創価学会の確信
わたくしは、創価学会理事長を、学会創立いらい努め、故牧口会長とは、影の形にそうごとく、生死をともにするために生まれてきたのである。
牧口会長のあの確信を想起せよ。
腰抜け坊主が、国家に迎合せんとしたとき、『日蓮正宗をつぶしても、国家諫暁をなさん』との厳然たる命令は、ぜったいの確信のほどが偲ばれるのである。わたくしは五月三日、会長に就任し、学会は、『生命は永遠であり、われわれこそ、末法に七文字の法華経を流布すべき御本仏の眷属なり』との自覚を生じて、牧口会長が口ぐせにいわれていた発迹顕本をしたのである。この確信において、広宣流布大願の曼荼羅をお願い申しあげ、精兵つどい寄って、壮大な開眼奉戴の式が営まれたのである。
日蓮大聖人様は、われら学会員の位を、御書(四信五品抄三四二ページ)に、『四味三教の極位・諸宗の元祖に勝出すること百千万億倍の大菩薩なり』と、きめられており、かかる勇気にみち、一糸乱れぬ統帥のもと、足なみそろえて、大折伏に行進する団体は、七百年間、いずこにあるか。各会員、講義に、折伏に、火の玉のごとき状態である。
静かに、日蓮大聖人様立宗より、大御本尊様ご建立までの、東洋および日本の姿を注視せよ。
弘安二年、宋が滅び、日本も元の国力をして打ったなら風前のともしびであった。当時の姿は、今日の日本民衆が、原子爆弾におびえきっているとどうようであり、このとき、末法の御本仏は、南無妙法蓮華経の御本尊様と現われて、全世界の民衆を救う礎をたてられたのである。そして、本尊流通、戒壇建立を、後の末弟に残されたのである。
日蓮門下七百年の願望は、日興上人様にたまわった一期弘法御書のごとく、本門寺の建立であるが、これを三秘の法門の『勅宣並びに御教書』のおことばにとらわれ、広宣流布と戒壇建立とを逆に考えているものが多いが、いまのごとき、弱少の日蓮正宗教団に、戒壇が建ったとしたら、一国謗法で、大御本尊様のありがたさを知らず、一個の名物がふえた程度で、邪宗の札のごとく、御本尊様を粗末にあつかうとき起こる難は、どんなものであろうか。
日興上人様御おおせの
『未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事』(日興遺誡置文)のごとく、自己の位置を自覚した大菩薩は、まず御本尊様の流布を、身命を捨ててなさねばならぬ。
『仏法必ず東土の日本より出づべきなり』(顕仏未来記五〇八ページ)とは、世界の仏法であるとのご金言であり、また、諫暁八幡抄(御書全集五八八ぺージ)に、『天竺国をば月氏国と申すは仏の出現し給うべき名なり、扶桑国をば日本国と申すあに聖人出で給わざらむ、月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るベき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるベき瑞相なり、月は光あきらかならず在世は但八年なり、日は光明・月に勝れり五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり』また、顕仏未来記(御書全集五〇八ぺージ)に、『正像には西より東に向い末法には東より西に往く』のおことばに明らかなごとく、全東洋への広宣流布は、必ずなしとげられることを確信するものである。
昭和26年7月22日
創価学会臨時総会
市ケ谷家政女学院講堂