語訳 (妙法蓮華経方便品第二)……各見開きページ(648㌻)
けること。文上では釈尊が権教を説いたことをいっている。
しかし、文底の仏法では、大聖人はただ南無妙法蓮華経の一法のみを説かれたのである。
【言辞柔輭にして】言葉やわらかに教えを説くさまである。
文上では釈尊が実教を説いたことをいう。しかし、文底の仏法では、折伏は厳父の慈悲から発するのであるから、言葉はやわらかではない。
【悦可せしむ】喜ばせる。
【要を取って】要点をとって。
【無量無辺未曾有の法】文上では、無量無辺は権教をあらわし、未曾有は実教をあらわすという。しかし、文底の仏法では、御本尊をほめたたえている言葉で、御本尊は量り知れない広大無辺の功徳をもち、大聖人以外には説かれなかったものである。
【復説くべからず】文上では、釈尊は、この法はわかりにくい法で言葉には限りがあるから説き尽くせないのだといっている。このように釈尊が方便品のはじめから、誰も質問しないのに説いていく説き方を、無問自説という。しかし、文底の仏法では、大聖人は三大秘法を余すところなく説いて下さるのである。
【第一希有難解の法】最上第一の法であり、仏もめったに説かないまれな法であり、仏よりほかにはわかりにくい法である。文上では、横に満ちて説きえない大法なることを明かすという。文底の仏法では、大御本尊の広大なる法をほめたたえているというべきである。
【唯仏と仏と】仏の境涯は仏でなければわからないというのである。文上では唯仏与仏以下は縦に深く説きえない大法なることを明かすという。文底の仏法では、末法の御本仏日蓮大聖人の御境涯は第二祖日興上人のみが知っておられたので、御開山様を唯仏与仏とほめたたえて申し上げる。
【乃し能く諸法の実相を究尽したまえり】仏となってはじめて、よく世の中のいっさいの真の姿をきわめ尽くされた。
【如是相】そのものの外に現われている相貌。
【如是性】そのものの内に具えている性質、性分。
【如是体】そのものの実体、主質。
【如是力】そのもののおよぼす力、功徳。
【如是作】そのものの作用、構造。
【如是因】変化をおこす原因、習因。
【如是縁】因を助けて変化させるもの、助因。
【如是果】因と縁によっておこる結果、習果。
【如是報】その果が他におよぼす作用、報果。
【如是本末究竟等】如是本末究竟して等しと読む。如是相より如是報までの九如是が、どんなものにもいっしょにそなわっていて、少しも狂いがない。
語訳(妙法蓮華経如来寿量品第十六)……見開きページ(649㌻)
【妙法蓮華経如来寿量品第十六】日蓮大聖人の仏法と、釈尊の仏法との相違は、厳然たるものである。日蓮大聖人は、御義口伝に「第一南無妙法蓮華経如来寿量品第十六の事」とおおせである。以下、その御義口伝を拝してみよう。
御義口伝(七五二㌻)にいわく。
「第一南無妙法蓮華経如来寿量品第十六の事
文句の九に云く如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・本仏・迹仏の通号なり別しては本地三仏の別号なり、寿量とは十方三世・二仏・三仏の諸仏の功徳を詮量す故に寿量品と云うと。
御義口伝に云く 此の品の題目は日蓮が身に当る大事なり神力品の付属是なり、如来とは釈尊・惣じては十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり、今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり、寿量品の事の三大事とは是なり、六即の配立の時は此の品の如来は理即の凡夫なり頭に南無妙法蓮華経を頂戴し奉る時名字即なり、其の故は始めて聞く所の題目なるが故なり聞き奉りて修行するは観行即なり此の観行即とは事の一念三千の本尊を観ずるなり、さて惑障を伏するを相似即と云うなり化他に出づるを分真即と云うなり無作の三身の仏なりと究竟したるを究竟即の仏とは云うなり、惣じて伏惑を以て寿量品の極とせず唯凡夫の当体本有の儘を此の品の極理と心得可きなり、無作の三身の所作は何物ぞと云う時南無妙法蓮華経なり云云」
【爾の時に】文上では釈尊の涌出品の説法が終わったとき。文底の仏法では、末法の時。
【仏】文上ではインドの釈尊、発迹顕本して本地をあらわしても、五百塵点劫の昔に成道した仏である。文底の仏法では、久遠元初の自受用身、末法の御本仏日蓮大聖人である。
【諸の菩薩】序品第一からいた、文殊、観音、薬王、月光、弥勒などの八万人の迹化の菩薩や、宝塔品第十一に出てきた十方の仏土の他方の菩薩たち、文底の仏法では、末法の衆生のこと。
【一切の大衆】仏菩薩を除く、阿羅漢をはじめとする八界のあらゆる衆生である。文底の仏法では末法の衆生のこと。
【善男子】ふつうは仏法を信ずる在家の男をいう。しかし法華経では女人成仏も説くから、男女の別なく仏法を信ずる在家の人を呼ぶ言葉である。
【如来】前述の仏と同意である。
【誠諦の語】誠とは真実ということ。諦とは明らかまたは、