譬如良医。知慧聡達。明練方薬。善治衆病。其人多。諸子息。若十。二十。乃至百数。以有事緑。遠至余国。

 

【譬えば良医の智慧聡達にして、明かに方薬に練し、善く衆病を治す。其の人、諸の子息多し。若しは十、二十、乃至百数なり。事の縁有るを以って、遠く余国に至りぬ】

 

 法華経の講義のときには、いつも、二通りの読み方があるということを申し上げておりますが、良い例といたしまして観心本尊抄の題号は「如来滅後五五百歳に始む観心の本尊抄」と読みます。この講義は三十何人の人へ、日寛上人が魂こめて講義したのでありますが、その中に「私の形見とも思え」という強い言葉で弟子たちに教えた言葉があります。

 

 われわれは、ふつう「観心本尊抄」と無点で読みますが、その中に寛師は「観心の本尊抄の『の』の字を、私の形見とも思え」と仰せられています。われわれのような学問のない者から見ますれば、寛師のような大学者が、なんで「の」の字でやかましいことをいうのかという気持ちがおこります。

 

「観心の……」というのの字に力を入れていらっしゃる。これが日蓮大聖人の教学の根本になるのであります。今、われわれが拝んでいるところの御本尊は「観心の本尊」なのであります。

 

 なぜのの字をやかましく仰せあったか、と申しますれば「観心の本尊」にたいして「教相の本尊」というのがあるのであります。教相の本尊とは釈尊がたてた本尊であります。

 

 大聖人のおたてになった本尊が「観心の本尊」になります。

 

 同様に今の経文も、教相の譬如良医と観心の譬如良医と、二通りの読み方が厳然と現われてくるのであります。

 

 釈尊の立ち場から、すなわち教相の譬喩として読むときは釈尊の境涯を通じて読まなければなりません。観心の譬如良医と読むときには、これは大聖人の御心をもって読まなければならないのであります。

 

(文上の読み方)

 釈尊の経文の中には、たとえが非常に多く法華経にも七つのたとえが説かれております。この良医のたとえは釈尊の仏法の中で、最も有名で重要なたとえであります。

 

 このたとえ話を、簡単に申し上げれば、こういうことになります。

 昔、良医があった。頭がよくて、非常に薬を作るのがじょうずな医者であった。ところで、この方が用事がありますために他国に行かれた。その間に十人、二十人、百数人という、たくさんいた子供たちが毒薬を飲んだ。そして地の上をころげまわって苦しんでいた。そこへおとうさんが帰ってこられ、良薬を与えた。本心を失わなかった者は、すぐ飲んでなおった。ところが本心を失った者は飲もうとしない。そこで父は、他国に行き、使いをつかわして「父は他国で死んだ」と伝えさせた。そこで、失心の子も心がさめて、残していった良薬を飲んでなおった。その父は、これを聞いて、喜んで戻ってきたというのであります。

 

 このたとえは、どういうことを意味するかといいますと、天台流の教相で読みますと譬如良医の良医というのは、五百塵点劫、久遠実成の釈迦如来であります。その五百塵点劫に仏になった釈迦如来が、インドに三千年前に出現したのを、父が帰って来たといっております。また父が死んだといって、自分と同じ人を使いによこした。この使いを上行菩薩と立てております。末法において日蓮大聖人であります。

 

 そのように未来に大聖人が現われるという、予言書になっているのであります。これは天台家の読み方であります。

 

 また、十・二十・乃至百数の子供を、声聞、縁覚、菩薩と読んでおります。これを、天台読みとも、釈尊の仏法の読み方とも、教相の読み方ともいっております。

 

(文底の読み方)

 しからば文底(観心)からお読みすればどうなるか。譬如良医とは、久遠元初の大昔に、わが身地水火風空と知ろしめして、即座に悟られた自受用身如来のことであります。帰ってきた父とは、日蓮大聖人であります。しかして、遣使還告の使いとは、御本山の御法主上人であります。また十人、二十人、百数人の子供とは、末法の衆生であり、大聖人の仏子であります。これが当門流の立て方であります。

 

 すなわち、久遠元初の自受用身如来という良医がおられた。そして、最も智慧がすぐれておられるということは、南無妙法蓮華経に通達しておられることであります。

 

 病気にきく薬を良く練りとは、からだの病気だけでなくて、心の悩み、あるいは一家の悩み、国の悩み、あらゆる病気を良く治する薬を作られたのであります。これ南無妙法蓮華経の御本尊であります。この南無妙法蓮華経の御本尊は、四百四病でも、恋の病いでも、注射では絶対なおらない金欠病でも、あらゆる悩みを全部救って下さるのであります。

 

 その御本仏に、子供であるたくさんの衆生がいたというのであります。ところが、あるとき、その良医すなわち御本仏が、末法にいたるまでの間は、事縁あるゆえに、遠くよその国に行かれてしまった、というのであります。