さて皆帰りしかば去年の十一月より勘えたる開目抄と申す文二巻造りたり、頸切るるならば日蓮が不思議とどめんと思いて勘えたり、此の文の心は日蓮によりて日本国の有無はあるベし、譬へば宅に柱なければ・たもたず人に魂なければ死人なり、日蓮は日本の人の魂なり平左衛門既に日本の柱をたをしぬ、只今世乱れてそれともなく・ゆめの如くに妄語出来して此の御一門どしうちして後には他国よりせめらるべし、例せば立正安国論に委しきが如し、かやうに書き付けて中務三郎左衛門尉が使にとらせぬ、つきたる弟子等もあらぎ(強義)かなと思へども力及ばざりげにてある程に、二月の十八日に島に船つく、鎌倉に軍あり京にもあり・そのやう申す計りなし

 

「開目抄」という御抄は、人本尊の開顕をなされている御書であります。すなわち、法華経の行者こそ仏なりという決定論なのです。それを御作りあそばしたのです。佐渡でお認めになったのです。法本尊の開顕は「観心本尊抄」であります。この二冊がはっきりと腹にはいれば、日蓮正宗の教学は、まず胸にはいったということができるのです。

 

 さて、一同も帰ったので、去年の十一月から考えていた開目抄を二巻、佐渡の国でお認めになって、これを四条金吾殿の使いにもたせて、鎌倉の弟子達に与えたとおっしゃるのです。

 このとき、大聖人様の首はいつ斬られるかわからないといううわさでありますから、初めて、この人本尊の開顕をこの開目抄に認められて、もし首を斬られるならば、日蓮大聖人の身の不思議をとどめようとなされたというのです。開目抄が心肝にそめて拝されるようになれば、日蓮宗の本体がわかる。これが読めるようにならなければ、日蓮宗学はわからないといわなければならない。不思議をとどめておくとおっしゃって、お認めになられたのが、この開目抄です。上下二巻です。すなわちこの開目抄の心は、日本の国が助かるか助からないかは、日蓮の存在と関係があるというのです。ちょうど家に柱がない、それでは少しもたもたないではないか。人の心に生気がない、それでは死人ではないか。日本の国に日蓮大聖人がいなかったらダメだ。自分がおらなければという意味です。

 

 平左衛門というのは、鎌倉の、今でいえば総理大臣級の人です。この人は熱原の法難後七年目に、子供を佐渡に流された。十四年目に、熱原三烈士の首を斬った自分の家で殺されております。七年、十四年とかかっているのです。よほど罪の重い人です。ですから、平左衛門が大聖人を流した。平左衛門が日本の柱を倒したとおっしゃっておられる。これは大聖人様の時です。

 

 今、日本の国に創価学会が本尊流布を行なっておりますが、この創価学会を倒したならば、日本のほんとうの繁栄はないのです(拍手)。創価学会こそ日本の国の柱であり、眼目です。(拍手)

 すなわち、平左衛門、鎌倉幕府の一族が同士打ち、仲間割れをして後に他国から攻められるであろう。そのゆえは立正安国論に、すでに詳しく述べたとおりです。このように書きつけてあるというのです。遂に他国から攻められた、すなわち蒙古襲来です。あれが鎌倉幕府を倒す原因となっている。

 

 今でも、日本の国にとって、あぶない事件は、もうドルやポンドが不足になってきている。ぼやぼやしてのんきな顔をしてはいられない。神武以来の景気だなどと、そんなウソをいってもだめです。財布の中はカラッポなのが、神武以来ではないか。ウソだと思ったら自分の財布をつかんでみなさい。聖徳太子が何人いる。いないのではないですか、神武以来ではないか。

 

 中務というのは官職の名前です。この四条金吾は非常に剛毅な方です。私と非常に仲が良い。会ったことはないけれども。七百年前にいっしょにいたかもしれない。大聖人様に冠をきちんとかむって、昼間酔っぱらって鎌倉の町をフラフラと出歩くなといわれております。お酒が非常に好きで、昔は帽子などなく冠です。それを横っちょにして、フラフラと歩いていた(笑い)。非常に剛毅なお方で、大聖人様はこの人の使いに、開目抄を書いてもたしてやったとおっしゃるのです。

 

 この開目抄はきびしい御書です。法華経の行者は日蓮である。日蓮なくして日本の国はもつものかという御書です。弟子どもは脇にいたけれども、あまりに強すぎる、そう強くてはという顔をしたけれども、大聖人様が断固としてお認めあそばされているから、およばずと思った。そうするうち、二月の十日に船が島にきたというのです。

 鎌倉にも京都にも、戦争が起こったという知らせがそこにきたというのです。

 

 六郎左衛門尉・の夜にはやふねをもって一門相具してわたる日蓮にたな心を合せて・たすけさせ給へ、去る正月十六日の御言いかにやと此程疑い申しつるに・いくほどなく三十日が内にあひ候いぬ、又蒙古国も一定渡り候いなん、念仏無間地獄も一定にてぞ候はんずらん永く念仏申し候まじと申せしかば、いかに云うとも相模守殿等の用ひ給はざらんには日本国の人用うまじ用ゐずば国必ず亡ぶべし

 

 さて本間六郎左衛門は、その夜早舟で一門を引き連れて鎌倉に上ったというのです。ところで、一月十六日に、本間六郎左衛門に向かって「一つの不思議をいおう、なぜ鎌倉に行かないのか」という、先ほどの話がありましたが、三十日もたたないうちに、大聖人のお言葉があたってしまった。だから、たなごころを合わせて、助けたまえ、もうけっして念仏はやらん、南無妙法蓮華経以外は唱えないといった。ところが、その本間六郎左衛門が、あなたのいうことが三十日以内に起こって、そのとおりになった。そこで、あなたのいう蒙古国もかならず攻めてくるであろう。また念仏は無間地獄というのも、それも一定であろう。もう念仏はいいません、たすけたまえと六郎左衛門が申したというのです。

 

 相模守殿が、大聖人の意見を用いなかったならば、日本の国の人々は用いない。だからそうなれば日本の国はもたないであろう。すなわち北条一族が、滅びるであろうとおっしゃったというのです。

 一月二十八日の幹部会の時に総理石橋湛山氏が、昭和三十二年一月六日に権大僧正の衣をもらったことについて、これはあぶないといったのです。ですから、彼が病気になる前に一二十八日の幹部会で、このまま行ったら日本の国に大災難が起こるぞと、私は、はっきりいいきっておいた。それで、彼は遂にたおれた。湛山氏が気の毒だ。しかも彼が遂に総理の位置を去らなければならない。だから私がいうのです。もし身延派に真の実力があるのならば、湛山を助けてみなさい。法力をもって仏力をもって助けられるだろう。ところが助けられないではないか。権大僧正の位なんかやるのはたいしたものではない。彼が病気になったとき、どうして助けないのです。そう思いませんか(拍手)。権大僧正を返して謗法払いをして、きちんと日蓮正宗に帰依すれば、戸田の生きている間だったら絶対助けてあげます。(拍手)