月一世帯の折伏

 

 折伏ぐらい、たのしく、うれしいものはない。札幌では仙台の連中にひどい目に会った。本因妙抄の講義をしたが、札幌でやって、ここでしないわけにはいかぬから、きょう言うことにする。

 

 東洋哲学に、五重玄、すなわち『名体宗用教』ということがある。これは、仏法上だいじな問題であり、しかも西洋哲学にはない。

 

 事物に譬えるならば、ここに一個の土びんがある。これを名という。これには体があり、土びんのもつ特質があり、これを宗という。土びんの働きを用、外部に対する影響力を教という。これが東洋哲学の根幹であり、一般哲学論である。

 

『南無妙法蓮華経』の境涯で申すならば、『南無妙法蓮華経』は名まえである。その本体はどこにあるか。日本国、富士大石寺に御本尊様まします。その特質はなにか。『いっさい衆生の苦を救う』というのが宗である。教はなにか、大御本尊様の教えは、従えば利益あり、そむけば罰がある。(私見:自然の法則)

 

 戸田は、今後の戦いにからだをはる。敵であろうと味方であろうと、心に願いを立てよ。一年たってこの願いがかなわずばわたくしを殺してもよい。大阪、福岡、八女、札幌でもいった。戸田をほんとうに折伏の闘士と思わば、心に願え。朝五座夜三座、一か月一名以上折伏の願いを立て、来年八月の幹部会で、もしも願いがかなわずば、わたくしを殺せ。わたくしには、それだけの力がある。敵であろうと、味方であろうと、願いを立てよ。

みな受けよう。

今後も、よろしく、御法のために戦うように。

 

昭和28年8月29日

本部幹部会

東京教育会館