聖人知三世事講義(御書全集九七四ページ)

 

 これは、仏法の奥義を論じられている御書であります。

 

 聖人と申すは委細に三世を知るを聖人と云う

 

 この聖人という言葉が問題なのであります。

 日蓮大聖人様と申し上げておりますが、私は不思議に思っておりました。世間でも近江聖人とか、何々聖人とかというように、後の人がつけた名前だろうと最初は思っておりましたが、いよいよ仏法を学するに当たりまして、日蓮大聖人という御名前は、御自分でおつけになっていらっしゃるのだということがわかりました。

 それを、真に信じていらっしゃったのが、ご開山日興上人です。聖人とは、仏ということなのです。法華経の行者という言葉は、すなわち仏ということなのです。仏の別名なのです。世間で行者というと、あれは乞食のことです。法華経の行者と大聖人様がお名乗りあそばすときは、御自分が仏であるとの御確信の上なのです。また聖人という言葉をお使いになるときも、大聖人様は同じく仏の境地において、御使いあそばしているのです。

 

 儒家の三皇・五帝並びに三聖は但現在を知って過・未を知らず外道は過去八万・未来八万を知る一分の聖人なり

 

 これは、内外相対という、日蓮宗学においては重大な問題です。私は今、世間のジャーナリスト連中が、あまりうるさいので"折伏論"をもう一遍「大白蓮華」に書いておりますが、三世を知らなければ、仏法の奥義はわからないのです。なぜかならば、折伏はなぜ大事かということを知らないのです。まるで暴力で相手を折り伏していくのだと思っている。ある学者が、私のところへきて「私は信仰するけれども、折り伏しはできん」といった(笑い)。なにも折り伏しなんて教えたおぼえはないことです。

 

 折伏ということは、これは、観心本尊抄に通ずる大議論でありますが、われわれの生命というものは、宿命をもって生まれているのです。女に生まれるということも、男に生まれるということも宿命です。宿命などないと誰が断言できる? 

 ところが、宿命は宿命でいいけれども、これを打開できなかったらどうなるか。「おまえの貧乏なのは、前の世で泥棒したからだ」「ああ、そうですか。よくわかりました」などといったって、わかっただけで一生貧乏しているのでは困るではないか。あきらめて、一生貧乏で暮らすなんて、そんなバカなことがあるものですか。

 

 ところが、過去世において泥棒しようと、人殺ししようと、それによってできた不幸な宿命を、大御本尊様をたもつことによって、転換できるのです(拍手)。三世の生命観に通達して、初めて大聖人様の学説がわかるのです。

 

 ところが、三皇・五帝にもせよ、孔子にもせよ、老子にもせよ、孟子にもせよ、儒教においては、この因果論を知らない。今だけ立派にやっていれば、世間の人は立派に思うと、こう説いているだけなのです。

 

 だから、へたくそな宗教観などを教えると、それにひっかかってしまう人が多い。「あの人は、宗教家のくせにあぐらをかいている」などという。

 あぐらをかいたって、おならをしたっていいではないか。出るものは出したらいいではないか。(爆笑)

 そういうかっこうをつくるのが儒教なのです。宗教家という者は、そういうかっこうをつくらなければならないのかと、世間では思っているが、私はそんなかっこうはつくらない。だから今のジャーナリストは、私を批難する。徳川夢声君なんかいい人だから、あまり悪口いわないけれど、大宅壮一君などは、悪口いうために生まれた人物だ(笑い)。さんざん悪口をいっている。本部へきたときだっていっているのです。「私は前科者だから、叩かれないようにしてくれよ」などと。叩きもなにもしないのに。

 

 三皇・五帝が三世の因果を知らない、これを内外相対というのです。ところが、外道の中でもバラモンは、過去八万、未来八万を知っている。しかし、根本は知らない。永遠の生命までこないけれども、過去・現在・未来と立てているから、儒教と比べればバラモンの方が上なんだというのです。次に、バラモンと仏教との問題にはいってくるのです。

 

 小乗の二乗は過去・未来の因果を知る外道に勝れたる聖人なり

 

 そこで、仏法にはいってくると、阿含・方等・般若・華厳・法華となるのです。そのうちの、小乗経の阿含においては、因果の法を知っているというのです。阿含、すなわち小乗経の声聞は、過去と現在と未来を知っている。

 たとえば、孟蘭盆会をやった目連尊者は、小乗経に説かれている最初の声聞ですが、目連は自分の母親が餓鬼道にはいっているのを知っている。そこで、どう救ったらよいかと悩むのです。物を食べさせようとするが、口に入れるとみんな火になってしまうのです。水をかけると、それがまた火になって燃えてしまう。そこで神通第一といわれた目連ほどの声聞も、手を焼いてしまって釈尊に助けを求めた。「おまえがいくら神通力があってもダメだ。聖僧を集めて供養をしなさい。そうすれば、母親は自然に救われる」と釈尊はいったのです。これは供養の原理であります。そこで目連は聖僧を百人集めて供養して、母親を救ったというのです。

 

 小乗の菩薩は過去三僧祇菩薩、通教の菩薩は過去に動喩塵劫を経歴せり

 

 今度は、声聞でなくて、釈迦仏法における菩薩論を述べているのです。蔵通別円といいまして、円教にも種類があり、法華経は、ほんとうの円教です。そこで、蔵教の菩薩がどういう修行をしたかというと、三僧祇劫という長い間、いろいろの修行したというのです。そして次に、通教や別教と比べているのです。

 

 別教の菩薩は一一の位の中に多倶低劫の過去を知る

 

 今度は、別教華厳です。その階級の菩薩は、一一の菩薩の位において、過去になにをやってきたか知っているというのです。

 

 法華経の迹門は過去の三千塵点劫を演説す一代超過是なり

 

 法華経の迹門は円教のうちなのです。円教の菩薩は三千塵点劫を知っているというのです。三千塵点劫と申しますのは、大通智勝仏という仏があり、その十六人の息子の中に釈迦牟尼仏がいたというのです。その釈迦牟尼世尊には、六百億という弟子がいた。それもだんだんと仏にして、その残りのかすが、インドへ生まれてきたというのです。

 そのとき釈尊は、はじめて目連にも、舎利弗にも、大迦葉にも、菩提迦葉にも、みんないったのです。「おまえ達は、二乗で満足しているけれども、昔を思い出してみよ。三千塵点劫以前において、私の弟子になって、仏に誓いを立てたではないか。なぜそれを思い出さないのだ」といって、三千塵点劫の過去を説いて、彼らを覚知させて、仏にしたのは、法華経迹門なのです。

 

 本門は五百塵点劫・過去遠遠劫をも之を演説し又未来無数劫の事をも宣伝し

 

 そこで、本門になると、三千塵点劫などという問題ではない、五百塵点劫です。寿量品の講義を聞かれた人はわかります。ところが、間違ったことをいう人がいるのです。法華経を読んだことないらしい人が、迹門の三千塵点劫と、本門の五百塵点劫と三千より五百が少ないから、短いのだなどという。それは三千と五百を比べたら五百の方が少ない数だけれど、塵点というところに問題があるのです。それを折伏に行って、これで、やられてくるバカがいるのです。五百塵点劫とは永遠にほぼ近い。そのほぼがあるからいかんという。

 寿量品で釈迦如来ははじめて宣言する。「私はインドで仏になったのではない。五百塵点劫という大昔に仏になったのだ」という。これを、仏の第一番成道という。ここが問題なのです。これから文底へはいってくるのですけれども、身延あたりは、文底へはいれないものだから、ここで迷うのです。

 ですから、身延あたりの三宝の立て方は、五百塵点劫第一番成道の釈尊を仏の宝にする。南無妙法蓮華経を法の宝にする。大聖人様を僧の宝とする。このように、食い違ってくる。だから誤って、釈迦像を祀るのです。これを、大聖人様は、この次に破折あそばすのです。

 

 之に依って之を案ずるに委く過未を知るは聖人の本なり

 

 ここへつけ加えて、いわなければならないのは、文底になりますと久遠元初が仏法の根底となる。この久遠元初という大聖人様の思想は、アインシュタインの相対性原理とごく似ている。宇宙というものについてのおもしろい原理なのです。日本でアインシュタイン先生に会った人は、何人いるか知らないが、僕は会ったのです。バカに親しいみたいにいいますが、初代の会長といっしょに、あの人が日本へきて、相対性原理の説明をするときに、慶応大学の講堂でやったのですが、そのときに行ったのです。向こうは知らないけれど、こっちの方は会っているのだ。そんな会い方だけれども、あの人の相対性原理を聞いた。日蓮大聖人様の久遠元初という思想もそれなのです。

 

 皆さんがいるから宇宙がある、相対してある。皆さんがいなければ、宇宙なんか、あってもなくてもいいものだろう。地球があったり、太陽があったり、星があったりするから、宇宙なのです。もし、それらがみんななくなったら、どうなるのだ。宇宙だって、一つの点ではないか。点というのは、あなた方が普通考える点と、幾何学上の点とは違うのです。点とは位置だ、広さもなければ、幅もない。宇宙というものも、そのようなものです。

 あなた方も、私も、生きているから宇宙がある。時間だって、そんなものです。過去永遠のものを認めるから、今がわかるのです。また、今を認めるから、過去永遠を認めるわけだ。それを久遠元初といって、五百塵点劫のその根底に、宇宙即我、我即宇宙の生命論が、大聖人において完成されている。それがわからずして、議論してもだめです。

 

 教主釈尊既に近くは去って後三月の涅槃之を知り遠くは後五百歳・広宣流布疑い無き者か

 

 これは、釈尊の予言に用いておられる。法華経の結経の中に「私は三月後に死にます」といっているが、そのとおりになっていったというのです。それから、後五百歳というと釈迦滅後二千年から二千五百年、その間に、妙法蓮華経が広宣流布するという予言がある。釈尊は、過去、五百塵点劫を知り、三月後の涅槃を予言し、しかも、後五百歳において、妙法蓮華経が弘まると予言した。これが当たらんわけはないではないかとおっしゃっているのです。

 

 これには問題がありまして、私はいま撰時抄講義を書き出しておりますが、釈迦滅後二千五百年だか、三千年だかわからない、あてにならないと君らは思うだろう。ところが、そうではないのです。あてになるのです。チベットの経文によると、釈尊滅後一万何千年なんていうのもあるのです。釈尊がいつ死んだかわからないようであるが、大聖人様の計算の仕方はきちんとなっている。法然等の、昔の宗教界の大家は皆これを使っている。そのわけもみな撰時抄講義に書いておきますけれども、大聖人様がお用いになった暦に間違いはないのです。

 

 ただ、ここに困った問題が一つある。釈尊滅後に、阿育大王という男がおりました。これはおもしろい人で、他国へ征伐に行っても財産なんか持ってこないで、仏の骨ばかり持ってきたというほど信心の厚い人でしたが、この人の書いた表と比べてみて、ペルシヤを通ってきたアレキサンダー大王の歴史を見ると、釈尊滅後の年代が縮まってくるのです。

 

 ところが、これを解くヒントを得たのは姉崎潮風氏です。高山樗牛と兄弟弟子で、帝大で、日本で仏教を再研究しはじめた偉い博士です。この人の研究によると、一年を二年とみている形があるというのです。インドの雨季の問題、米が一年に二度とれるという問題です。一年を地球の回り方でみないで、精神的計算でみたという。

 これは、姉崎潮風氏のえらい発見です。それから計算すると、二千五百年が立派にあるのです。どの本を使ったかということも、撰時抄講義にきちんと書いておきますが、そこが問題なのです。

 われわれが酒を飲んで、グッスリ一日じゅう眠って、次の日に起きたとしたら、どうなるのですか。どのくらい寝たんだかわかりますか。時計を見れば「まあ、よく寝たなア」などとビックリするけれど、時計がなかったらなにもわからない。時計という、暦という相手があるからだ。これが相対性原理だ。ウソだと思ったら、やってごらんなさい。時計もなんにもなしにして(笑い)。ですから、時の計算というものは、その間で起こった現象によってするのです。若い時には、人生は長い。われわれのように年をとってくると短くなる。アララという間に、もう一年たってしまう。情けないものです。ちっとも残さないうちに、アララという間に死んでしまう。(笑い)