宿命を打破せよ

 

 きょうは、簡単な講演だが、ただし重要な話しと約束をする。

 まず第一に、われわれの生命が永遠だということであるが、われわれにはそれぞれ宿命がある。おれは貧乏だ、おれは病弱だなどという。これはぜんぶ宿命による。これが、邪宗では不幸になるが、日蓮正宗では幸福になれる。

 

 開目抄上(御書二〇〇ぺージ)に、『此に日蓮案じて云く世すでに末代に入って二百余年・辺土に生をうけ其の上下賤・其の上貧道の身なり、輪回六趣の間・人天の大王と生まれて万民をなびかす事・大風の小木の枝を吹くがごとくせし時も仏にならず』云云とおおせられ、生命の問題を説かれている。

 

 では、われわれはなぜ病気になったり、貧乏をしているかというと、この原因はぜんぶ過去世にある。

 

『いよいよ日蓮が先生今生先日の謗法おそろしかかりける者の弟子と成けんかかる国に生まれけんいかになるべしとも覚えず、般泥洹経に云く「善男子過去に無量の諸罪・種種の悪業を作らんに是の諸の罪報・或は軽易せられ或は形状醜陋衣服足らず飲食麤疎財を求めて利あらず貧賤の家及び邪見の家に生れ或は王難に遇う」等云云、

 

 又云く「及び余の種種の人間の苦報現世に軽く受くる斯れ護法の功徳力に由る故なり」等云云、此経文は日蓮が身なくば殆ど仏の妄語となりぬべし、

 

 一には或被軽易二には或形状醜陋三には衣服不足四には飲食麤疎五には求財不利六には生貧賤家七には及邪見家八には或遭王難等、此八句は只日蓮一人が身に感ぜり、

 

 高山に登る者は必ず下り我人を軽しめば還て我身人に軽易せられん形状端厳をそしれば醜陋の報いを得人の衣服飲食をうばへば必ず餓鬼となる持戒尊貴を笑へば貧賤の家に生ず正法の家をそしれば邪見の家に生ず善戒を笑へば国土の民となり王難に遇ふ是は常の因果の定れる法なり、

 

 日蓮は此因果にはあらず法華経の行者を過去に軽易せし故に法華経は月と月とを並べ星と星とをつらね華山に華山をかさね玉と玉とをつらねたるが如くなる御経を或は上げ或は下て嘲哢せし故に此八種の大難に値るなり』(佐渡御書九五九ページ)

 

 とおおせられているように、たとえば、過去に人を殺したとすると、早死するという宿命をもち、日蓮正宗の信者の悪口をいうと、警察にひっぱられるような宿命をもつ。みなこのように前世に原因があり、これを転換するのが日蓮正宗である。あなたがたも、宿命をもっているのです。

 

 戸田が、せっかく仙台にきたのだから打破してあげよう。朝は五座、晩は三座のお勤めをきちんとし、二か月にひとりづつ折伏して、来年の十月十八日までに、現在悩んでいる宿命が打解しなかったならば、戸田の命をさしあげましょう。

 

昭和28年10月18日

仙台支部第四回総会

仙台市公会堂