あとがき

 

 恩師戸田城聖先生逝いて、すでに八年。会長池田先生は、恩師の御構想は、すべて実現された。いよいよ本門の時代にはいって、池田先生独自の大構想のもとに、広宣流布の大理想は、全世界瞠目の中に、着々と進められつつある。

 恩師戸田先生の御逝去後、池田先生は「弟子の道を果たすのだ」と申され、恩師の著作、講演、講義、指導、遺品等のすべてを、結集することに着手された。そして、恩師の巻頭言集、論文集、御書講義のレコード等が、矢つぎ早に刊行され、前進の糧とされたのである。

 今ここに「牧口常三郎全集」に続いて「戸田城聖全集】が、すべてを網羅して発刊されつつあることは、喜び身に余るものである。また恩師を想われる池田先生の振舞いによって、師弟相対の厳然たる大義を、うかがい知れることに、無上の感激を覚えるものである。

 

 本書には、恩師戸田先生の御書講義と、朝晩に唱える妙法蓮華経方便品・寿量品の講義が収録されている。

 御書講義は、一般講義といわれ、毎週金曜日に、東京・池袋の豊島公会堂等において行なわれた。これは、学会員のみならず新来者まで、だれでも自由に受講でき、折伏の原動力となった、なつかしい講義である。現在、池田先生の御書講義で感ずる民衆救済の情熱と、世界広布への息吹きそのままが、戸田先生によって繰り広げられていたのであった。

 

 関西でからだを悪くされ高熱の中で、戸田先生は講義に行かれようとした。まわりの人は、みな無理を理由に、代講にしてもらうよう頼んだ。しかし、戸田先生は「未曾暫廃」と経文にあるではないかといわれて、休むことをさけられたのも、この御書講義であった。

 

 方便品・寿量品講義は、毎週木曜日、一級講義として親しまれ、同じく豊島公会堂等において行なわれた。日蓮大聖人の文底仏法の立ち場から講義される内容は、大確信に満ち満ちており、当時の学会員に、深い感銘を与えたのであった。

 

 学会精神は、いまや、会長池田先生によって、あますところなく、全学会員に伝えられ、王仏冥合への大確信は、学会内に、全世界に溢れている。常に御書を依所とし、御書を中心に進む学会精神を、本書から読み取り、われらの平和革命への指針としていきたいものである。

 

  創価学会副理事長多田省吾

 

 

私見 このあとがきには、【池田先生】と何回も語られている。今の私には、戸田先生が亡くなられてから、戸田城聖先生が作られた創価学会を、崩壊や分断を起こすまいとの、多くの戸田門下生の思いなのだろうと思う。

 

戸田城聖全集第3巻講義集・方便品寿量品講義含む1966年出版の書写はこれで終わります。

 

次は、戸田城聖全集第二巻講演集1965年出版を書写していきたいと思います。先に戸田城聖全集第三巻論文・講演集1983年出版のものをブログにあげておりますが、再び上げたいと思います。私が小さいころ、戸田城聖先生の単行本だったと思いますが講演集や論文等があったのを覚えています。1983年と1965年とで戸田城聖先生の思いが変わってないなら安心しますが。

 

創価学会は戸田城聖先生が書かれた人間革命をなんの断りもなく、書き換えております。これは池田大作(先生)が絡んでいるんだと思います。これを全く知らなかったと言われるならそれはそれで問題であります。

また、Xでも呟いておりますが、ブログに戸田城聖先生の巻頭言を載せているものがありますが、戸田先生語る日蓮正宗(趣旨も)と書くべき所を、勝手に創価学会と書き換えている。仏敵である。第二代会長は師匠ではなかったのか? それともゴーストライターが書き換えたのであろうか?

 

何のためにこのようなことをするのか。仏法からずれている。本質は自分らの生活の為か?

心の底から懺悔すべきである。大聖人も言われているが椅子に腰かけて祈るんじゃなくて、ちゃんと正座して懺悔すべきである。
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