今は一こうなり・いかなる大難にも・こらへてんと我が身に当てて心みて候へば・不審なきゆへに此の山林には栖み候なり、各各は又たとい・すてさせ給うとも一日かたときも我が身命をたすけし人人なれば・いかでか他人にはにさせ給うべき、本より我一人いかにもなるべし・我いかにしなるとも心に退転なくして仏になるならば・とのばらをば導きたてまつらむとやくそく申して候いき、各各は日蓮ほども仏法をば知らせ給わざる上(うえ)俗なり、所領あり・妻子あり・所従あり・いかにも叶いがたかるべし、只いつわりをろかにて・をはせかしと申し候いき・こそ候へけれ、なに事につけてか・すてまいらせ候べき・ゆめゆめをろかの儀候ベからず。
この御抄は、時に応じて仏法を守り、時に応じて仏法を弘める法を教えていらっしゃいます。
もう、よく分かったと、どんな大難があっても退転しないと、この理論をわが身にしっかり当てて、肚にしっかり決めてしまうと、あらゆる大難にあっても何の不思議もない。「此の山林には栖み候なり」と、これは、「三度諌めて用いざれば去る」と申しまして、大聖人様は、国家諌暁を三度なすっていらっしゃいます。それで北条家が用いないから、そこで自分は山林に身を隠したことになっています。そこは、私は行って見たことはありませんが、今、身延が、ちょうど行学日朝の後、徳川時代のはじめころから、そこを切り開きまして、大聖人様が本当にいらした場所は、はっきりしなくなっているのです。大聖人様がいらした所は、四つの川に仕切られて、
四つの山に囲まれているというのですが、国土を捨てた形で、大きな寺をたくさん建てようという御意志もなく、あそこでお暮らしになったわけですが、大聖人様のお心は、非常に楽しい、自分のなすベき務めを終わりあそばして、悠々自適の境涯の御生活でした。あなた方がいかように捨てさせ給うとも、一時片時も自分を養ってくれた、供養してくれた人だから決して忘れない。
難は、大聖人様一人で受けると。仏様というものは偉いものです。
全世界の人の苦労というのは、仏一人の苦労であると、こういわれているのです。自分はどうなろうとも、大聖人様御自身が退転しなければ、かならず自分が仏になって、おまえを救ってやろうといわれる。だからおまえ達は、大聖人様ほどに仏法を知らないし、しかも俗人である。その上に領地がある。今では月給をもらっているという意味です。妻子がある。家来がいる。だから、今、これほどの、第六天の魔王に責められるほどの難には、とうていかなうことはできないであろう。ただ「ウソで『自分はバカだからこの仏法の信心はそれほどできない』というようにして暮らせ」と教えてあるのはこのわけだ。おまえ達が、大聖人のように強く折伏するならば、かならず大難がきて、おまえ達は身が持たないからしていつわりおろかにして、この世の中をすごしてゆけ「それほどの仏法は、はっきり、できません、知らないのです」というておきなさいと。ここがわかったら、会社でよく折伏してクビになりましたなどという人がいるのですが、そういうことをするものではありません。会社は折伏にゆくものではないのです。会社とは、仕事をして月給をもらいにゆくものです。また、今は、そんなことないと思いますけれど、八百屋で、ダイコンやニンジンを買いにきた人を折伏するバカがいるのです。行く方では八百屋へお説法聞きに行ったのではないのです。ここのところの理合がよくわかったら、クビになるようなこ
とはないはずです。折伏なんか会社でやらなくても夜いくらでもできます。
そして、何事につけてもおまえ達を捨てません。決しておろそかにはいたしませんよと。実に愛情こまやかなものではありませんか。これがわれわれだったら「なんだ、会社へ行っても折伏もロクにできないで、あんな人はダメだ」などと。そうすると本人は本気になって、変なことをやってクビになってしまう。(笑い)よくよくこの御書を心肝に染めて下さい。
又法門の事はさどの国へながされ候いし已前の法門は・ただ仏の爾前の経とをぼしめせ、此の国の国主我が代をも・たもつべくば真言師等にも召し合せ給はんずらむ、爾の時まことの大事をば申すべし、弟子等にもなひなひ申すならばひろうしてかれらしりなんず、さらば・よもあわじと・をもひて各各にも申さざりしなり。
而るに去る文永八年九月十二日の夜たつの口にて頸をはねられんとせし時より・のちふびんなり、我につきたりし者どもにまことの事をいわざりけるとをもうて・さどの国より弟子どもに内内申す法門あり、此れは仏より後迦葉・阿難・竜樹・天親・天台・妙楽・伝教・義真等の大論師・大人師は知りてしかも御心の中に秘せさせ給いし、口より外には出し給はず、其の故は仏制して云く「我が滅後・末法に入らずば此の大法いうべからず」と・ありしゆへなり、日蓮は其の御使にはあらざれども其の時剋にあたる上・存外に此の法門をさとりぬれば・聖人の出でさせ給うまでまつ序分にあらあら申すなり、而るに此の法門出現せば正法・像法に論師・人師の申せし法門は皆日出でて後の星の光・巧匠の後に拙を知るなるべし、此の時には正像の寺堂の仏像・僧等の霊験は皆きへうせて但此の大法のみ一閻浮提に流布すべしとみへて候、各各はかかる法門にちぎり有る人なれば・たのもしと・をぼすべし。
「又法門の事はさどの国へながされ候いし已前の法門は・ただ仏の爾前の経とをぼしめせ」これは、よくいわれている言葉ですから、心に留めておいて下さい。佐前・佐後と申しまして、佐渡以前の御書か、もしくは、佐渡以後の御書か、その御書によって大きな区別があるのです。佐渡以前の御書は、仏の爾前経とおぼしめせと、すなわち、釈尊が五十年の説法のうち、法華経を説く前のを爾前経といいますが、その爾前経と同じ位置であると思えというのです。実際、最初のころの御書には、天台学がずいぶんはいっているのです。その上に、佐渡以前には、開目抄の人本尊の開顕と、観心本尊抄の法本尊の開顕とをしていないのです。そこで、きちんとおっしゃったのです。ところで、なぜ、佐渡以前に本当の法門の真髄をいわなかったかといいますと、すでに、立正安国論等を、時の北条執権に渡してあるのですから、もし、この国を立派にしたいと思うならば、仏法の真髄を確かめるために、真言宗の僧侶等と対決させるであろうと。そのときに、対論の席上で、大事のことをいわねばならぬ。もし、弟子どもに、そのことをいうたならば、彼らもこれを覚えてくるであろう。その真髄がわかれば、彼ら真言宗はきっと、会わないというであろう。そう思って佐渡以前にはいわなかったというのです。
ところで、九月十二日に、首をはねられようとした時から「今ここで死んでしまったならば、この大事をいわなかったならば、まことに不愍である」とおぼしめされた。九月の十二日……亡くなったのは、十月の十三日不思議なことです。天寿をまっとうして亡くなられたのが、月は一月遅れで日は一日遅れです。
首の座にすわられる前には、まだ久遠元初の自受用報身を現わさなかった。上行菩薩の境涯でおられたわけです。首の座にすわってから、久遠元初の自受用報身の開顕をなさった。すなわち、佐渡の国から、内々申す法門とは、開目抄と観心本尊抄です。これは、大聖人おひとりが作ったものではない。釈迦および阿難、迦葉、竜樹、天親あるいは天台、妙楽、伝教、義真それらの大論師はみな知っていたが、口には説かなかった。南無妙法蓮華経のことです。御本尊のことです。なぜ彼らが、この御本尊を現わし、この御本尊をいわなかったかというのに、仏が「末法にならなければいうてはならん」と制せられていたからだという。
「日蓮は其の御使にはあらざれども其の時剋にあたる上・存外に此の法門をさとりぬれば聖人の出でさせ給うまでまづ序分にあらあら申すなり」
まことに、このいい方は意味深長です。日蓮は仏の使いではないけれども、なぜ、この使いという言葉を使われましたかというと寿量品に"遣使還告"という言葉がある。すなわち、文上から読みますと寿量品は、末法の仏の予言となるのです。その使いではない、だが自分は、この法門をあらあら知っているのだというのは、どういうわけだ。何だかいい方がおかしいでしょう。聖人の出でさせ給う序分として、あらあらこのことをいうのだということは、すなわち、外用からゆけば、上行菩薩としてのお使いであり、内証をたずねれば、久遠元初の自受用報身如来であられることが、はっきりしているのです。
いったい、念仏宗がダメだとか、真言宗がダメだとか、なぜいうかという理由が、ここにあります。今この大法が現われてくると、正法像法の仏法は皆ダメになる。すなわちまた、正法像法のときに拝まれた寺堂の仏像というものは、霊験が一つもなくなってしまう。効きめがなんにもない。その上に、この法門は、一閻浮提に広宣流布されるのである。これははっきりしたものです。だから今ごろ、地蔵を拝みに行ったり、観音を拝みに行ったりする者は、この理法がわからないから行くのです。今ごろ、いくら観音を拝んでも、アミダを拝んでも、また大日如来を拝んでも、トゲ抜き地蔵を拝んでもなんにもならないのです。トゲが抜けないで、だんだん中へはいっていってしまう。(笑い) おのおのは、こういう一閻浮提に流布するところの大法に、ちぎりある人達だから、ああ、ありがたい、たのもしいと思わなければいけないというのです。
又うつぶさ(内房)の御事は御としよらせ給いて御わたりありしいたわしくをもひまいらせ候いしかども・うぢがみへまいりてあるついでと候しかば・けさんに入るならば・定めてつみふかかるべし、其の故は神は所従なり法華経は主君なり・所従のついでに主君への・けさんは世間にも・をそれ候、其の上尼の御身になり給いては・まづ仏をさきとすべし、かたがたの御とがありしかばけさんせず候、此の又尼ごぜん一人にはかぎらず、其の外の人人も・しもべのゆのついでと申す者をあまた・をひかへして候、尼ごぜんは・をやのごとくの御としなり、御なげきいたわしく候いしかども此の義をしらせまいらせんためなり。
これはこのとおりです。この内房の尼御前という方が、大聖人様にお目通りに行った。ところが、氏神さまの参りのついでにきた、と言った。自分の親のような年で、まことに気の毒であるけれども、会わないで追い返した。その理由は、法華経は主人である、神は所従である。世間のならいにも、家来の所へきたついでに、主人の所へ寄ったなどというのは、道理に合わない。ゆえに追い返したのである。ことに尼御前は、年を取っているのだから、今こそ仏道を修行しなければならないときではないか、それなのに、そんな間違った考えでどうするのかということを知らせたいから追い返したので、さぞや嘆いているであろう。また尼御前一人ではない。下部のお湯へ入った、湯治にきたそのついでに、大聖人様のお目通りに行った、こういうものは、みんな追い返しているのである。それは、何しろ御本尊が第一であるということを知らせんがためであるから、さぞや年取った内房の尼御前は嘆いているであろうから、よくよくいって聞かせてくれ、という意味です。「ちょっと熱海のお湯へ入ったついでに、大石寺へ行ってみようじゃないか」というのと、似てるところではないか。(笑い)
又との(殿)は・をととし(一昨年)かのけさん(見参)の後そらごと(虚事)にてや候いけん御そらう(所労)と申せしかば・人をつかわして・きかんと申せしに・此の御房たちの申せしはそれはさる事に候へども・人をつかわしたらば・いぶせくやをもはれ候はんずらんと申せしかば・世間のならひは・さもやあるらむ、げん(現)に御心ざしまめ(実)なる上・御所労ならば御使も有りなんと・をもひしかども・御使もなかりしかば・いつわりをうかにて・をぼつかなく候いつる上(うえ)無常は常のならひなれども・こぞ(去年)ことし(今年)は世間はう(法)にすぎて・みみへまいらすべしとも・をぼ(覚)へず、こひ(恋)しくこそ候いつるに御をとづれ(音信)あるうれしとも申す計りなし、尼ごぜんにも・このよしをつぶつぶ(委曲)とかた
り申させ給い候へ、法門の事こまごまと・かきつへ(書伝)申すべく候へども事ひさしくなり候へばとどめ候。
実にお優しいお心です。一昨年、お山へ参られてから、病気だという話であった。それで、心配して誰か使いをやろうと思ったというのです。ところで、この御房たちのいうのには「使いをやるのは、返っておかしくないでしょうか。本人はお上の目を逃れて、法華経のことで嫌疑を受けてはいけないというので、病気ということにしてあるというところへ、お使いが行ったならば、返っておかしくはないだろうか」と、こう諌められたというのです。それは世間の法として当然のことである。ことにあなたは、忠実な方であるから、本当の病気ならば使いをよこすであろうと思っていたが、使いがないから、なんとなく心配していた。無常ということは、世のなら
いである。その上に、咋年、今年にかけて世の中が法にすぎて、ふつう以上に騒がしい。だからもう、とうてい会えまいと、恋しく思っておったところへ、突然のお手紙である。尼御前にも、自分のこの心持ちを色々よく話して聞かせてやってください、というのです。法門のことは、色々と書いてあげたいけれども、事繁くなるから、ここではいわないでおく、というのです。
ただし禅宗と念仏宗と律宗等の事は少少前にも申して候、真言宗がこと(殊)に此の国とたうど(唐土)とをば・ほろぼして候ぞ、善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵・弘法大師・慈覚大師・智証大師・此の六人が大日の三部経と法華経との優劣に迷惑せしのみならず、三三蔵・事をば天竺によせて両界をつくりいだし狂惑しけるを・三大師うちぬかれて日本へならひわたし国主並に万民につたへ、漢土の玄宗皇帝も代をほろぼし・日本国もやうやくをとろへて八幡大菩薩の百王のちかいもやぶれて・八十二代隠岐の法王・代を東にとられ給いしは・ひとへに三大師の大僧等がいのりしゆへに還著於本人(げんちゃくおほんにん)して候、関東は此の悪法悪人を対治せしゆへに十八代をつぎて百王にて候べく候いつるを、又かの悪法の者どもを御帰依有るゆへに一国には主なければ・梵釈・日月・四天の御計(はから)いとして他国にをほせつけて・をどして御らむあり、又法華経の行者をつかわして御いさめあるを・あやめずして・彼の法師等に心をあわせて世間出世の政道をやぶり、法にすぎて法華経の御かたきにならせ給う、すでに時すぎぬれば此の国やぶれなんとす。
やくびやう(疫病)はすでにいくさ(軍)にせんふ(先符)せわまたしるしなり、あさまし・あさまし。
二月二十三日 日 蓮 花 押
みさわどの
念仏無間・禅天魔・律国賊ということはすでに申してある。そこで、ことに真言亡国といわれたのです。真言宗は、中国を亡ぼし、また日本の国をも亡ぼしたのである。中国では三三蔵といいまして、善無畏三蔵・不空三蔵・金剛智三蔵というのが、真言宗をつくったのです。これを習ってきたのが日本の弘法大師、この大師の教えが比叡山へはいった。それが慈覚・智証のときです。この六人の人々が、彼らが依経とするところの大日の三部経等と、法華経とを引き比べて、法華経の方が劣っていると言いだしたのです。
迷惑するというのは、今われわれが使っている意味でなく、迷うということです。真言宗のでき方はというと、真言宗の善無畏三蔵たちが中国へ来てみたら、天台の一念三千の法があるのです。これを盗んで、さもこの一念三千はもともと大日経にあり、それをインドからもって来たようにして弘めた。今度は、弘法・慈覚・智証の三大師が、それにだまされてその邪義を日本の国に弘めたというのです。
中国では、玄宗皇帝が真言宗を弘めて亡びた。そして、この三大師が日本の国に弘めた真言宗の害毒によって、八十二代の隠岐の法王の御代が亡びた。
大聖人様は、はっきりとこういう見方をしていらっしゃるのです。実権のあるところ、これ国王なりというお考えなのです。
大聖人様の御書の中に「わづかの小島のぬしらがをどさんを・をぢては……」(種種御振舞御書九一一ページ)という御言葉がありますが、それを戦争中には、天皇陛下にこんなこというとはふとどきだと、こう間違えて読んで、日蓮大聖人は不忠な人間だなどといった者がいるのです。わずかの小島の主というのは、北条執権を指しているのです。隠岐の法王が真言宗の害毒によって、実権を失ってしまった。そして、京都の朝廷は亡びたと断じているのです。そうして、この応神天皇、正八幡大菩薩が「自分はこの国を百代の間護る」といった誓いも破れて、八十二代でもってダメになってしまったではないかと。あのとき、隠岐の法王の祈りは真言宗でやったので
ある。二十五段の修法、真言の修法で祈った、その祈ってる最中に攻められて殺されてしまった。僧侶はみな殺されるし、法王は隠岐に流されてしまうし、こういうありさまで、東のなんにも仏教を知らない北条義時軍に亡ぼされたんではないか。もし法王がまことの仏法を深く信仰していたら、あるいは歴史が違ったかも知れません。
それを大聖人様が仏法理論の上から仰せられたのです。
この鎌倉方は、この悪法を退治したことになるでしょう。百代の王を守ると、正八幡大菩薩が言われたのだから、八十二代のあとをついで後十八代、鎌倉は正八幡大菩薩に守られていいわけだというのです。それで、真言宗というものを鎌倉方が用いなければ、そのまま十八代続くであろうに、悪僧、悪法に親近したから、この国が仏の国土でなくなっていた。ゆえに、他国の梵天・帝釈にいいつけて、この国を今退治する、諌めてみようということになったのだというのです。これは蒙古の襲来をいっています。
ところで、また仏は、法華の行者をつかわして、この御代を救わんとするのに、明らかにもしないで、世間の政道、出世間の政道を破って、悪僧どもと組んでいるのは、鎌倉幕府である。しかもそのやり方は、法にすぎている、ふつうのやり方ではない。このままでいったら、この日本の国は破れるであろう。これは確かです。この時代から後、蒙古襲来が原因となって、北条氏の政権が非常にメチャメチャになった。それとともに、このときに出兵された武士間の利害が激突し、ついには滅裂してしまったのです。これが北条氏の滅びる大もとになってしまったのです。しかも、その滅びた後は、日本の国はメチャメチャになりまして、三百年の間、日本国の政治は非常に乱れきりました。もうどこにも安心した所はないというような状態が続いたのです。それで、今疫病がはやっている、それは、国の滅びる前兆になっているのであると仰せられています。歴史の上からみれば、蒙古は日本の国へはいりません。一部へはいっただけで、追い出されてしまった。自然にやられてしまったのだ。しかし、これから後の日本の政道というのは、滅びたと同じです。国主という者が、ほとんどいなかったと同じ状態になってしまった。武家政権に力なく、皇室に力なく、実にあわれな日本国家になってしまったのです。
大聖人様が、国が滅びるとおっしゃった予言が当たったのです。それから七百年たちながら、今なお大聖人の教えというものは徹底されていない。だから今度の大騒ぎとなった。七百年すぎてから、符節を合わせたように事件が起こっている。ここでわれわれは心を同じうして、広宣流布をしなくてはならない。それはだれびとのためか。
自分自身のためであるとともに、日本国家を救う法は、これしかないのです。この仏法が確立すれば、政治も、外交も、力ある、そして正しいものができ上がることを、私は信じてやまないものです。(拍手) それをわかろうともしないで、色々と悪口ばかり言っていると、頭が七つにわれるであろうと思うのです。