日蓮大聖人様の時代に帰れ

 

 もう、みなさんに、なにもやかましい理論をのべる必要はなかろうと思う。

 学会精神というと、なにかめんどうなことのように思うであろうが、それは、ただ『日蓮大聖人様の時代に帰れ』というだけです。日蓮大聖人様のお心を心として、この大御本尊様を、みんなに受け持たせたいというだけなのです。

 

 折伏というと、学会を大きくするかのように考える人たちも、なかにいないとはかぎらない。では、なぜ折伏するかというと、大聖人様は、大御本尊様を、みんなに、ただ受持させるために顕わされたのではないのです。

みんなをしあわせにしてやりたいと思って、示現されたのであります。

 

 たったひとつの理論をいいます。三越へ行くと、ほしい物がいっぱいある。ところが、金がなければひとつも売ってくれません。だが、これはさにあらず、御本尊様にはあらゆる功徳がある。あなた方のほしいものは、ぜんぶ大御本尊様のなかにしまわれている。だが、金ではあけられません。この宝庫をあけるのは、信をもってあける以外にはない。金ではないのです。純真な真心をもった信心で、始めてあらゆる功徳をいただけるのです。

 

 先に、三越の話しをしたが、千円もっていけば千円だけの買物、百万円もって行けば百万円のものが買えるが、あなたたちの信心も、どうように、信心の強弱によって、それそうおうの功徳を受ける。信心の強いものは、たくさんいただけるのです。願わくば、この次の総会までに、いや、来年のきょうまででもよい。いまこうして集まった方のなかには、心に悩みのある方もありましょう。また、心に願いのある方もおりましょう。どうか、しっかり信心して、来年のきょうは、功徳をうけた顔で、われもわれもと集まっていただきたい。

 

 ありがたくも、本日は、御本山の猊下のお出ましを願い、畑毛の猊下のお出ましを願って、われらとしては、これ以上の名誉はない。来年のきょうまでのあいだに、ほんとうに功徳をつかむ覚悟で、自分の悩みの心に、大御本尊様を目の前に浮かベ、両猊下を拝もうではありませんか。

 

 それでは、わたくしが導師となります。

『南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経』

 

 どうか、功徳を祈っていただきますように。

 

昭和29年5月3日

創価学会第十回総会

両国国技館

 

 

幸福な一生つくれ

 

 きょう、お山において、この青年部のつどいにたいして、梵天・帝釈も加護することなく、雨のなかで行なわれますことは、一身わたくしの謗法のいたすところと、深くおわび申しあげます。

 

 しかし、また考えれば、これが学会の次にきたるべき前兆ではないかと考えられるのであります。この雨を常に思って、幸福なるあなた方の一生、幸福なる日本の一生をつくっていただきたいと思います。

 

昭和29年5月9日

立宗七百二年青年部総登山

総本山大石寺三門前