日暮れて道遠し

 

 籠手田さんのお話しを、お聞きになったと思いますが、『日暮れて道遠し』お気の毒ながら、いまのままで成仏を願わなければならない人生なのであります。あなた方は、まだ若いのです。籠手田さんのようになってから、信心が始まったなら、どうでありましょうか。じつにこわいこと、恐ろしいことと思います。がっちり信仰して、五欲をほしいままにして、功徳を受けてください。願いとしてかなわざるなし。いかなる願いも、かなうのであります。

 

 初信の功徳のつぎに、起こってくるものが、魔であります。『この法門を申すには必ず魔出来すベし』(兄弟抄一〇八七ぺージ)と。三障四魔が紛然として起こりきたるのであります。仏と魔はいっしょであり、善と悪は左右の関係であり、幸福、不幸は、となり同志であります。

 

 魔に四つあり、病魔、死魔、煩悩魔、天子魔であります。信心させまいとし、疑いを起こさせるものがくるのであります。さあこい、魔などに負けてたまるものかの大覚悟で向かったときは、魔は退散するのであります。

 

『詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん』の開目抄(御書全集二三二ページ)のおことばであります。疑いを起こす人はたいてい横着な信心の人であります。この山をひと山抜けると、成仏の境涯といって、くずすことのできない境涯となるのであり、この山をいく山越すかは、その人の信心によるのであります。

 

『つたなき者のならひは約束せし事を、まことの時はわするるなるべし』(開目抄下二三四ぺージ)のごとく、ひるむときこそ、御本尊様にすがり、泣きつくならば、必ず願いはかなうのであります。

 

 功徳を、きょうこそは、しっかり胸にだきしめて、死ぬまで忘れぬようにしていただきたいと思います。

 

昭和27年3月1日

中野支部第一回総会

日蓮正宗中野教会