僧俗一致の誠を尽くせ
このたびのことは、われわれ信徒として、まことに恐懼にたえないところであります。
立宗七百年を明年にひかえて、ますます宗門内の団結を堅め、折伏逆化に進むべきことはとうぜんでありますが、『あるものは、僧を軽侮する風潮すら萠せるを感ぜられることは、慨嘆を禁じ得ないのである』とのおことばを拝しましたことは、とくに宗徒として、もっとも厳戒せねばならぬ点でありながら、ご心痛をいただいたことについて、各人、深くおのれの謗法の有無をかえりみねばならぬところであります。
立正安国論(御書全集三〇ぺージ)にのたまわく、『大集経に曰く頭を剃り袈裟を著せば持戒及び毀戒をも天人彼を供養す可し、則ち我を供養するに為りぬ、是れ我が子なり若し彼を撾打する事有れば則ち我が子を打つに為りぬ、若し彼を罵辱せば則ち我を毀辱するに為りぬ』と。
また、御開山上人の御遺誡置文を拝するにつけても、このたびのご訓諭のままに、僧俗一致のまことを尽くすべきことをお誓い申しあげるしだいであります。
昭和26年9月26日
日昇上人の御訓諭に答えて
聖教新聞紙上談話