会長就任の挨拶
わたくしが今日、会長に就任できたことは、正直いって嬉しい。牧口先生時代の初代理事長として、必ず、次に会長になる宿命を持つと予見していたが、どうしても、いやであった。
理事長の席を矢島君にゆずったときも、小平君に、『先生、また逃げるんではないか』といわれたくらいで、会長だけはぜったいやるまいと思っていた。それで、当時、第一に寺坂君をあげたが、うぬぼれてダメ。次に、野島君を副理事長までにしてみたが、これも失敗。これというのも、牧口先生を余りにもよく知っていたからであり、わたくし自身に対して憶病であったためでありました。
終戦後、牢より出てきたときは、東京は焼け野原、学会も荒涼、そのときにきたのが、柏原、和泉の両女史であり、このとき、広宣流布はぜったいにやることを決心したのでありますが、まだ会長だけは、やりたくないと考えておりました。
牧口先生は、謹厳実直な方で、わたくしとは性格が正反対で、夜なかにいたるまで先頭に立って折伏をつづけられ、会員は後の方で、ヤアヤアと掛け声ばかりであった。わたくしは、先生と反対に、後に立って、みなさんを指揮し、広宣流布に邁進したい。
天皇に御本尊様を持たせ、一日も早く、御教書を出せば、広宣流布ができると思っている人があるが、まったくバカげた考え方で、今日の広宣流布は、ひとりひとりが邪教と取り組んで、国中の一人一人を折伏し、みんなに、御本尊様を持たせることです。
こうすることによって、はじめて本門の戒壇ができるのである。
御本尊様の真の功徳がわかる究竟即の位の前の、分真即が、すなわち、折伏することなので、これが真にあなたたちのためだから、広宣流布をやりなさいというのであります。お勤めをして、御本尊様に、あれをくれ、これをくれと、功徳をねだるような横着な信心ではなく、ほんとうに、折伏に身をいれて、人々に悪口をいわれ、バカにされて、ますます御本尊様を護持したとき、そこにげんぜんとして、功徳が現われるのです。始めから、御本尊様は、拝んでくれなどとはけっしていっておられません。われわれの方から、どうか拝ませてくださいと願ったのです。
一対一のひざづめ談判によって、広宣流布は成し遂げられるのである。
以上、のベたことは、みんな自分のためであり、いま、わたくしたちは、大きな本門の戒壇を建てるための、ひとつひとつの土台石をはこんでいるのであります。みなさん、真に命をかけて、御本尊様へのご奉公を、しようではありませんか。
昭和26年5月3日
創価学会会長就任式
日蓮正宗向島常泉寺