未来の幸福のために

 

 固苦しい話しはやめて、みなさんと話し合いたい。

 このなかには十代の人も、また二十代の人もおりましょう。平均年令二十五歳として考えたい。これから三十五年たったとする。そして六十ぐらいのおばあさんになって、みな再び集まったとする。シワクチャになって、ヨレヨレの着物を着て、眼ヤニをためて、あわれな姿になっている人もありましょう。また、六十のばあさんにしては、元気が良すぎると思うぐらい、三十五年間、思うぞんぶん戦ってきたばあさんもいることでしょう。

 

 きょうから、みんな出発するのです。三十五年後の姿を想像してごらんなさい。結婚して病気のために苦しい思いをする人や、あるいは夫のために、子どものために苦しむ人もありましょう。それらを考えてみると、恐ろしくはないですか。シワクチャばあさんになって、ふところには金もない状態の人や、良い孫をもって、自動車で送り迎えされる人もおりましょう。どうあろうとも、いちおう宿命はきまっている。しかし、そのためには、ぜったいに御本尊様から離れないことである。

 

 なぜか。それは、ひとりひとりの生命のなかには、御本尊様がおられる。しかし、固い鉄の扉のなかに深く閉ざされている。信じても信じなくても、御本尊様ははいっている。

 

 いっさい宇宙の万法は、変化しないものはない。机であっても、花びんでも、金物でも、これらの分子、原子が、みな変化している。

 無量義経に一法より万法を生ずとあるが、たったひとつの法から、あらゆる法が生じているのである。無量義経では妙法蓮華とはいえぬ。妙法蓮華経へきて、いっさいを動かすものが『南無妙法蓮華経』の当体にあると、日蓮大聖人様はお説きなされた。その動かす力が、われわれの生命にある。それを開くのである。

 

 開くということは、あなた方にはわからぬと思うが、かりにビタミンB1が不足したときは、注射をすれば、うつ前と、うってからとでは違う。われわれの生命を動かすものが、信心である。ゆえに御本尊様を拝めば、宿命を転換することができる。

 

 宿命は、それぞれみな違ったものをもっている。しかし、こうなりたい、ああなりたいと、思う方向へいけるのが『妙法』なのであります。

 

 信心によって、自分のいきたい方向へ十分いけるのです。こう教えておきますから、六十のおばあさんとなったとき、右を見ても、左を見ても、はずかしくないように、人生、宿命と取り組んで、信心に励まれることを望みます。

 みんないっしょに出発して、六十のおばあさんになった姿を、くらべようではありませんか。

 

昭和28年7月26日

女子青年部第一回総会

東京教育会館