りっぱだといっても、てまえみそではないか。立正佼成会でも、みな自分の方が正しい。霊友会でも正しいという。自分の方がよいという戸田は、日蓮正宗にこっているから、日蓮正宗がいいというのだろうという人がいる。御書を読んでみれば、すぐわかるが、かんたんに正宗の正しい証拠をひとこといおう。

 

 日蓮大聖人様は、広宣流布をきちっとご予言している。そのとおり、必ず広宣流布する時がくる。そのとき、天皇が拝むときがくる。天皇が信じるときが必ずあるから、大聖人様はふびんと思われて、そのときのために紫宸殿御本尊様を残されている。立正佼成会、霊友会、仏立宗、身延、中山等が、みなもし天皇が信心をするから、大聖人様おしたための紫宸殿御本尊様を持ってまいるようにいわれたときに、富士大石寺以外、どこの宗派がもっていけるであろうか。これが、日蓮正宗の正統派たる理由がある証拠である。一閻浮提総与の御本尊様が、はっきりあるといえる。

 これをもって、正しい御本尊様は、富士大石寺の御本尊様なりと信じて、誤った本尊をうちさえすれば、功徳があることを、わたくしはひとこと申しておきます。

 

昭和29年6月27日

杉並支部第二回総会

星薬科大学講堂