本尊流布

 

 御宝蔵の大御本尊様が、本堂に、お出ましになるときが、必ずあります。不開門、勅使門とも申しますが、これを開かせるのが、われわれの目的なのであります。

 しかし、いま、もし勅使がみえられて、ここに戒壇が建立されたとするならば、はなはだ、こっけいなことであります。

 勅使が下ったとなれば、国中の人が、お参りにくることは、もちろんでありますが、邪宗のものたちが、伊勢神宮に行って、お札でももらうような気持ちで、かんたんに御本尊様をもらい受け、そこらの邪宗の札とならべて、ペタペタとはりつけるということにでもなれば、まったくもったいないかぎりです。

 しかし、そこで御本尊様のお下げ渡しがなければ、ここにまた、偽物が、ますますできるのです。

 

 日蓮大聖人様は、題目をまず流布され、佐渡において、御本尊様を顕わされました。本門戒壇、先ならず、ということはお寺を作ることが先ではありません。逆にしてはならない。あわてることはなりません。邪宗といえども、題目の流布は、もはや、できています。

 

 この仏法は、必ず東洋に広まるのです。東洋に渡らなければ、日蓮大聖人様は大嘘つきです。必ず広まることを自覚しなさい。

今、われわれが、なすベきことは、まったく、本尊流布以外にないのであります。

 

昭和26年8月6日

夏季講習会

総本山大石寺