漢土に於て高宗皇帝の時北狄東京を領して今に一百五十余年仏法王法共に尽き了んぬ

 

 これは南宋だと思いましたが北狄、北の方の蕃族が攻め込んできて、宋の高宗をつかまえていって監禁してしまった。宋も滅び仏法もいっしょに滅んでしまった。その事実を大聖人様は仰せられまして、中国では宋が滅びているくらいであるから、そのときに仏法もいっしょに滅びたのであると、歴史を引いて、事実をあげていわれているのです。

 

 漢土の大蔵の中に小乗経は一向之れ無く大乗経は多分之を失す

 

 すなわち、中国の大蔵経の中には小乗経はもうない。大乗経もほぼこれがなくなっている。だから仏教などはもう中国にはないとこういっているのです。今では全然ありません。

 

 日本より寂照等少少之を渡す然りと雖も伝持の人無れば猶木石の衣鉢を帯持せるが如し

 

 日本から、少し大乗経や法華経を向こうに渡したのです。移したけれどもその精神がわかっていませんから、それを伝え持つ人がいなければ、経文があっても、お経は少しばかり読むけれども、仏教のことなどなにも知らない。なにも知らないから、木や石に衣を着せて、鉢を持たせたと同じであるというのです。今の僧侶のことです。ただ、石や木なら飯を食べないからいいけれども、彼らは飯を食べるから米が減って困る。

 

 故に遵式(じゅんしき)の云く「始西より伝う猶月の生ずるが如し今復東より返る猶日の昇るが如し」等云云

 

 遵式がはっきりいっているというのです。前の「月は西より出でて東を照し日は東より出でて西を照す」というのと、わが日本の仏法は同じであるというのです。

 

 此等の釈の如くんば天竺漢土に於て仏法を失せること勿論なり

 

 インドや中国にはもう仏法はない。大聖人様の時からないのです。それから七百年もたっているのですから、なおさらなくなってしまって、今はなにもなくなっています。

 

 問うて云く月氏漢土に於て仏法無きことは之を知れり、東西北の三洲に仏法無き事は何を以て之を知る

 

 それではインドにも、中国にもないということはよくわかりました。しかしそれは、南閻浮提にはないということであって、そのほか東の方、西の方、北の方にあるのではなかろうか。あなたはそこにあるのを知らずしていっているのではありませんかというのです。

 

 答えて云く法華経の第八に云く「如来の滅後に於て閻浮提の内に広く流布せしめて断絶せざらしめん」等云云、内の字は三洲を嫌う文なり

 

 ところが法華経の第八の巻に、仏の滅後において閻浮提の内にこれをひろめて、そして断絶することはないのであるという経文があると、まず経文を引いています。

 閻浮提の内という内の字は、外の方は関係しないという字になるのであるから、外にないということになるのであると。これではっきりするでしょうというのです。

 

 問うて曰く仏記既に此くの如し汝が未来記如何

 

 釈尊の予言はあなたの身の上に見事に当たった。しからばあなたの未来記はどうなのですかと。こういう問いを起こしたのです。末法の本仏の未来記はいかんというのです。

 

 答えて曰く仏記に順じて之を勘うるに既に後五百歳の始に相当れり仏法必ず東土の日本より出づべきなり

 

 ここで、大聖人様がはっきりいいきっておられます。「東土の日本より出づべきなり」すなわち新しい仏法、釈尊の仏法でないところの新しい仏法、真の末法の仏法は、東土の日本の国から出るのであるというのです。日蓮大聖人様の仏法は、釈尊の仏法とは違うということがはっきりします。

 

 其の前相必ず正像に超過せる天変地天之れ有るか

 

 しからば、その前相、瑞相、すなわち前兆、それがあるであろうかというのです。

 

 所謂仏生の時・転法輪の時・入涅槃の時吉瑞・凶瑞共に前後に絶えたる大瑞なり

 

 釈尊の生まれた時、転法輪というのは法輪を転ずといいまして説法のことです。涅槃というのは死ぬときです。色々な兆候があったというのです。

 

 仏は此れ聖人の本なり経経の文を見るに仏の御誕生の時は五色の光気・四方に遍くして夜も昼の如し

 

 仏様の生まれた時は、このように景気がよかったというのです。五色の雲がたなびいて、そうして花が咲いてたいへん鮮やかな瑞相があった。

 

 仏御入滅の時には十二の白虹・南北に亘り大日輪光り無くして闇夜の如くなりし、其の後正像二千年の間・内外の聖人・生滅有れども此の大瑞には如かず

 

 仏の御入滅の時には、白い虹が出たというのです。また太陽が光りをなくしてしまったというのです。その後、色々な瑞相や、凶相があったけれども、これほど大きいものはなかったというのです。

 

 而るに去ぬる正嘉年中より今年に至るまで或は大地震・或は大天変・宛(あた)かも仏陀の生滅の時の如し

 

 すなわち、大聖人様ご出世の時に出た正嘉の大地震、すなわちあのような大地震などは、釈尊の滅後、初めての大地震ではないか。大凶兆ではないか。

 

 当に知るベし仏の如き聖人生れたまわんか

 

 あの大地震を見ても、仏教の経文では「地六種に震動し」といいまして、地震はそういうことも現わすということになっている。ですから仏と同じ方が現われるのである。すなわち自分が仏なのである。自分が現われたからこういうふうになったのであると。

 

 大虚(おおぞら)に亘って大彗星出づ誰の王臣を以て之に対せん

 

 国を救う大忠臣、大王臣の現われる前兆として彗星が現われたのである。どういう人に、どのような偉い人に、これがあてはまるであろうか。あの人が出てきたから、こういうことになったのだということになるかどうかと言うことです。

 

 当瑞大地(とうずいだいち)を傾動して三たび振裂す何れの聖賢を以て之に課(おお)せん

 

 どういう聖賢が現われたから、こういう大地震があったのかと、考えてみなさい。これはみな前兆である。仏の現われる前兆である。

 

 当に知るべし通途(つうず)世間の吉凶の大瑞には非ざるべし惟(こ)れ偏(ひとえ)に此の大法興廃の大瑞なり

 

 この正嘉の大地震にしても、こういう色々のことが現われるのは、普通の吉凶ではないと。大法興廃のきざしである。すなわち南無妙法蓮華経という大法が興るか興らないかの前兆である。

 

 天台云く「雨の猛きを見て竜の大なるを知り華の盛なるを見て池の深きを知る」等云云

 

 雨が激しければ竜が大きいのだと。蓮華の華の大きいのは池が深いからであると。こういうことでわかるように、こういう大瑞が現われているということは大法興廃の兆ではないかと、こう仰せになっている。

 

 妙楽の云く「智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」等云云

 

 妙楽がいうのには、智慧のあるものは起を知る、こういうことがあるからなにか起こるのである、未来がわかると。わからないのは凡夫です。また蛇は自ら蛇を知る、蛇というのは足がないのでしょう。それでいて蛇は自分の足がわかっているという意味なのです。蛇は蛇の足を知ると読むのです。蛇は足がないけれどもきちんと歩けるのですから、自分の足をよく知っているということです。

 

 日蓮此の道理を存して既に二十一年なり、日来の災・月来の難・此の両三年の間の事既に死罪に及ばんとす今年・今月万が一も脱がれ難き身命なり

 

 大聖人様は、御自分では二十一年来このことを知っている。しかもこの三年間に受けた難というものは、大きなものであるというのです。しかも今年は命があぶないかもしれない。すでに大聖人様が殺されるという評判が立っているのです。のがれがたき命であるかもしれないとおっしゃっているのです。

 

 世の人疑い有らば委細の事は弟子に之を問え

 

 弟子に聞きなさい。弟子はみんな知っている。

 

 幸なるかな一生の内に無始の謗法を消滅せんことを悦ばしいかな未だ見聞せざる教主釈尊に侍え奉らんことよ

 

 あなた方だったらできません。すっかりだまされたと思うだけです。ひとりぼっちで行っていて、こんな手紙を書きなさいといわれたって書けますか。書いたとしてもワンワン泣いた手紙ばかり書いてよこすに違いない。しかるに大聖人様は余裕しゃくぜんたるお手紙ではありませんか。

 悦ばしいかなとおっしゃっているのも無理はありません。本当に悦ばしいかなです。これから行って御本尊様におめにかかるのだといわんばかりのお手紙です。

 

 願くは我を損ずる国主等をば最初に之を導かん

 

 すごいものです。まず自分をいじめた国主北条執権、北条一家を導いてやろうというのです。われわれでしたら死んだら化けて出てくるのが関の山です(笑い)。うらむところを、仏様はまず導いてやろうと、大慈悲のおことばです。

 

 我を扶くる弟子等をば釈尊に之を申さん、我を生める父母等には未だ死せざる已前に此の大善を進めん

 

 すなわち御本尊に、自分をたすけた弟子どもをまず仏に申して上げよう。仏にともどもしてあげようという意味です。守ってあげますというのです。自分の父母には親孝行しようという意味です。

 

 但し今夢の如く宝塔品の心を得たり

 

 宝塔品の意味がようやくわかったというのです。夢のようにようやくわかったということはないのですけれども、とっくにわかっていらっしゃるのですが、これだなということをはっきりと胸に刻んだのであるとおっしゃるのです。

 

 此の経に云く「若し須弥を接(と)って他方の無数の仏土に擲(な)げ置かんも亦未だ為(これ)難しとせず乃至若し仏の滅後に悪世の中に於て能く此の経を説かん是れ則ち為(これ)難し」等云云

 

 これは、こういう経文なのです。須弥山をつかんで、あらゆる仏土に投げることはめんどうではないが、ただ仏の滅度の後において、悪世の時にこの法華経を説くということは、実にそれよりめんどうである。その意味が、本当にめんどうでたいへんなことが、よくわかったという意味です。

 

 伝教大師云く「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判(しょはん)なり浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり

 

 伝教大師は「めんどうなことに向かって敢然と戦うのは丈夫の心である。やさしいことばかりやっているのはそれはダメな者なのである。やさしいことと、めんどうなことがあるとしたら、めんどうな方へつくのが丈夫の心である」というのです。

 広宣流布などは一番めんどうなことです。これほどめんどうなことはありません。これをやろうというのですから、皆さんは丈夫の心です。

 

 天台大師は釈迦に信順し法華宗を助けて震旦(しんたん)に敷揚(ふよう)し・叡山(えいざん)の一家は天台に相承(そうじょう)し法華宗を助けて日本に弘通す」等云云

 

 天台大師は、法華経を弘めて釈尊に従順して、一番めんどうな法華経を震旦、すなわち中国に弘めたと。叡山の一家とは伝教大師をさします。次の義真までだけですが、法華宗を助けて日本に弘めたというのです。

 

 安州の日蓮は恐くは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通す三に一を加えて三国四師と号(なず)く、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。

文永十年太歳癸酉(たいさいみずのととり)後(のちの)五月十一日        桑門(そうもん)日蓮之を記す

 

 安房の国の日蓮は、三師に相承して、すなわち釈尊、天台、伝教をついで法華宗を助けて日本国に広宣流布するのであると。四人の仏をたて正法の仏は釈尊、像法の仏は天台、伝教、末法の仏は日蓮大聖人様と。これで、三国に四人の仏ということになると、こう仰せられているのです。