一劫と申すは八万里なんど候はん青めの石を・やすりを以て無量劫が間するともつきまじきを、梵天三銖(しゅ)の衣と申してきはめてほそくうつくしきあまの羽衣を以て三年に一度下てなづるになでつくしたるを一劫と申す、此の間無量の財を以て供養しまいらせんよりも濁世の法華経の行者を供養したらん功徳はまさるべきと申す文なり、此の事信じがたき事なれども法華経はこれていにをびただしく、ことごとしき事どもあまた侍(はん)べり、又信ぜじと思へば多宝仏は証明を加へ教主釈尊は正直の金言となのらせ給ふ、諸仏は広長舌を梵天につけ給いぬ、父のゆづりに母の状をそゑて賢王の宣旨を下し給うが如し、三つ是一同なり誰か是れを疑はん、されば是れを疑いし無垢論師は舌五つに破れ嵩(すう)法師は舌ただれ三階禅師は現身に大蛇となる徳一は舌八つにさけにき、其れのみならず此の法華経並に行者を用ひずして身をそんじ家をうしない国をほろぼす人人・月支・震旦に其の数をしらず、第一には日天・朝に東に出で給うに大光明を放ち天眼を開きて南閻浮提を見給うに法華経の行者あれば心に歓喜し行者をにくむ国あれば天眼をいからして其の国をにらみ給い、始終用いずして国の人にくめば其の故と無くいくさをこり他国より其の国を破るべしと見えて候。
この一劫という説き方ですが、今まで寿量品の講義では、人寿何歳という言い方で説明しておりましたが、今はまた別な劫の説明を大聖人様はなすっています。八万里もある大きな石を、やすりでけずっても何億万年もかかります。そういう石を羽衣 ー 今でいうと絹のバラバラしたいい布です ー 天の羽衣をもって、三年に一度やって来てこするのです。それではちっとも減らない。(笑い)それが減ってしまうまでの年月を一劫というのです
毎日やるのならいいけれど、三年に一度だものなかなか減(へ)らない。いくらか減るのを続けて減り切ったときを一劫というのですから、長いものです。その一劫の間、一生懸命に仏様に供養した功徳よりは、濁世の法華経の行者すなわち大聖人様の一門、また御本尊様に供養した功徳というものの方が大いに勝れているというのです。
これは大客殿の御供養も、御本尊様に対する供養ですが ー それを千円したら一万円になって返ってくるからなどという気持ちで供養してはだめです。それでは、オミクジ買うみたいではないか。相場をやるみたいではないか。そんな心ではだめなのです。ほんとうのわが真心で御供養を申し上げる。自分の真心でやらなければならない。そこには金額の大小はないのです。よけいやったから功徳をたくさんいただこうなどと、そんなものではない。その人の心です。御本尊様に対する心が、すなわち功徳になってくるのです。それを思い違いしないで下さい。
濁世のときに法華経の行者、すなわち大聖人様に供養する功徳というものはすごいというのです。これは、なかなか信じられないことであるけれども、このようなことが、おびただしく法華経には説かれているのだというのです。すなわちこれを信じないと思っても、信ぜざるをえない。それは多宝如来が証明になっている。釈迦仏は正直捨方便といい、これを信ずることが仏道の正直であるといわれているというのです。あらゆる仏が舌を梵天につけたというのです。これはインドの習慣で、ウソをつかないという証明に舌をペロッと出す。これは日本人にはおかしい習慣でしょうけれども、ウソではないというときに舌を出すのです。だから舌を出したというの
です。
父の譲り状があって、母の状があって天皇の勅宣があって、三つそこにそろっているから、信じないわけにはゆかないようなものだというのです。無垢論師という人は仏法を違えて説いた人ですが、そのため舌が五つにわれたという言い伝えがあります。謗法をした中国の嵩法師は舌がただれてものが言えなくなってしまった。三階禅師は現身のまま蛇になり、徳一は伝教のときの人ですが、天台宗を非難して「天台、お前は何でウソをつくのだ」などと、開祖たる天台を謗じた人で、この人は舌が八つにわれたという言い伝えになっております。
それは、大御本尊様を悪くいったり、法華経の行者あるいは信者を悪くいったものは、それをもって家を滅ぼし、国を滅ぼしたものはたくさんあると、大聖人様はおっしゃっています。これを私は絶対に信じます。私などは信心としてはケシ粒のような信心でありますけれども、私を憎んで成功した者はないのです。現にみております。ですから、私は知らなかったのですけれども、今は学会でも活躍している人で、名前を言うわけにはいきませんが、その人の家に行ったときに、その人が犬をけとばしたのです。私は、いきものなどをいじめるのを、あまり好かないのです。だから、だめではないかといったのです。そうしたらおこってふくれてしまって次の日こ
ないというのです。気性の強い人だからカンカンに腹を立てた。そしたらその晩、体が動かなくなった。気がついたら、直ったらしいのです。それからはもう、私には、はむかわないといいますが、私みたいな者で、そういう現証がでるなどとおかしいようだけれども、これは、私のためにでたのではなくて、広宣流布という、大行動をおこしているのに、その大行動を、はばむ心が起こったのと同じです。だから、私ではない。私のような者にはむかってもなんでもないのです。戸田という人間自体はなんでもないけれども、広宣流布という、大事業をはばむとなれば、それは現証がでてきます。またまねして、おれをうらむと、ますますひどいめに会うぞなどと、
おどかして(爆笑)いくらか借さないかなどという人がいたら、これはなお悪い。(笑い)
次にこれは毎朝、東に向いて、初座に題目を唱える原理がそれなのです。大日天は朝東からでると、法華経を信じる人たちを心から喜ぶのです。そしてまた法華経の行者を憎み、あるいは題目を憎むことがあれば非常に怒りをなすと、こういうふうに大聖人様はおっしゃっているのです。いつも三大秘法の大御本尊様を憎めば、それとなく、いくさがおこって、その国が滅びるのだというのです。
昔し徳勝童子と申せしをさなき者は土の餅を釈迦仏に供養し奉りて阿育大王と生れて閻浮提の主と成りて結句は仏になる、今の施主の菓子等を以って法華経を供養しまします、何かに十羅刹女等も悦び給らん、悉く尽しがたく候、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。
二月十七日 日蓮花押
松野殿御返事
阿育大王という方は、おもしろい方でして、ずいぶんたくさん国を広げまして、仏教を非常に弘めたのです。そして、どこに攻めていっても、持って来るものは舎利、仏の骨だというのです。そして、どこへいっても仏を讃歎した碑を建ててくる。非常に偉い人で、この人のときから歴史が残っている。この人の前がわからない。ですから釈尊滅後何年というのは世界的にメチャクチャになっているのです。ただ大聖人がお用いになっている如来滅後二千二百三十余年、これがどうも仏様が定められたのだから正しいと信ずる以外にない。そのほかに、法然や禅宗の栄西や道元などもこれを使っているのです。
これは余談ですけれども、阿育王の前の歴史がはっきりすると、なおわかりいいのです。
徳勝童子という子供は、土の餅を釈迦仏にささげた功徳によって、阿育大王と生まれてきたのです。心が大事だということでしょう。土の餅など食べられないものをやってもしようがありません。しかし何もないから、せめて土の餅でも差し上げて、自分の心を仏に通じさせたいという一念で供養をしたのです。供養というのは心の問題です。できないときはしようがないでしょう。したいという心があればよいのです。しかし、ここに金がある、したいと思うけれどやれない。したいしたいと思って、御観念文でもしたいしたいと願う。(笑い)こんなのはだめです。
今の施主の松野殿がお菓子(柑子など)を御本尊に御供養したことを、さぞや、われわれを守護している十羅刹女も四大天王も梵天・帝釈も喜んでいるだろうというのです。色々と書きたいが尽くしがたいので、これでとどめるとおっしゃっておられます。