昭和十六年 ~ 二十五年
弟子の道
日興上人は、日蓮大聖人様をしのごうなどとのお考えは、豪もあらせられぬ。
われわれも、ただ牧口先生の教えを、すなおに守り、すなおに実行し、われわれの生活のなかに顕現しなけれ
ばならない。
牧口先生は、金もうけはされない。しかし、われわれは、先生の教えによって金もうけをし、また、ある人は
技術を磨かなければならない。先生を親と思うのは、間違いをおこす。先生は師匠であり、われわれは弟子であ
る。
牧口先生のお宅でも、お子様は、師匠と弟子とを混同されている。わたくしの宅でも、そうである。
先生のお子様は、先生を親と思っている。師匠と思っていない。先生が御法のことを申されるときは、峻厳で
ある。それが師匠である。もちろん、親としての心もある。しかし、師匠の分野としてみるベきときが多い。
先生は、『折伏しろ』といわれる。しかし、先生のことばづかいだけをまねて、なにになる。黄金水を流して
しまうようなものである。ある人は、主人であることが認識できないため、失敗している。主人は主人の道を実
行しなければならぬ。また、弟子は弟子の道を守らねばならぬ。ことばも、実行も、先生の教えを、身に顕現しなければならない。
昭和16年11月2日
創価教育学会総会
牧口先生三回忌に
思い出しますれば、昭和十八年九月、あなたが警視庁から拘置所へ行かれるときが、最後のお別れでございました。
『先生、お丈夫で』
と申しあげるのが、わたくしのせいいっぱいでございました。
あなたはご返事もなくうなずかれたあのお姿、あのお目には、無限の慈愛と勇気を感じました。
わたくしも、後をおうて巣鴨にまいりましたが、朝夕、あなたはご老体ゆえ、どうか、一日も早く世間へ帰られますように、御本尊様にお祈りいたしましたが、わたくしの信心いまだ至らず、また仏慧の広大無辺にもやあらん、昭和二十年一月八日、判事より、あなたが霊鷲山へお立ちになったことを聞いたときの悲しさ。杖をうしない、燈をうしなった心の寂しさ。夜ごと夜ごと、あなたをしのんでは、わたくしは泣きぬれたのでごさいます。
あなたの慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れて行ってくださいました。そのおかげで、『在在諸仏土・常与師俱生』と妙法蓮華経の一句を身をもって読み、その功徳で地涌の菩薩の本事を知り、法華経の意味を、かすかながらも身読することができました。なんたるしあわせでございましょうか。
創価教育学会の盛んなりしころ、わたくしはあなたの後継者たることをいとい、さきに寺坂陽三君をおし、のちに神尾武雄君をおして、あなたの学説の後継者たらしめんとし、野島辰次氏を副理事長として学会を総括せしめ、わたくしはその列外に出ようとした不肖の弟子でございます。お許しくださいませ。しかし、この不肖の子、不肖の弟子も、二か年間の牢獄生活に、み仏を拝したてまつりては、この愚鈍の身も、広宣流布のために、一生涯を捨てるの決心をいたしました。ご覧くださいませ。不才愚鈍の身ではありますが、あなたの志をついで、学会の使命をまっとうし、霊鷲山会にてお目にかかるの日には、必ずや、おほめにあずかる決心でございます。
弟子城聖申す。
昭和21年11月17日
牧口先生第三回忌法要
東京教育会館