可延定業書講義(御書全集九八五ページ)

 

 夫れ病に二あり一には軽病二には重病・重病すら善医に値うて急に対治すれば命猶存す何に況や軽病をや

 

 可延定業というと、定業を延ばすという意味です。定業とは死ぬ年が決まっている。この人はいつ死ぬということが、決まっている運命をもって、生まれてきている人がいます。

 その決まった運命の者でも、延ばす方法がある。そこで病気のことを、まず大聖人様は最初に仰せられているのです。というのは、この御書は女の病気の方に差し上げた御書でありますから、病気には重病と軽病とがある。重病でも良い医者にかかればすぐ治ると、こういうふうにいっている。

 

 よく新興宗教などと、われわれもよく悪口をいわれるのですが、医者にかからなくてもいいという説がある。

「それは罰だから医者にかからなくてもいい」と、そんなバカなことはない。医者にかかって治るものは医者にかかった方がいいのです。そういう病気がある。

 

 よく私は、新聞記者や雑誌記者に聞かれるのですが「あなたのところもやっぱり医者にかからないという仲間か」と、こういうのです(笑い)。そんなバカなことがあるものですか。そんなことをしたら薬屋がみんなつぶれてしまうではないですか。

 カゼをひいたらカゼ薬を飲めばいいではないか。腹が痛ければ、熊の胃を飲んだらいいではないか。だが、それでもなおらない場合は御本尊様です。そこの区別がつかないのです。何宗だか知らないけれども、水ばかり飲ませているのがある。「おまえは水の飲み方が足りない。一日六升」などと、それは無理です(笑い)。金魚ではあるまいし、水ばかり飲んでいられるものではない(笑い)。このように、きちんと御書の中に医者にかかって病気は治ると書かてある。だが、医者ではおよばないものがあるのです。そこまで説くのです。

 

 業に二あり一には定業二には不定業

 

 これは命の問題だ。病気したからといって死ぬとはきまらない。私はおもしろい言葉を聞きましたが、「病気上手の死にべた」というのです。よくおばあさんで病気っかりして、長生きしているおばあさんがいるでしょう。そんなのを「病気上手の死にべた」というのです(笑い)。そういう言葉があるように、病気すると、かならず死ぬと決まったものではないのです。

 

 病気は罪業だ。悩むということは、その人の罪業を消す手段としてあるということです。いまここで業ということは、死ぬ時が決まっている者を定業というのです。不定業とは死ぬ時が決まっていないこと。そのかわり、いつ死ぬかわからない。このように業には二つあるというのです。

 

 定業すら能く能く懺悔すれば必ず消滅す何に況や不定業をや

 

 定業でも、よくよく懺悔すれば、命を延ばすことができるというのです。その懺悔についていっておきますが、よくよく懺悔すればなどといっても「はてな、これ、自分は死ぬのではないだろうか、死ぬかもしれないからよく懺悔しておこう」と、「じつは咋夜、かっぱらいました」などと、そういう懺悔は懺悔にならない。

 

 キリスト教では懺悔にやかましい。私も昔は少しばかりキリスト教を学んだことがありますが、このような集まりで懺悔するのです。冗談ではない。人の集まったところで悪いことをしたことをしゃべる、そんな偉い人間がいるわけがありません。ウソだと思うなら、皆さん、この前にきて懺悔してごらんなさい。キリスト教の人達の懺悔などは大声を出せば、ほめられるみたいな調子で懺悔している。

 

 仏法で説くところの懺悔は「大荘厳懺悔」と申しまして、けっしてそんな懺悔ではないのです。観普賢菩薩行法経という経文の中に「若し懺悔せんと欲せば端坐して実相を思え衆罪は霜露の如し慧日能く消除す」という句がありますが、「若し懺悔せんと欲せば実相を思え」の実相とは、御本尊のことです。ですから朝晩御本尊に題目を唱えていることが懺悔になっているのです。

 なにもしゃべらないでもいいのです。御本尊様はよく知っていらっしゃいます。これを教えると「先生、懺悔ってそんなに簡単なものですか」と、「では今晩泥棒してあすの朝、題目を唱えれば消えてしまいますか」と、そういうふうに考えてもいけません。

 題目を唱えることは、端坐して実相を思え、端坐してですから、題目を唱えて足が痛くなりますが、この方程式から思うと、端坐して実相を思えというのですから、アグラはよくない。足が痛いといっても、それはしようがないのです。なれれば痛くなくなる。足の痛いうちは、題目をたくさんあげていない証拠です(笑い)。困るときには足が痛いなんていっていられないでしょう。

 

 法華経第七に云く「此の経は則為閻浮提の人の病の良薬なり」等云云

 

 これは薬王品にあるのですが、この経、すなわち御本尊は閻浮提第一の良薬である。

 日寛上人というお方がいらせられまして、この方は実にお偉い御上人でいらせられた。大石寺に行った人はわかると思いますが、一番さきに目につく三門を、お造りあそばされたお方でありますが、日蓮正宗の中興の祖とあおがれる方であります。この方が病気になられた。有名な死に方をした人であります。御病気になったから、弟子どもが集まって、お薬をお飲みになったらどうですかというと「いや、わしは朝晩に良薬を飲んでおる。薬はいらん」と、おっしゃったそうであります。題目のことです。この方は、いよいよ死にますときに「今日はわしは死ぬよ」と、それで、この方の一番の好物はソバと相撲なのです。「きょうは死ぬからソバをうっておけ、かごをやとえ」とおっしゃって、そしてかごに乗って、お別れすべきところには別れをして、そして帰ってきて、ソバを食べて、ハシを置いて、そのまますーっと死んでしまったのです。これはなかなか死に方が立派です。そういう死に方できますか。私はあんまりソバは好きではありませんから、死ぬ時には、わかれば「ちょいと一い銚子をつけて」と。(爆笑)

 

 此の経文は法華経の文なり、一代の聖教は皆如来の金言・無量劫より已来不妄語の言なり

 

 釈迦如来の仏典は、ことごとくウソはないとこうおっしゃっているのです。

 

 就中此の法華経は仏の正直捨方便と申して真実が中の真実なり

 

 釈尊の仏法においては、法華経では正直に方便を捨てるといっています。方便とは権教をいうのです。能通、法用の方便を捨てて、そして、真実のこの教をたもちなさい。法華経には三種類あります。それは釈尊の法華経、法華経二十八品です。それを正法の法華経と申します。像法の法華経と申しますのは、天台大師の摩訶止観です。それから末法の法華経と申しますのは、日蓮大聖人の七文字の南無妙法蓮華経が末法の法華経であります。

 

 このように、法華経に厳然と三種類あることを知らなかったら、法華経というと、お釈迦様の説法ばかりと思っている。それは違うのです。文上・文底、理の一念三千・事の一念三千等といって、仏法哲学より説けば、ここに三種の法華経がある。それからまだあります。不軽菩薩の二十四文字の法華経、大通智勝仏の法華経と、こうありますけれども、それは人類初まっての時ではなくて、この地球以外の法華経までいっているのです。

 

 この地球上の法華経は、今申し上げましたように釈尊の法華経二十八品、天台の摩訶止観、大聖人の七文字の法華経と三種類あることを覚えていてください。これだけは、正直捨方便と申して、仏の真実の中の真実であるといっているのです。

 

 多宝・証明を加え諸仏・舌相を添え給ういかでか・むなしかるベき

 

 これは多宝如来が証明を加え、諸仏が舌相を、すなわちインドでは舌を出すことは、ウソではないという証拠で、普通のところでは、人をバカにしたようになりますけれども、仏法では正直だ、ウソではないという証拠であり、舌相というのです。

 

 このあいだ、東京で運動会をやった。幹部が玉ころがしをやった。みんな一生懸命やったらしい。ところが大阪の総支部長の白木さんが、舌をだしているところを写真にとられてしまった。そうしたら奥さんが「うちの主人はまじめになると、かならず舌を出す」というのです。舌を出すのは、仏様の系統かもしれない。(笑い)

 

 其の上最第一の秘事はんべり此の経文は後五百歳・二千五百余年の時女人の病あらんと・とかれて候文なり

 

 これは、女の人に病気があるということを、説かれている経文だというのです。

 病気といっても、なにもからだだけの病気だけでなくて、心のおかしいのも、病気のうちにはいるのです。女くらいやきもちやきはいません。(笑い)

 

 阿闍世王は御年五十の二月十五日に大悪瘡・身に出来せり、大医耆婆が力も及ばず三月七日必ず死して無間大城に堕つべかりき、五十余年が間の大楽一時に滅して一生の大苦・三七日にあつまれり

 

 阿闍世王というのは、御本尊の中にもお認めになっておりますが、提婆達多と仲間になって、釈尊の仏法を弘めることを邪魔した張本人、親玉です。耆婆というのは、大臣でありまして、非常な名医です。五十の三月七日に死ぬことが決まったというのです。名医である耆婆もどうすることもできない。からだが非常に臭くなって、手がつけられなかったそうです。それは謗法からきたものです。

 

 定業限りありしかども仏・法華経をかさねて演説して涅槃経となづけて大王にあたい給いしかば身の病・忽に平愈し心の重罪も一時に露と消えにき

 

 すなわち、耆婆のいうのには、これは医者で治せる病気ではない。あなたのは謗法からきたのであるから、ただちに仏のところにもうでて、そうして懺悔しなさいと。そして仏のところへ行って懺悔をした。仏ときに涅槃経を説かれて、阿闍世の病気がなおったのです。

 それから百四十歳まで生き、そうして、仏法第一回の経文の結集を、この人の手でやっております。ですから、死ぬと決まった命でも、この人のように延びるのだぞといっているのです。

 

 仏滅後一千五百余年・陳臣と申す人ありき命知命にありと申して五十年に定まりて候いしが天台大師に値いて十五年の命を宣べて六十五までをはしき

 

 陳臣の話はあまり詳しい記述はない。だが、色々にいわれている。非常に偉い人相見がおりまして、知命というのは、この五十のことをいうのです。四十を惑というのです。「四十にして惑わず五十にして天命を知る」と申しまして、この人は五十歳で死ぬと、中国で一番偉い人相見からはっきりいわれた。

 この人が、いよいよ死が近いと感じて、天台の門にはいって、十五年の、命を延ばしたというのです。そのとき再びその人相見と会ったそうだ。驚いていわく「おまえの命を延ばす法が中国にあったか」と。ほとほとに感じ入ったという古事が残っている。それを大聖人様はお引きになっているのです。