ゆいのはまにうちいでて御りやう(霊)のまへに・いたりて又云くしばし・とのばら・これにつぐべき人ありとて、中務三郎左衛門尉と申す者のもとへ熊王と申す童子を・つかわしたりしかば・いそぎいでぬ、今夜頸切られへ・まかるなり、この数年が間・願いつる事これなり、此の娑婆世界にして・きじとなりし時は・たかにつかまれ・ねずみとなりし時は・ねこにくらわれき、或はめこのかたきに身を失いし事・大地微塵より多し、法華経の御ためには一度だも失うことなし、されば日蓮貧道の身と生れて父母の孝養・心にたらず国の恩を報ずべき力なし、今度頸を法華経に奉りて其の功徳を父母に回向せん其のあまりは弟子檀那等にはぶ
くべしと申せし事これなりと申せしかば、左衛門尉・兄弟四人・馬の口にとりつきて・こしごへたつの口にゆきぬ
やがて、由比が浜に出て御陵の前にさしかかった。
この御陵というのは、鎌倉権五郎の墓らしいのです。そこで「しばらく待て、ここに知らせる人がある」といって、熊王というものを使いにやって、長く強盛に、大聖人様を信仰していた、四条金吾殿の兄弟を呼びにやったのです。
大聖人様の御心は今夜首を斬られる、数年来、願ったことはこれだ、首斬られるのを願うぐらいの、本当の確信のもとにいられるのですから、偉大な御本仏の境涯と申すべきです。
こういう御言葉は、いつも申しますように、三世の生命観がはっきりしているからです。前に、キジに生まれたときにはタカに食われたこともある。ネズミに生まれたときはネコに食われた。そうなると、こっちも心細くなるような気がします。今後、ネコに生まれてくるのはよいとしても、ネズミに生まれて食われるのかと思うと。
しかし、この南無妙法蓮華経をしっかり拝んでさえいれば、絶対にそういう畜生道へおちることはないのです。
だからタカやキジ、ネズミやネコや犬なんかになる必要はないのだから、安心してよいわけです。人と生まれても、妻のために子のためにかたきのために命を失ったときは、大地微塵の数よりも多かったが、法華経のためには一度も命を捨てたことはない。
われわれは人に悪口はずいぶんいわれるが、法華経のために悪口をいわれることはない。私はありがたいことには、法華経を弘めるために、御本尊流布のために、さんざん悪口をいわれている。こんなありがたいことはないと思っています。
このごろ景気が良くなったか悪くなったか知りませんが、あまり悪口をいわれない。心細く思っております(笑い)。
大聖人様は命を失おうとまで御覚悟あそばしています。末法の凡夫である私が、命は誰もとらないでしょう。とっても、もうからない。せめて悪口ぐらい、うんといわれて大御本尊様へ御奉公したいものだと思っています。あなた方も遠慮なくいって下さい。喜んで受けます。私もその覚悟なら、あなた方も少々悪口をいわれても、びっくりすることはないでしょう。(拍手)
自分がこの命を法華経のために捨てたいと思っても、仏様のお許しがなくては捨てられるものではない。ただ、願わくは、同じ死ぬのなら、本尊流布のために、この命を捨ててみたいと思うが、そうなるかならないかは私の運勢だ。畳の上では死にたいとは思わない。同じ死ぬなら、本尊流布のためにピストルの弾丸ででも死んでみたいと思うのです。
貧道ということは、貧乏な僧ということではなくて、学問の足りない僧侶ということを貧道といっているのです。ここは御謙遜の言葉です。貧道の身と生まれて、父母の孝養も心にまかせず、国の恩も報じない。この国の恩という言葉はおもしろい言葉で、初代の会長がよくいっていましたが、このわれわれの着ている洋服、これを考えてみても、自分が金を出して買ったということだけで、自分のものだという心を起こしてはあいならない。
これにはオーストラリアの羊飼いが羊を連れて草を食わせ、あるいはそれを刈りとった人もいるだろう。日本にもってくるためには人夫も働いただろう。これを織った女工もいるだろう。そういう人たちの恩というものを思わねばならないということをよくいわれましたが、大聖人の国の恩を報ずべき力なしという一言はその意味です。
そういう意味からいくと、大聖人様は社会学者といえるでしょう。
すなわち、法華経のために、今晩首を刎ねられ、命を捨て、その功徳を父母に回向する、まわってくることです。残りを弟子檀那に与えるであろう。前々からいっていたのはこのことだというのです。
回向というのはおもしろいことでして、御本尊に向かって先祖代々の供養を申し上げ題目を唱える。それは先祖のために題目を唱えたのですが、それが回って、わが身にくる。それを回向という。また、自分が人を救わんがために折伏を行じたとする。その功徳は回向して、また回って先祖代々にいく。そういうようになっている。
だから、自分が首を刎ねられた功徳を父母に回向し、回って、またその残りを弟子檀那に渡そうといったのは、前前からのことであるというのです。
そのように申し聞かせたので、四条金吾殿等の兄弟四人は悲しみのあまり、顔を上げることもできず、ただ大聖人の乗られた馬の口に取りすがりながら、腰越の竜の口に行ったというのです。
此にてぞ有らんずらんと・をもうところに案にたがはず兵士どもうちまはり・さわぎしかば・左衛門の尉申すやう只今なりとなく、日蓮申すやう不かくのとのばらかな・これほどの悦びをば・わらへかし、いかに・やくそくをば・たがへらるるぞと申せし時、江のしまのかたより月のごとく・ひかりたる物まりのやうにて辰巳のかたより戌亥のかたへ・ひかりわたる、十二日の夜のあけぐれ人の面も・みへざりしが物のひかり月よのやうにて人人の面もみなみゆ、太刀取目くらみ・たふれ臥し兵共しおぢ怖れ・けうさめて一町計りはせのき、或馬より・をりて・かしこまり或は馬の上にて・うずくまれるもあり、日蓮申すやう・いかにとのばら・かかる大禍ある召人にはとをのくぞ近く打ちよれやけちよれやと・たかだかと・よばわれども・いそぎよる人もなし、さてよあけば・いかにいかに頸切べくはいそぎ切るべし夜明けなばみぐるしかりなんと・すすめしかども・とかくのへんじもなし。
ちょうど竜の口にまいりましたところが、そこで武士が首を斬ろうとして待っている。それで、四条金吾殿は、大聖人様が今、首を斬られるのだ、もう最後であると非常に泣いたというのです。この方は尽忠無二の人でありまして、もし大聖人様が首を刎ねられたならば、みずから追い腹を切って死のうと、腹を決めていたそうです。
「不かくのとのばらかな・これほどの悦びをば・わらへかし」と、これはちょっと無理だ。首を斬られようというのに、こんな結構なことを喜べというのです。喜べといわれたら、あなた方はどうします。「今から首斬ります」「はい結構です」などと喜べません。これは、ちょっときびしい。仏様だから、こういう確信があるのです。「いかに約束をばたがえらるるぞ」といわれたときに、ちょうど、流星が江の島から鎌倉を通って、今の茨城か埼玉方面か、あの辺まで行った。どういう大きさかわからないのですが、流星がばあーッと出てきたのでしょう。今なら「あ、流れ星だ」というでしょうが、しかし、突然に出てくれば、われわれはびっくりするでしょう。ここに急に地震があってごらんなさい。「ああ、地震だ」などと落ち着いていられないでしょう。もう、五寸も六寸も下がったら、わーッといって騒ぐでしょう。誰だって地が揺れれば地震だということがわかります。わかっているから驚かないというわけにはいかないでしょう。自分の家が焼けた。これは火事だ、驚くことはないなどといっておれないでしょう。突然の流れ星ですから、びっくりしたらしいのです。
これが、丑寅の時刻にあたるのです。この時刻は不思議な時であります。丑寅勤行というものを、総本山で行なっています。代々の法主様は一夜も欠かさずに、この丑寅勤行をなさっておられますが、その丑寅の時刻に仏になるのです。これは微妙な甚深の法門であります。
これは、ただの罪人を斬るのなら、こうは驚かない。日蓮大聖人様といえば、十年も二十年もの間、鎌倉幕府の圧迫に恐れずに、堂々と法華経を弘めてきた人でありますから、どこか、こわい人だと思っているのです。潜在意識の中にこわさがある。ですからある本によりますと、首斬り役人が「あなた法華経をやめて下さい。そうすれば、私に幾分の手柄がありますから、そのことを上に申し上げてお許しを願おうと思うから」と、こうまでいったということがウソか本当かわかりませんが、伝えられております。それくらいおっかない人だったのです。この人は不思議なことができる人だと思っている時に、流れ星が、ぱあーッと光り渡ったのだから「そら始まった!」というわけで、太刀取りは目がくらみ、たおれふし、まわりの武士たちは恐れおののいて、さあーッと逃げて行った。またある者は、馬より降りて震え出し、ある者は馬の上でうずくまってしまったというのです。
大聖人様にとりましては、丑寅の時刻というのは非常に大事なのです。仏の成道は丑寅の時刻になっている。
これは釈尊が仏を感じた三十成道といわれるときの、あの伝説本をどなたが読んでも、金星の朝ひらめくときと書いてあります。そのときに悟った。すなわち丑寅の時刻に悟ったことになっているのです。ですから、大聖人様も、首を斬られるならば、丑寅の時刻に首斬られるという御覚悟で、その時刻をはずして首斬られるのはいやだ、早く斬れとおっしゃるのです。しかし、斬れませんでしたが、このときに、初めて上行菩薩の垂迹の姿を捨てて、久遠元初自受用身如来の姿をあらわされるのです。これ以後はすべての御振舞いが仏なのです。その前は上行菩薩の再誕です。今後は久遠元初自受用報身如来の御境地をあらわされるのです。
「日蓮申すよう・いかにとのばら・かかる大禍ある召人には遠のくぞ近く打ちよれや打ちよれやと・たかだかと.よばわれども・いそぎよる人もなし、さて夜あけば・いかに頸切るべくはいそぎ切るベし夜明けなば見苦しかりなんと・すすめしかども・とかくの返事もなし」 朝になっては見苦しいし、しかも時刻も遅れるから早く打ち寄って斬れとおっしゃるのです。ところが誰も寄ってこないのです。