誤れる本尊をうて
昨日、足立の総会にまいりまして、なぜ創価学会に功徳があるかという原理について、話しをしました。昨日、会場で聞かれた方はいやでしょうが、ここに集まれる幹部の方に、もう一度話したいと思います。
この原理は、如説修行抄(御書全集五〇三ぺージ)にある。
『正像二千年は小乗権大乗の流布の時なり、末法の始めの五百年には純円・一実の法華経のみ広宣流布の時なり、此の時は闘諍堅固・白法隠没の時と定めて、権実雑乱の砌なり、敵有る時は刀杖弓箭を持つ可し、敵無き時は弓箭兵杖何にかせん、今の時は権教即実教の敵と成るなり、一乗流布の時は権教有って敵と成りて・まぎらわしくば実教より之を責む可し』
私見:池田大作(先生)のアホさかげんよ。御書を読んでも理解されていないのだろう。
これが、時にかなって功徳があるのです。権教と実教、すなわち、法華経と観経、大日経等が雑乱してまぎらわしい。そのときは、法華経ただひとつをもって、折伏するのが功徳があると申しております。現在の世のなかで、大日経、蘇悉地経、阿弥陀経などが、法華経以下であることは学界の定説である。ゆえに、念仏と法華経を同じといってもムダで、権実雑乱のときは、実教よりせめている。そのときせめた人は、みな功徳をいただいている。
ではいま、なにが雑乱しているかというに、本尊が雑乱している。富士におわします大御本尊様と、仏立宗、顕本法華宗、八品派の本尊と、どっちが良いか悪いかを、一般世間の人は知らない。いうことも同じである。発行する本も、寺も、似かよっている。このときに、正しい本尊より、よこしまな本尊を立てる邪宗を打つものに、大功徳がある。現在、日本においては創価学会ただひとつが、これをやっているのである。ゆえに、学会に反対するものには、罰、賛成するものには功徳が、厳然とあるのである。
折伏しなさいというのは、これによって本尊の雑乱をうち破るのであり、これを遂行するものに、功徳があるからである。だから、やりなさいというのです。
さて、これをやるのには、組織があり、そのなかで、支部長は会長を守り、地区部長は支部長を守り、班長は地区部長を守り、組長は班長を守り、組員は組長を守るということを聞くが、あたりまえのことです。
しからば、わたくしがきみたちに守ってもらっているか。支部長に守ってもらっているか。けっして守られていない。それより、支部長をかばってやっている。支部長にかばってもらってきていない。支部長に守ってきてもらっていない。あまり迷惑をかけないようにしてもらいたいと言いたい。
いま、支部長で、地区部長に守られているようなものは出ていきなさい。支部長は、地区部長を守ってやるのです。これを支部長に命令します。また、地区部長は班長に守られるようではいけない。すると、ある班長が、うちの地区部長は守ってくれないという。もしそんな班長がいたら、きょうかぎりやめなさい。守られなくてもいいではないか。班長は組長を、組長は組員を守りなさい。これが学会の精神です。
私見:池田大作(先生)、原田稔、池田博正さん、理解してるか?勤行の御観念文に何を追加していた?
学会の幹部で、支部長、地区部長、班長、組長に守られているような、だらしのないものはひとりもいないと思う。もしいたら、手紙を出してください。このように、学会の伝統的な精神はきまっている。だから、あまり守る、守るといわないように。おへそが茶を沸かすから……。
ご迷惑をかけないと約束しなさい。
昭和29年5月31日
本部幹部会
豊島公会堂