語訳(妙法蓮華経如来寿量品第十六)……見開きページ(650-651㌻)

 

きわまるということ。仏がみずから深くきわめ明らかにした真実の言葉である。寿量品の説法こそ仏の随自意の教えであるからである。しかし、文底の仏法からみれば、南無妙法蓮華経のみが真の語であり、文上の寿量品はまだ随他意の語というべきである。

 

【信解】信心してわかること。信は智を生み解は慧を生ず。信は価のごとく解は宝のごとし。

 

【弥勒】弥勒菩薩。弥勒は慈氏と訳す。名は阿逸多無能勝と訳す。天竺(インド)波羅捺国のバラモンの家に生まれ、釈尊の仏位をつぐべき補処の菩薩となり、釈尊に先立って入滅し、兜率の内院に生ず。法華経では重要な菩薩で、序品では文殊に、涌出品・随喜品では釈尊に問いを発し、寿量品・分別品・随喜品では対告衆である。また弥勒のために菩薩の行法を説いた弥勒問経がある。

 観心で拝すれば、御義口伝には「彼の為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」のゆえに、弥勒(慈氏)とは末法の法華経の行者(御本仏日蓮大聖人)であるとおおせられている。

 

【信受】信じて受持すること。

 

【三たび白し已って復言さく】【三たび請じて止まざる】一切の大衆が三度で止めず、四度、仏に説法をお願いするのである。仏は大衆が三度で止めないので、四度戒められて説法を始めるから、このことを四請四誡といい、仏法上の大儀式である。

 

【如来の秘密神通の力】文上の仏の如来秘密神通之力は、いまだ通途のもので、御本尊こそ真の如来秘密神通之力をもたれるのである。御義口伝(七五二㌻)には、詳しく説かれている。無作三身の依文であり、私達を即身成仏させてくださる御本尊の御力をいう。

「秘密」とは「一身即三身なるを名づけて秘となし、三身即一身なるを名づけて密となす」また、「昔説かざる所を名づけて秘となし、唯仏のみ自ら知しめしたもうを名づけて密となす」とある。すなわち御本尊のことである。

「神通之力」については、神は法身、通は報身、力は応身である。これ無作の三身の依文たるゆえんである。

御義口伝(七五二㌻)にいわく、

「第二如来秘密神之力の事

御義口伝に云く無作三身の依文なり、此の文に於て重重の相伝之有り、神通之力とは我等衆生の作作発発と振舞う処を神通と云うなり獄卒の罪人を苛責する音も皆神通之力なり、生住異滅の森羅三千の当体悉く神通之力の体なり、今日蓮等の類いの意は即身成仏と開覚するを如来秘密神通之力とは云うなり、成仏するより外の神通と秘密とは之れ無きなり、此の無作の三身をば一字を以て得たり所謂信の一字なり、仍つて経に云く「我等当信受仏語」と信受の二字に意を留む可きなり。

 

【天人及び阿修羅】天界、人界、阿修羅界のもの。

 

【釈迦牟尼仏】釈迦は種族の名。牟尼とは聖人のこと。釈迦族の中で聖人であり仏であるから釈迦牟尼仏という。釈尊にも、六種類があるから注意を要する。すなわち、

①蔵教の釈尊②通教の釈尊③別教の釈尊④法華経迹門の釈尊⑤法華経本門文上の釈尊(久遠実成)⑥法華経本門文底の釈尊(久遠元初自受用身、日蓮大聖人)

 

【釈氏の宮】雪山の南方ネパールの高原から中インドへかけての土地をしめたのは、インド住民の中でも、もっとも優秀なものであって、ことにこの地方に王国を建てた者は、いずれも釈迦を姓とし特に優れていた。この釈迦族の一つたる迦毘羅の国王の子として、生まれたのが釈迦牟尼である。

 

【伽耶城】釈尊成道の地に近いところにある中インド摩竭陀国の都城である。現在のインド、ベンガル州ベトナ市の西南方百㌔にある伽耶市はこの地にあたる。この南方十余㌔に成道の地である仏陀伽耶がある。

 

【道場】寂滅道場のこと。釈尊が初めて成道した場所であり、ここで華厳経を説いたといわれる。

 

【阿耨多羅三藐三菩提】仏の智慧、悟りのこと。

 

【我実に成仏してより已来】我実成仏已来は本果妙の文である。本門文上の釈尊は久遠実成といって五百塵点劫の昔に成仏した。しかし、文底の大聖人は久遠元初といって、無始の昔より御本仏であられた。

 

御義口伝(七五三㌻)にいわく、

「第三我実成仏已来無量無辺等の事

御義口伝に云く我実とは釈尊の久遠実成道なりと云う事を説かれたり、然りと雖も当品の意は我と法界の衆生なり十界己己を指して我と云うなり、実とは無作三身の仏なりと定めたり此れを実と云うなり成とは能成所成なり成は開く義なり法界無作の三身の仏なりと開きたり、仏とは此れを覚知するを云うなり已とは過去なり来とは未来なり已来の言の中に現在は有るなり、我実と成けたる仏にして已も来も無量なり無辺なり、百界千如一念三千と説かれたり、百千の二字は百は百界千は千如なり此れ即ち事の一念三千なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は寿量品の本主なり、惣じては迹化の菩薩此の品に手をつけいろ

うベきに非ざる者なり、彼は迹表本裏・此れは本面迹裏・然りと雖も而も当品は末法の要法に非ざるか其の故は此の品は在世の脱益なり題目の五字計り当今の下種なり、然れば在世は脱益滅後は下種なり仍て下種を以て末法の詮と為す云云」

 

【無量無辺百千万億劫】無量、無辺、百、千、万億は、いずれも三千年前におけるインドの数字である。一劫とは八百万年である。すなわち、八百万年に無量を掛け無辺を掛け百を掛け千を掛け万を掛け億を掛けただけの年数。三千年前のインドの数字は、大乗と小乗によって違うが、