仏滅後・二千二百二十余年が間・迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・南岳・天台等・妙楽・伝教等だにも・いまだひろめ給わぬ法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うベき瑞相に日蓮さきがけしたり、わたうども二陣三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ天台・伝教にもこへよかし、わづかの小島のぬしらがをどさんを・をじては閻魔王のせめをばいかんがすべき、仏の御使と・なのりながら・をくせんは無下の人人なりと申しふくめぬ

 

 ところで、釈尊の仏法を考えるに、迦葉・阿難という人たちは小乗教を弘めた人です。馬鳴・竜樹という人々は釈迦滅後六百年前後の人で、権大乗教を弘めた人です。また南岳・天台は御承知のとおり法華迹門を表として本門を裏として弘めたのです。妙楽はその後、天台の学派を実践的に行じた人です。伝教は日本の国に法華経を弘めた人です。この方々も弘めなかった法華経の肝心、また諸仏の眼目である南無妙法蓮華経という大法を、一閻浮提に弘まる瑞相として日蓮まず魁けした。自分がまず、それを弘め出したというのです。

 すなわち、わとうども、おまえ達は二陣三陣と続いて、迦葉・阿難にも勝れ、天台伝教にもまさるような行動をとれと。実際、今、大聖人のお示しのとおりにやっているのは創価学会だけです。これは神武以来です。(笑い)

 

 わずかの小島の主に驚かされて、この迫害に堪えられなかったら、この閻魔王の責めをどうするのだ。閻魔王の責めは、こんな小島の主に驚かされるよりも、もっときびしい。ところで、戦争中にこの種種御振舞御書の「小島のぬしらがをどさんを・をぢて」という文をもってきて、「日蓮という坊主はケシカラン坊主だ。あれは不敬罪だ。天皇陛下をつかまえて、小島の主だなどとはなんだ。けしからん」とこういう議論が成り立った。あなた方が今、ちょっと聞くと、そんなふうに思うでしょうが、大なる僻見です。それは御書を読みかじったものです。

 

 生まれて初めて、御書にとっついて種種御振舞御書のここを読むというと、小島の主すなわち天皇陛下と直観するが、そうではありません。この種種御振舞御書だけでもよいから気を静めて読むと、小島の主が誰であるかということが、はっきり出てくる。ましてや、ほかの御書とも、よくよく読んで引き比べてみれば、この小島の主というものが北条幕府をさしているということがはっきりします。これは天皇陛下ではありません。北条幕府の執権者をさして「小島のぬしらがをどさんを・をじて」といっているのです。仏教というものは実力をみるのでありまして、形式論ばかりやるのではありません。ですから、この小島の主というのは幕府です。今は、日本の主というと主権在民ですから、一往われわれですけれども、再往考えれば今の政府です。ここのところを読み違えないようにして下さい。

 

 ふだんは、仏の使いなどと偉そうにいっているけれども、迫害が起こってくると、びっくりしてしまって、無下の人になるというのです。この前の選挙のときに、学会がさも悪いことをしているみたいに色々と書き立てられた。なにも悪いことなんかしていない。ところが、新聞に書き立てられたので驚いて、選挙にも行かない者がいる(笑い)。新聞に書かれたぐらいでも驚く者がいますが、最初から悪口いわれるのは覚悟のうえだから、なにをいわれてもなんとも思わない。また新聞に書いてあるのに、いちいちびっくり、しゃっくりしたら、肝っ玉がなくなってしまう。そんなものではない。あなた方は驚かずに信心しなさい。私は、はがゆく思うのです。やりさえすればかならずよくなることはわかっている。総本山での質問会など「信心、二年もやって病気がよくならない」などというが、そんなのやっていないのです。ウソです。そんなバカな話があるものですか。金持ちになるのは時間がかかる。金欠病というものは重病です。子供のときから、かかっているのだから、なかなかなおらない(笑い)。これは少々時間がかかりますが、それでもかならずなおります。この信心を一生懸命にやって、折伏をして、商売を熱心にやればかならず金欠病はなおる。それをどうしてやらないのかと思います。

 

 さりし程に念仏者・持斎・真言師等・自身の智は及ばず訴状も叶わざれば上郎・尼ごぜんたちに・とりつきて種種にかまへ申す、故最明寺入道殿・極楽寺入道殿を無間地獄に堕ちたりと申し建長寺・寿福寺・極楽寺・長楽寺・大仏寺等をやきはらへと申し道隆上人・良観上人等を頸をはねよと申す、御評定になにとなくとも日蓮が罪禍まぬかれがたし、但し上件(かみくだん)の事・一定申すかと召し出てたづねらるべしとて召し出だされぬ、奉行人の云く上のをほせ・かくのごとしと申せしかば・上件の事・一言もたがはず申す、但し最明寺殿・極楽寺殿を地獄という事は・そらごとなり、此の法門は最明寺殿・極楽寺殿・御存生の時より申せし事なり。

 

 ところで、念仏、律宗、真言宗等の僧侶は、大聖人様の智にはおよばないので、大聖人様を破折するわけにはいかない。訴えても、表向きはどうにもならない。そこで、尼御前という幕府の高官の未亡人や、上郎というまだ未亡人にならない位の上の女の人たちに取りついて、色々讒言したというのです。悪口をつげたというのです。

 

 次に誇張もはいっているのですが、後の方はしっかりしているのです。故最明寺入道時頼、極楽寺入道重時等が地獄に行ったと日蓮はいっている。また時頼や重時たちが建てたところの寺々は焼き払ってしまえと。また良観和尚や道隆和尚 ー そのころには生仏のように思われていた ー を殺してしまえと。こういうことをいっているといって讒言した。

 評定などはかける必要もなく、日蓮大聖人の御身の上に、大科をかけられるのはあたりまえだというのです。

 

 このことは「一昨日御書」の中にありますが、文永八年のこのときに一応、評定衆に大聖人様は呼ばれた。ところで、最明寺入道時頼や極楽寺入道重時が地獄に行ったということは、それはウソだ。しかし、お寺を焼き、道隆や良観の首を刎ねよという持論は、実際に、そうしろというのではなく、邪宗がある故に日本の国は災難が起こるのだから、彼らを追い払ってしまえというのです。立正安国論では布施を止めよといっておられる。その原理をおっしゃったのです。首を斬れ、しかし首を斬れということは慈悲ということから一往許すが、布施を止めよ、彼らに物をやるな、そしてその宗教を禁止しなさいという議論なのです。そして、その理由をいちいちいった。実際に今の日本の国でも僧侶くらい役に立たないものはありません本当に、かれらが一番日本の米をただで食っている寺などいりません。今の寺などというのは、全部宿舎か寮にしてしまえばいいのです。私は墓を捨てろとはいわない。墓番をおいて墓だけは、町や村で管理すればいい。それはこっちからいわなくも、そろそろ旅館にしています(笑い)。

 

 東京では幼稚園をやっている。だから仏様がだんだん旅館の親方と、幼稚園の先生に変わってきたのです。神様は結婚式の仲人です。明治神宮でも乃木神社でも、みんな結婚式場があって、神様がお出ましではないか。ひどい神様は料理店までやっている。出かせぎに。乃木大将が結婚式場の親方だなどというのは、ちょっと大将も考えなかったでしょう。東郷大将なんかも始めている。明治天皇がいたら、きっとおこるでしょう。仏様は旅館、神様は結婚式場、それで誰もなんとも思わない。大聖人様がいらっしゃったら、なんと仰せられるでしょう。

 

 なぜ最明寺入道時頼や極楽寺入道重時のことを、悪口いわなかったかということは、今いったように時頼や重時が生きているときに、すでにいっていることだから、そんなウソはいわない方がいいではないかというのです。

 

 詮ずるところ、上件の事どもは此の国ををもひて申す事なれば世を安穏にたもたんと・をさば彼の法師ばらを召し合せて・きこしめせ、さなくして彼等にかわりて理不尽に失に行わるるほどならば国に後悔あるべし、日蓮・御勘気をかほらば仏の御使を用いぬになるべし、梵天・帝釈・日月・四天の御とがめありて遠流・死罪の後・百日・一年・三年・七年が内に自界叛逆難とて此の御一門どしうちはじまるべし、其の後は他国侵逼難とて四方より・ことには西方よりせめられさせ給うべし、其の時後悔あるべしと平左衛門尉に申し付けしかども太政入道のくるひしやうに・すこしもはばかる事なく物にくるう。

 

 ところで、このように、今の邪宗教を攻撃するゆえんは、国を思い国家の将来を思っていっているのですから、かの邪宗の者と議論させてみなさいというのです。

 

 しかるに悪い彼らを罰しないで、この日蓮を罰するようなことがあるならば、かならず国に科がある。私もそう思います。時の総理大臣が邪宗身延の権大僧正などになるから、これは問題なのです。あれが、もし権大僧正が総理大臣としてやってごらんなさい。国になにかとがが起こる。それが恐ろしいから、昭和三十三年一月二十八日にいっておいた。今こういえば「戸田はうまいこといっている。あいつは、総理大臣がヨタヨタになったものだから、あんなこという」といわれるかもしれないが。その前にいっておいたのだから、いずれにしても当たったのです。まぐれ当たりだなどといわれてもしようがない(笑い)。当たったことは当たったでしょう。早く止めた方がいいのだ。あれが日蓮正宗であったなら、御本尊様はあのままにしておきません。かならずなおる。護秘符があります。身延では治せないではないか。身延にも本尊というものがある。キツネだかタヌキだか、まつっているのだから(笑い)身延に本当に法力があるのなら助けてみたらどうか。増田新法主がやったらいいと思うのです。やれないのはどういうわけだ。ききめがないからです(笑い)。また恥をかくといけないから、やらない方がいいかもしれない。身延は、こういう大事なときには、黙ってコッソリしているのです。日蓮正宗はそんなことはありません。断じて大御本尊にお願いして、治してみせる。石橋君が身延をやめて、日蓮正宗に帰依すれば治してみせます。それくらいの力がある。本当です。

 

 すなわち大聖人様が罰をうけるようであれば、仏の御使いを罪にしたことになる。

 ここに百日・一年・三年・七年を出でずという言葉があるのです。これは文証です。もしそういうことをするならば、梵天・帝釈・日月・四天等のおとがめがあって、大聖人様を遠流・死罪にされてから、百日・一年・三年・七年のうちに、かならず国に同士打ちがある。自界叛逆難が起こるだろう。その後には、かならず他国侵逼難といって他国から攻められるであろう。すなわち平左衛門尉という、執権を国王だとすれば時の総理大臣のようなこの人は、熱原の法難の七年後に子供が島流しになり、その後、さらに七年目に自分の家で殺されてしまった。謗法の罪は、こわいのです。ですから、この人が太政大臣すなわち平清盛の荒れ狂ったように、荒れ狂って大聖人様に食ってかかったというのです。