方便について・〔長者窮子のたとえ〕・〔衣裏珠のたとえ〕
方便品第二の長行には「正直に方便を捨てて但無上道を説く」と説かれております。方便の教えとは、釈尊が四十二年間にわたって説いた小乗経、権大乗経をいいます。
この場合の方便は、法華経を説くための手段とした真実ではない権の教えであるという意味に、使われているわけであります。
したがって、念仏宗などは浄土三部経、真言宗は大日経、金剛頂経、蘇悉地経という権大乗経を依経としておりますから、当然捨て去らなければなりません。その他、今日本にあるところの各邪宗の経文をみますと、全部、権教、権大乗経に当たるわけであります。律宗などという小乗経を、よりどころとしている宗派は、もうすでになくなっております。権大乗経だけが繁盛しているわけですが、方便の教えですから断じて正直に捨てなければならない。
では、なぜ方便品第二といって、捨て去るべき方便という言葉を用いているかという問題が出てまいります。
仏法でいう方便は、現在日常語として用いている「ウソも方便」などという、後に製造した新語の方便ではありません。
方便品第二の題号を釈するとき、いわゆる三方便というものがあります。
三方便とは、法用方便、能通方便、秘妙方便の三つであります。法用方便、能通方便は、小乗経、権大乗経で用いる方便であり、一つは導き、一つは弾訶して、この二つの方便を用いて、衆生の機根を法華経に導こうとするのであります。
ですから、この二方便は捨てなければなりません。
法用方便とは、相手の気持ちを察して機根に応じた説法をやって、真実の門に誘引しようという教えの説き方であり、能通方便とは、お前の覚えているものはだめだと弾訶して、真実の門に引っぱってくる方便であります。
しからば、方便品の意味である秘妙方便とはいかなるものであるかというならば、この秘妙方便の秘とは、仏だけが知っていらっしゃることをいいます。妙とは、われわれが考えることのできない不思議な境涯であります。
秘妙方便とはいかなるものか。日蓮大聖人は秘妙の譬えとして、衣裏珠の譬えと窮子の譬えを引かれております。
〔長者窮子のたとえ〕
これは妙法蓮華経信解品第四のたとえで、文上では四大声聞の領解といって有名なものであります。
ある国に、幼いときに父親を捨てて家をとびだした息子がありました。転々と他国を放浪しているうちに、いつしか五十歳も越えてしまいました。けれども、年はとり、わが身はますます困窮するようになって、ただ働いて衣食をつなぐのが、せいいっぱいの宿なしでありました。
父親は、一人息子が出奔してよりいらい、心配して方々を捜し回りましたが、息子の行くえはいっこうにわかりませんでした。父観は大長者であり、立派な城の中に住み、財宝は無量だと評判されるだけあって、たくさんの倉庫には金、銀、瑠璃、珊瑚、琥珀、頗黎、その他の宝が、どの倉にもいっぱい満ちみちていました。また多くの召使い下男等、数えきれないほどの家来がいました。
これほどの財産を持ち、人々から尊敬され、かつうらやましがられていた父親にも、一つの悩みがありました。それは、離別いらい五十余年、一日も忘れることのない家出息子のことでありました。このありあまる財産を、どうにかして息子に譲り渡してあげたいと念願するだけでした。もし子供に財産をやらなければ財産がバラバラになってしまうのであります。
そんなことは露知らない放浪息子は、巡り、巡って広壮な父のいる城門の前を通りかかりました。窮子は職を求めようとしてきたのでありましたが、御殿のような建て物と、多くの家来にとり囲まれている王様のような長者の姿を見て、びっくりして「これは、とんでもないところへきてしまった。
あの人は、王様にちがいない。自分のような賤しい者がきて、仕事にありつくところではない。見つかってとがめられて、どれいなんかにされないうちに逃げてしまおう」と遠くの方へ走り逃げてしまいました。
門の中からこの様子を見ていた父親は、早くもわが子が帰ってきたことを悟りました。心中、非常に喜んで二人の家来にあとを追いかけて連れ帰るように命じました。窮子は非常に驚いて「私はなにも悪いことはしません。どうして、私をつかまえるのですか。助けてくれ、助けてくれ」とわめいたあげく、殺されるのではないかと思って、とうとう気絶してしまいました。
父の大長者は、これをみて、窮子に水をかけて、さましてやり放免しました。窮子は歓喜して、貧乏人の住む里の方へ、食を求めて飛んで行きました。父親は、その後、方便をもうけて、二人の風才のあがらない、やつれた家来(声聞、縁覚)を糞はらいにしたてて、わが子のところへやり「いっしょに糞をはらわないか。賃金をはずむぞ」といわせました。
窮子は喜んで「働くから、賃金を先にくれ」と、先渡しの賃金をもらって働き出しました。父は窓からわが子が糞をはらうようすをながめ、下劣な根性に悲しみながら、自分も同じようなきたない着物を着て、わが子に近づき「お前も男ではないか。いつまで糞はらいをしているのか。すこし、落ち着いて、ここで働きなさい。一生懸命働けば、賃金もふやしてあげよう。米でも塩でもほしいものは、なんでもいいなさい。お前の働きには見どころがある。わたしも年をとったから、今より後は親子のようにしてあげるから、ずるや、ウソや、いかりや、そねみや、かげ口などをするのではないよ」といいました。
窮子は破格の待遇に感激しましたが、まだ自分は賤しい糞はらいだと思い込んでいました。二十年をすぎ、すっかり家族と同様になり、長者にも、よくなつくようになりました。
たまたま長者は病気になり、死期が近づいてきたことを知って、わが子を呼び、金銀や財宝のありかを全部告げ「いっさいをお前にまかせるから、自由に商売をやってよろしい。なくさないようにしなさい」といいました。そこで窮子は長者の財産のすべてを、自由に出し入れするようになりましたが、今は大分、人間もできて、一銭でもごまかすようなことはしませんでした。しかし、まだ、これが自分の財産であるとは、夢にも知らなかったのであります。長者の番頭としての自覚しかなかったのであります。
長者は臨終のやがて近づいたことを知り、親族はもちろん、国王、大臣、その他一族を全部一堂に集めていいました。
「みなさん、これは私の一人息子です。かつて私を捨てて家を逃げ出し、五十余年も辛苦をなめ、巡り巡って、私の城へ帰ってきたのです。今、私のいっさいの財産はこの実の子供に譲りますから、あとをよろしく頼みます」と窮子は、この父の言葉を聞いて、未曾有の歓喜をおぼえ「私が長者の子であるとは、夢にも知らなかった。求めてもいなかったのに、自然に無量の財宝を得た」と喜びました。
ここで、父とは、日蓮大聖人すなわち御本尊のことであります。窮子とは、われわれ末法の衆生であります。父を捨て放浪の旅をつづけるのは、謗法をして不幸な生活をすることであります。父に見つかっても、なお逃げるのは、折伏されても幸福になるのをいやがる姿であります。城の中にいながら、糞をはらうて喜んでいるのは、信仰して小利益をもらって喜んでいる姿であります。自分が長者の全財産をもらって未曾有の喜びを感じた姿は、われわれ凡人が、そのまま即身成仏して「われ仏なり」と師子王の確信に立った姿であります。
このたとえ話では、その窮子はほんとうは長者の子供でありながら、知らない間は貧乏人として働いております。これが秘妙方便であります。
同じように、われわれはこの通り末法の荒凡夫ながら、ことごとく久遠元初の自受用報身如来であられる。日蓮大聖人の眷属なのであります。御本仏であられる日蓮大聖人のお振舞いは事の一念三千であり、久遠元初の自受用身そのままのお振舞いであられます。われわれも日蓮大聖人の眷属として事の一念三千の振舞いをやるゆえに仏だと悟れば、もう長者の子です。これを秘妙方便といいます。
「如来秘密神通之力」というのは、凡夫をして仏にする力であります。その神通之力をあらわす前に凡夫であって即それが仏であるという状態にさせ、そう思い込ませているのは、仏の秘妙方便だというのであります。
方便品には、あとに長行があって、そこで「あなた方は声聞や縁覚や菩薩になっているけれども、それが真の目的ではなくて、仏になることこそ、真の目的なのだ、仏それ自体なのだ」といって秘妙方便を明かしております。われわれが、ただの凡夫でいるということは、秘妙方便であり、真実は仏なのであります。われわれの胸にも御本尊はかかっているのであります。すなわち御仏壇にある御本尊即私たちと解するところに、この信心の奥底があります。
〔衣裏珠のたとえ〕
これは妙法蓮華経五百弟子受記品第八の中にある話であります。
ある人が親友の家に行って懇談したり、御馳走になっているうちに、酒に酔って、とうとう友人の家で酔いふしてしまいました。しかし、自分がまだ酔いから覚めない前に、親友は公用でどうしても出張しなければなりませんでしたので、客を寝かせたままで出張したのであります。けれども、その親友は、公用で出かける前に、無価の宝珠とよばれる、すばらしい宝珠を、客の友人に与えようとしました。この宝珠は無価すなわち大きな測り知れないほどの功徳を持ち、持つ人のどんな願いでも、かならずかなえる不思議な力をそなえていたのであります。
客が酔いふしたまま、前後不覚になっているのを見た官吏の友人は、そっと彼の着物の裏に、この宝珠を落ちないように縫い込んで去ったのでありました。
それとは知らぬ酔いふした友人は、その後あちらこちらの国を巡って、いろいろな仕事をしてみましたが、なにをやっても、うまくいかず、生活のために追われて、顔も心もやつれはて、見るかげもなく落ちぶれた姿で、巡り巡って、親友の住むところへ戻ってきました。官吏である親友は、この貧しい友人の姿を見て、びっくりして「君はどうして、そんな姿になってしまったのだね。君にあげた無価の宝珠があるはずではないか」と責めるように問いただしました。しかし、この貧しい友人は、ただぼう然としているだけであったので、親友は、さらに詳しく、かつて酔いふしたときに困らないように着物の裏に無価の宝珠を縫い込んで別れた話をして「君のその着物の裏に、まだあるはずだから、調べてみなさい」といわれて、友人が自分の着物を見ると、きちんと無価の宝珠が縫い込んでありましたので、びっくりして、今までの自分の愚かさを恥ずると同時に、無価の宝珠を得た喜びに燃え立ったのであります。
さて、ここで、日蓮大聖人のお言葉によれば、着物の裏に無価の宝珠をかけるということは、南無妙法蓮華経の宝を信心することであるとおおせになっておられるのであります。
また酒とは謗法のことであり、酒を飲んで酔いふすとは、謗法の家に生まれることであります。日蓮正宗の信仰をしていない日本国民の大部分は、今、酒を飲んで酔いふしているのであります。信心を起こして御本尊を拝んだときが、酔からさめたときであります。
私たち凡夫といえども、いやしくも生命がある以上、もともと仏性をもっているのであり、仏性をもっている以上は、幸福に暮らせるのが当たり前なのであります。しかし、実際に仏性を輝かして歓喜に満ちた生活をしている人は少ないのであります。貧乏で泣いたり、病気で苦しんだり、家庭不和で悩んでいる人が世の中に充満しております。これは着物の裏の宝珠を持っていながら、使おうともしないで、貧しくさまよい歩いた友人の姿であります。無価の宝珠を出して使えば、自由にほしいものが得られるのに気がつかないで、生き悩んでいるのが、謗法の生活であります。
日蓮正宗の大御本尊を、ひたすらに信じたてまつって、われも、また妙法の当体蓮華である、地涌の菩薩なりの確信に立った人は、無価の宝珠を思いのままに使って、幸福を満喫することのできる人々であります。
釈迦仏法においては、阿羅漢の悟りを得て仏になったような思いをして、少しばかりの悟りで満足していた人々も、仏の悟りの偉大なるのを聞いて、今までの小さな悟りは、酒に酔いふした友人の生活のようなものであったと、みずから述べ、みずから反省したのがこの衣裏珠のたとえであります。
幸いにして、学会員は謗法の酒からさめたのであります。しかし、まだ邪宗身延や、池上や、中山等の毒酒に酔って、しかも正気のつもりでいる人々が、数多くいます。この人々を本当にさましてあげるのが、これからの私たちの使命であります。
このように無価の宝珠を持っていたことを見つけ出して歓喜したときと、知らないで貧乏して苦しんでいるときとは、体は一つであり、その人には変わりはありません。これ仏のみ知れる不思議でありますから、知らない間は、仏の秘妙方便であります。
そのほかに、当日蓮正宗には、方便が二つあります。それは、罰と利益です。折伏するときに「あなたは、本当は南無妙法蓮華経の御本尊で、この信仰をするとわかってきますよ。あなたは仏になれるのでありますから信仰しなさいよ」などといっても「わたしは、このままのわたしで結構だ。死ねば仏だ」といって信用しません。ゆえに仏はこの方便を用いて、信ずるものには功徳をあたえ、謗じて反対するものに罰をあたえるので「もうかるのなら、病気が治るのなら、やってみよう」ということになるのであります。
やってみれば、なるほど功徳がある。だから、やめられなくなり、やってゆくうちに、真のしあわせをつかんでしまうのであります。
これ無上の宝聚、あるいは無価の宝珠を、求めずして得たりということであります。無上の宝聚、無価の宝珠とは、もちろん御本尊のことです。御本尊を求めずして、おのずから得たのが、われわれなのであります。