三人の女性
みなさんとは、なかなか会う機会も少ない。きょうは、ひとりひとりに向かって話しをしているつもりで話します。講演というようなやかましいものではなく、楽な気持ちで話しましょう。
わたくしは、ひじょうに恐ろしいと思ったことが、つい十日前にあったのです。それは、いまから二十一年も前に、三人の女の人に常住御本尊様をいただかせた。三人とも環境が異なれば、年齢も違う。しかし生活は似たりよったりで、毎月はいる金で、それこそ、かすかすの生活をしており、ひとりは商売をしており、他のひとりは勤めておった。その方たちは、御本尊様をいただいたときは歓喜に燃えていたのです。
そのひとりの人は、境遇はひじょうに悪かったが、その年の夏季講習会に七日間出たときは、まるで年も忘れたように、娘どうように歓喜にもえていたことを思い起こすのです。その後、三人のうちひとりだけが、常住御本尊様をお持ちして、どこかへ行ってしまい、行く先がわからなくなっていた。わたくしは、その常住御本尊様のことが常に気になり、心を悩ませていた。ところが、そのうち、鶴見のある人に折伏され、とつぜん本部に尋ねてきた。
『本部に戸田会長先生がいらっしゃるから、指導をお受けしてくるように、と折伏された人にいわれ、尋ねてきたのです』という。しかし、そのときはひじょうに忙しかったので、面接の担当の人に指導を受けさせていたところが、問題が常住御本尊様のことであるとの報告を受けたので、その人に会ってきいてみると、
『常住御本尊様を拝んでいることが、主人からやかましいといわれ、御本尊様をお返ししようと思っていた』というのである。
『あなたはいま、打ち出の小槌を捨てようとしている。常住御本尊様を拝みなさい。あなたはみすぼらしい生活をしているでしょう。二十年前をふり返ってごらんなさい。娘のような歓喜に燃えていたあの歓喜が、退転して二十年の間、一日でもあったかどうか』
と聞くと、その主人はみぞのなかに首をつっこんで死んでしまい、いまは、つらくて、つらくてならないとのことである。
そこで、『いままた宝の御本尊様をどうしようというのか、あなたもみぞに首をつっこんで死にたいのか』と、しかってやった。
このとき、いっしょに信心した他のひとりは、現在一億という財産があるといわれている。また、もうひとりの人も、それぐらいの金は自由に使える状態にある。
わたくしは、二十何年生きているかどうかわからぬが、二十年信心をつづけていった暁に、良かったと思う人と、みすぼらしい姿をつづける人が出よう。
しっかり信心した方がいいのです。その女の人は退転して、そのような貧乏になったみじめな姿を、わたくしの目の前に見せにきたのです。退転して、そのまま姿を消してしまえばよいものを、必ずわざわざ折伏した人の目の前に、こうなりましたと、そのみすぼらしい姿を見せに出てくる。
初代会長は、学会はモルモットでなく、人間で実際に試験をしているのだから、たいしたものだといわれたが、信心をやめれば貧乏になるし、また反対に、信心したものは、功徳で一家は丈夫で、月一回ぐらいは温泉へ遊びに行ったり、映画を見たりできるようになり、楽々とした信心になれる。
それは、二十年後に起こる、ひとりひとりの生涯の問題なのであります。がっちりとした信心をしてください。
昭和29年4月11日
蒲田支部第四回総会
中央大学講堂