其諸子中。不失心者。見此良薬。色香倶好。即便服之。病尽除愈。余失心者。見其父来。雖亦歓喜。問訊求索治病。然与其薬。而不肯服。

 

【其の諸の子の中に、心を失わざる者は、此の良薬の色香、倶に好きを見て、即便ち之を服するに、病尽く除こり愈えぬ。余の心を失える者は、其の父の来れるを見て、亦歓喜し、問訊して病を治せんことを求索むと雖も、然も其の薬を与うるに、而も肯て服せず】

 

(文上の読み方)

 通解(六二三ページ下段)にあります。

 

(文底の読み方)

 そこで、子供らの中の心を失わない者は、このおとうさんの出した色も香もよき薬を飲んで、病いがなおったというのであります。すなわち日蓮大聖人がわれわれに賜わったところの三大秘法の大御本尊をすみやかに信じて、今までの悩みが、すっかりなくなったというのであります。

 

 ところが、もう一組の心を失った者は、おとうさんに会って歓喜し、いろいろ問うて、病気をなおしてもらいたいといっておりながら、この薬を与えてもあえて飲まないのであります。すなわち折伏を受けても反対する人であります。心では大聖人はありがたいと思っている人もあるのであります。

 

 そして自分はなんとか良くなりたい、こういう悩みの世界から離れたいと思っておりながら、あえて信心しないのであります。じつに困ったものであります。それは、どういうわけか、その次に説かれております。

 

 所以者何。毒気深入。失本心故。於此好。色香薬。而謂不美。父作是念。此子可愍。為毒所中。心皆顚倒。雖見我喜。求索救療。如是好薬。而不肯服。我今当設方便。令服此薬。即作是言。汝等当知。我今衰老。死時已至。是好良薬。今留在此。汝可取服。勿憂不差。

 

【所以は何ん。毒気深く入って、本心を失えるが故に、此の好き色香ある薬に於いて、美からずと謂えり。父是の念を作さく、此の子愍むベし。毒に中られて、心皆顚倒せり。我を見て喜んで救療を求索むと雖も、是の如き好き薬を、而かも肯えて服せず。我今当に方便を設けて、此の薬を服せしむベし。即ち是の言を作さく、汝等当に知るべし。我今衰老して、死の時已に至りぬ。是の好き良薬を、今留めて此に在く、汝取って服すべし。差えじと憂うること勿れと】

 

(文上の読み方)

 通解(六二三べージ下段)にあります。

 

(文底の読み方)

 なぜ信心する気にならないのか。それは邪宗の毒が深く入って、本心を失っているがゆえであります。この大良薬である三大秘法の御本尊を、けっして良いとは思わないのであります。折伏をしても、かえって悪口をいって、信心しないのであります。そこで日蓮大聖人が心に思われるには、この子哀れむべし、信心をしない者は哀れむベし、ほんとうにはがゆいように思われるのであります。なにも言わずに、御本尊を拝んでさえいれば、そして素直な気持ちで折伏さえしていれば、かならず家庭は良くなる金もできる、はっきり言えることであります。

 

 そして、信心できない者は、邪宗の害毒が身にしみこんでいて、心が狂っているのだ、どうにかして幸福になりたいと思いながら、三大秘法の御本尊を拝もうとしない、と大聖人は悲しまれるのであります。

 

 そこで、どうにかして救ってやろうと思われて、次のように説かれたのであります。

 

 ところで、仏の生命もわれわれの生命も永遠であります。永遠ではありますけれども、一応、生死の理によって、死という現象を現出しなければならない。よって大聖人も、生死の理によって御年六十一歳をもって亡くなられているのであります。

 

 大聖人のおっしゃるのには、

「よく聞きなさい。今自分は衰えて、死の時がすでにやってきた。この三大秘法の大御本尊を、今留めて、この日本国におく。この御本尊を信じなさい。どんな悩みも解決しないことはない」と。

 

(別釈)

 ところで、この今留在此ということが問題であります。これは教相の上からいいますと、われわれの仏性の上におくと天台はいっております。しかるに大聖人は御義口伝に明らかにされて、今留めて此に在くの此という字は、日本国なりと読めとおっしゃっております。これを深く考えれば二つの意義があります。

 

 総じていいますれば、この南無妙法蓮華経の七字といいますのは、大乗の国の日本民族でなければ、わからないということをおっしゃっているのであります。

 南無妙法蓮華経という文字は、ただの七字でありますけれども、この極理を読み切り、そして深淵なるこの哲理に理解あるところの民族は、日本人以外にはないゆえに、これを留めて日本国におくと、おっしゃっているのであります。

 

 もう一つは、この仏法は日本から朝鮮、中国、インドへと渡って行く仏法であります。ですから、今留め此に在くというのを、日本におくとおっしゃるのであります。

 

 私に会通を加えさせていただきますならば、今留めて此に在くとは、すなわち日本国の中でも、静岡県富士宮市富士大石寺におくと読みます。今富士大石寺の奉安殿に祀られています大御本尊は「今留めて此に在く汝等取って服すべし、差えじと憂うる

ことなかれ」と大聖人がおっしゃったと読むべきであります。