方便品・寿量品講義
この講義は、先に「戸田城聖方便品寿量品精解の記事(59件)」
で上げた講義と同じであろうと思いますが、日々の私の啓発、そして見ていただいている皆さんの啓発のために、この戸田城聖全集第3巻講義集「1966年出版」に記載されている順に、この貴重なAmebaブログのシステムをお借りして、再びあげていきたいと思います。
原版の序
法華経が、釈尊五十年の説法の肝要であり、出世の本懐であることは、万人のよく知るところである。また、この法華経は
像法時代には天台大師によって理の一念三千を明かす摩訶止観として説かれている、末法における法華経は、釈尊自らの予言
にも明らかなように、日蓮大聖人の仏法による以外ない。
咋今、世に法華経を講ずる者は多い。しかるに、ある者は往時の天台流をもって読み、ある者は儒教思想を根底に講ずる等、
我見に執して、その真意を得ず、いたずらに世人を惑わすばかりである。伝教いわく「法華を讃すといえども、還って法華の
心を死す」云云と。
今、恩師戸田会長は、正しく日蓮大聖人の御義口伝による文底の正義を読み、かつ講義せられたのである。
七年余にわたる戸田会長の方便品・寿量品の一級講義は、日蓮大聖人の仏法をそのまま実践する創価学会にとって、欠くこ
とのできない支柱であり、珠玉のごとき講義であった。
ここに、本書を再版するゆえんは、会員諸氏のみならず、広く世の求道の人に、法華経の真義を理解せしめるとともに、も
って、令法久住を願って止まないものである。
昭和三十七年五月十二日
創価学会第三代会長池田大作
原版の序
法華経といえば一部八巻二十八品であるが、講義するにも講義を受けるにも、法華経の講義ほどむずかしいものはない。そ
れは法華経が釈尊一代五十年の説法の真髄であり、随自意、難信難解の正法である点にもあるが、さらに困難なのは次のよう
な理由による。
本迹二門二十八品の中に説き示すところは、迹門は諸法実相にして理の一念三千を説き、本門は因果国に約して事の一
念三千を説くのであるが、末法の御本仏、日蓮大聖人の御立ち場から読む法華経は、本迹二門二十八品ともに迹となり脱と
なる。しかして本門寿量品、文底下種の三大秘法が唯一の直達正観・事行の一念三千の正法となるのである。
これを釈尊滅後の教法流布の先後からみれば、正法時代の前五百年は小乗教、後五百年は権大乗教が流布し、像法時代に入
って、天台大師が、玄義、文句、止観の三大部をのべて、あらゆる角度から法華経を解釈し弘通した。しかし、これも文上の
理の一念三千であって真実の事行の一念三千の法華経ではなかった。
釈尊滅後二千年以後の末法に入り、日蓮大聖人が御出現あそばされて南無妙法蓮華経の大御本尊を御建立あそばされた。こ
の大御本尊こそ日蓮大聖人の出世の御本懐であり、あらゆる諸仏諸経の能生の根源であらせられる。ゆえに、われらの信心し
奉るは全くこの大御本尊にあり、決して法華経や方便品や寿量品を信心しているのではない。
しからば信心するわれらの修行はどうかといえば、正行には題目、助行に方便品・寿量品を読誦するのである。しかして方
便品は所破・借文のため、寿量品は所破・所用のために読誦することになる。ゆえにこの講義に当たっては、権実・本迹・種
脱の相対はもとより、体内体外・文上文底・総別の二義等、あらゆる点から思索していかなければならない。
古来、法華経の講義をなした人は数え切れないであろう。しかし、像法時代には天台におよぶ者があるはずはなかった。今
すでに末法に入り、当然、日蓮大聖人の仏法を根幹として講じなければならない法華経を、世人は未だに天台流の講釈を繰り
返している。実に仏法濁乱の根源ともいうべきである。
ひとり日蓮正宗富士大石寺のみは、正しく日蓮大聖人の御正義を伝承してきている。余は会長就任以来七年余にわたり、一
級講義として両品の真実の意義を繰り返し講述してきたが、ここに教学部に命じてその大要をまとめ、公刊の運びとなった。
会員諸氏は、よろしく本書を手にして、真実の法華経を把握されんことを願うものである。
昭和三十三年二月七日
創価学会 第二代会長 戸 田 城 聖
凡例
一、第二代戸田城聖会長の法華経要品(方便品・寿量品)の講義は、法華経の元意を余すところなく説き尽くされた劃期的なものであるが、本書はこれをかんたんにまとめたものである。
一、文上の読み方と、文底の読み方とに分けた。文上の読み方とは、釈尊の仏法の読み方で、天台の法華文句などを根拠にしている。文底の読み方とは、日蓮大聖人の仏法の読み方で、日蓮大聖人の本因妙抄、百六箇抄、御義口伝、日寛上人の六巻抄等に明かされている。講義の眼目は、もちろん文底の読み方である。
一、第一の「法華経を読む心構え」は戸田会長の論文であり、第二、第三、第四、第五の講義は、戸田会長の一級講義の大旨を変えずにまとめ、第六、第七の通解および第八は、大要がわかるようにまとめたものである。付録には語訳を入れ、語句を通じて大旨がわかるように努めた。
一、ページ数を引用したのは、創価学会発行の新編日蓮大聖人御書全集による。
一、文中に講義が重複しているようでもあるが、これは、第一に、一級講義はいずれの回(だいたい七回で完了)においても独立してわかるように説かれ、第二に、その講義の大旨を失わぬようにまとめた理由による。
一、編者の未熟によって、戸田会長の珠玉のごときの御講義に疵つくことなきやを恐る。
昭和三十七年五月十二日
編者識す