天台此の論を承けて云く「譬えば良医の能く毒を変じて薬と為すが如く乃至今経の得記は即ち是れ毒を変じ
て薬と為すなり」云云、故に論に云く「余経は秘密に非ず法華を秘密と為すなり」云云、止観に云く「法華
能く治す復称して妙と為す」云云、妙楽云く「治し難きを能く治す所以に妙と称す」云云
そこで、天台がこの論をうけていうのには、たとえば立派な医者が、毒薬をもって薬とし、治らぬような病気
を治すように、今経すなわち法華経で、二乗が成仏の記別をうけ、舎利弗が華光如来に、迦葉が光明如来にと、
声聞がいろいろな仏にしてもらいますが、そのように、おまえは仏になった、如来になったといって証明をやら
れたのは、みな毒を変じて薬としたのです。なぜかといえば、声聞あるいは縁覚の二乗というものは、絶対に仏
になれない。誰人も二乗に供養してはいけないものだといわれている。その境涯を変じて仏というものにしたの
ですから、これは毒を変じて薬としたことになるのです。
それですから大論には、外の経は仏の秘密の法ではない、法華経こそ秘密の法だといっています。また、止観
には、しかるにまた法華経によって、他経では絶対に治せない病気を治す。これを妙という。考えられないこと
だ、不可思議境だといっているのです。
妙楽大師というのはご承知でしょうが、天台の学問を二、三百年後に出現して実践的に用いた人ですが、この
人も「治しがたい病気を治すから妙というのだ」といっています。
末法今時においては、もちろん、この法華経というのは、釈尊の説いた二十八品の法華経ではなくして、末法
の御本仏たる日蓮大聖人の、お顕わしあそばされた大御本尊と拝すべきです。医者でも治らない業病を、大御本
尊のみよく治す、これが妙であります。
大経に云く「爾の時に王舎大城の阿闍世王其の性弊悪(へいあく)にして乃至父を害し已って心に悔熱(げねつ)を生ず乃至心悔熱
するが故に偏体瘡(きず)を生ず其の瘡臭穢(しゅうえ)にして附近すべからず、爾の時に其の母韋提希と字く種種の薬を以て而
も為に之を傅く其の瘡遂に増して降損有ること無し、王即ち母に白す是くの如きの瘡は心よりして生ず四大
より起るに非ず若し衆生能く治する者有りと言わば是の処有ること無けん云云、爾の時に世尊・大悲導
師・阿闍世王のために月愛三昧に入りたもう三昧に入り已って大光明を放つ其の光り清涼にして往いて王の
身を照すに身の瘡即ち愈えぬ」云云
この阿闍世王については知っておりましょうが、いろいろのわけがあるのです。インドに頻婆沙羅王(びんばしゃらおう)という王様がおりまして、この方に子供がいなかったので、子供が欲しいと思った。そこである占いをやる人にみてもらった。
ところがその占い師のいうのには、あなたには実によい子供が生まれる。跡継ぎができる。それはこの方
角の山に仙人がいる。その仙人が命を終わったら、あなたの子供になって、生まれてくるのだからお待ちなさい
といわれた。ところが王様は、早く子供が欲しくてたまらぬものだから、待っていられない。そこで家来の者を
やって殺してしまった。ところがまもなく、奥さんの韋提希夫人に、みごもりまして生まれたのが阿闍世なので
す。これは未生怨と訳す。すなわち未だ生まれずして怨むと訳す。阿闍世は殺されたのですから、まだ生まれな
い前に怨みをもっているわけです。すなわち未だ生ぜずして怨みをもった子供が生まれてしまった。
この阿闍世のように、親に怨みをもちながら生まれてくる子供もあるのです。だからよく質問会で、子供が欲
しいという言葉も聞きますが、しっかり信心して、上等品の子供を産まなくてはならないといっているのです。
(笑い)
この阿闍世王は、利口な子供にうまく育っていくものだから、父親は非常に喜んだ。喜んでいるうちに、頻婆
沙羅王は、釈尊について仏道修行を一生懸命やるようになった。ところが息子は、釈尊の大敵となった提婆達多
という、実に釈尊を憎んで、そして自分がさも仏になるようなつもりをして、釈尊を殺してやろうとつけめぐら
していたものの弟子になってしまった。そしておとうさんが、釈尊に五百両の車でもって供養すると、自分は提
婆に千両の車で供養した。そして提婆達多と腹を合わせて、釈尊の弟子であるところの頻婆沙羅王を、このまま
にしておいてはいけないから、殺してしまえといって、とうとう土牢へ放り込んでしまった。そうすると奥方で
ある韋提希が、おとうさんを見舞いに行った。からだに蜂蜜をすっかり塗って、ついでにうどん粉を塗っていっ
て、すっかりなめさせる。そのため父の王は死なないのです。そこで死なないものですから、どうしたことかと
思って耆婆に聞きますと、これこれですから死なないのだということを聞いて、そこで阿闍世がおこって、おか
あさんも牢の中に入れてしまった。食糧たえて父が死ぬ時に、仏を念ずると、仏はこれに感応して法を説かれ、
無性法忍という悟りを得て、そして安らかに死んでいく。ここで阿闍世は性質が悪い人間で、とうとうおとうさ
んを殺して自分は国王になってしまった。
過去世の因縁というのは、仏法の上から論ずるのであって、子供としてはまことに悪い子で大悪人です。そこ
でおかあさんをもついでに殺してしまおうと思った。これは大臣に耆婆月光という偉い大臣がおりまして、そし
ていうのには、昔から父の王様を殺して国王になった人はあるけれども、母を殺して立ったというのは聞いたこ
とはないと、ひどく誡められるのでこわくなって許すのです。その許す途中で、韋提希は仏を念ずる、そうする
と、そこに目犍連が神通力をもって現われてきて仏の道を説いた。韋提希は真剣に仏に問うた、仏は立派な御身
分でありながら、あなたは提婆という非常に悪いいとこをもっている。私はこのような悪子をもっている。これ
はいかなる因縁によるものでしょうか。ところがその時、仏は返事をしないのです。この解答は、法華経で与え
ています。どういうわけかということは、法華経にこなければわからない。提婆達多は、どうしてあんなに意地
悪をしたかということもわからない。仏を殺そうとしたわけもわからない。これは、なぜ生命が三世にわたるか
ということがわかればわかるのです。
彼女がいうのには、親を殺したり、仏に敵対するような、濁った世界にはいたくないという時に、初めて仏が
いちじの善巧方便として、韋提希に西方浄土の観を授けた。これが念仏の三部経の一つとなったところの観経で
す。
提婆達多に、なぜ阿闍世なんかが、味方になって釈尊を殺そうとしたか、それにはわけがある。それは提婆は
昔、阿私仙人という仙人であった。法華経の法を全部修得した。そこに檀王という国王がいて、どうにかして自
分は法華経を修行したいと念じていた、その時に、阿私仙人が法華経を知っているということを聞いて、国王の
位を捨てて弟子となって、薪を拾ってきたり、クルミをとってきたり、水を汲んだり、からだをもんだり、一千
歳の間修行して法華経の教えをうける、それが釈尊となって生まれてきたのです。お師匠であるところの阿私仙
人が提婆達多となって生まれてきて、いっさいの悪人を集めて、釈尊の仏法にはかなわないという証拠を示して
死ぬ。すなわち昔の弟子を助けにくる。それも釈尊の味方になって助けるのでなく、敵になって反対して悪人を
全部自分の所に集めて、仏教にはかなわないということの証拠を示して死ぬ総大将になって助けている。だから
われわれの現世だけのことを考えれば、われわれはなんでもないことのように思いますが、あんな悪人に会った
のは、運の尽きだなどと思うことがありましょうけれども、これもみな三世にわたる生命の理法からきているの
です。この世で、あんまり人いじめなんかしないで死んだ方がよい。(笑い)
未生怨とか阿闍世などという名の子供が出てきたらしようがない。そういう阿闍世が父親を殺して、そうした五逆罪によって熱を出したというのが、ここのところです。
ところが父親を殺して自分が悔いた、その悔いがだんだんつのってくる。ついに熱を発し、その熱を発する子
がからだに瘡をつくり、その瘡が臭くてそばに行かれない。ところがおかあさんの韋提希が、父親まで殺した子
供であるけれども、母親というものは子供がかわいいものなのでしょう。いろいろの薬をもって飲ましたり、つ
けたりするけれども、なにしろ五逆罪、じつに悪い大悪を行なったところからきている病気なのですから治らな
いのです。薬をつければつけるほど、悪くなっていく。
この病気は、悪いことをしたという心の悔いから出ているのであって、地水火風といって、肉の状態、骨の状態、熱の状態あるいは空気の通いという肉体組織の上から起こるのではないのだから、もしこれを治せる薬がある
とすれば、そういう理由がないのです。絶対に衆生にして、この病いを治せる薬はないといっています。
その時に仏は月愛三昧に入る、月愛三味とは清涼という意味で、あらゆる人をば憎まずに愛するという、その
三昧に入りたもうて、その三昧より清涼なる光明を放って、王のからだを照らした。それで病いが直ちに治った、
ということが説いてあります。
平等大慧妙法蓮華経の第七に云く「此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり若し人病有らんに是の経を
聞くことを得ば病即ち消滅して不老不死ならん」云云
平等大慧とは、平等にして偏頗のない仏の智慧ということですが、この文は、法華経の中の第七の巻の薬王品
にある文です。それには、この法華経はあらゆる衆生の病いを治す良薬である。もし自分にいかなる心の病い、
肉体の病いなどあっても、この経を聞く、すなわち大御本尊様に信心をおこすならば、即時に病気が治る、また
永遠の生命もつかめるということがでています。
どうやって病気を治すかということを、このように経文で出してくる。月愛三昧で阿闍世のような悪人の病気
も治す。また法華経には、このようにかならず治るとあります。ましてや月愛三昧や法華経の文上よりも、法華
経の文底たるところの南無妙法蓮華経の力はすごいのです。南無妙法蓮華経の功徳に比べるならば、月愛三昧も
法華経も物の数ではないではありませんか。この南無妙法蓮華経を信ずれば、かならず治るという結論にいく途
中の文なのです。
已上上の諸文を引いて惟(ここ)に御病を勘(かんが)うるに六病を出でず其の中の五病は且(しば)らく之を置く第六の業病最も治し難し、将た又業病に軽き有り重き有りて多少定まらず就中・法華誹謗の業病最第一なり、神農・黄帝・華陀(かだ)・扁鵲(へんじゃく)も手を拱(こまね)き持水・流水・耆婆(ぎば)・維摩(ゆいま)も口を閉ず、但し釈尊一仏の妙経の良薬に限って之を治す、法華経に云く上の如し
今まで説いた諸文によって、あなたの病気を考えてみますと、止観に説いている六病の中に当然含まれます。
ですから、今六つの病気の起こるべき理由の中で、五病はしばらくおくが、業病すなわち法華経誹謗や五逆罪や、
一闡提等の謗法で起こるところの業病というものは、最も治し難いものです。一口に業病といいましても、いろ
いろ重いものもあれば軽いものもある。いろいろあるから決まりきってはいないのであるが、法華経(御本尊)を
誹謗して起こるところの病気は、最もひどい業病です。これによって起こる病気は、実に恐ろしいものなのです。
御文にあげられている医者の方々は、全部すばらしい名医として知られている方々です。そういう方々でも、
どうしようもないという病気なのです。いかようにも治しようがない。ところがこの業病も、法華経によって治
るというのです。
大涅槃経に法華経を指して云く「若し是の正法を毀謗するも能く自ら改悔し還りて正法に帰すること有れば
乃至此の正法を除いて更に救護すること無し是の故に正法に還帰すべし」云云
大涅槃経にも、法華経をさして、この正しい法を誹謗して業病の因をつくるようなことがあっても、もしその
時にみずからその罪を悔い改めて、正しい仏法に帰依して一生懸命に信心をするならば、その業病は治る。しか
しこの正法を除いては、その業病を治せるものはないのだから、真剣に信心しなければならぬと説いています。
荊谿大師の云く「大経に自ら法華を指して極と為す」云云、又云く「人の地に倒れて還って地に従りて起つ
が如し故に正の謗を以て邪の堕を接す」云云
妙楽大師は「大涅槃経に自ら法華経を指して、最極の教えだとしている」と説いています。
また、妙楽の書いた文句記第九には「たとえば人が大地にバタッと倒れても、立ち上がる時にはかならず、そ
の地に手をついて立ち上がるように、法華経を誹謗して地獄におちた者は、かならず法華経によって助からなけ
れば、それ以外に助かりようがない。もしその他の邪見で地獄におちていても、法華経とのかかわりあいがあれ
ば、それもいっしょに救われるということがいわれている。
世親菩薩は本(もと)小乗の論師なり五竺の大乗を止めんが為に五百部の小乗論を造る後に無著菩薩に値い奉りて
忽(たちまち)に邪見を翻(ひるが)えし一時此の罪を滅せんが為に著(ちゃく)に向って舌を切らんと欲す、著止(とど)めて云く汝其の舌を以て大乗を讃歎せよと、親忽に五百部の大乗論を造って小乗を破失す、又一の願を制立せり我一生の間小乗を舌の上に置かじと、然して後罪滅して弥勒の天に生ず
世親菩薩といいますと、この方はもと小乗教の人であって、五百部の小乗の論を作った。そこで兄の無著菩薩
に会って、いろいろ議論したところが、世親は小乗は間違いで、大乗こそ本当の仏教であることがわかった。そ
こで無著菩薩に向かって「小乗教という間違った教えを、私のこの舌で説いたのだから、この舌を断ち切って死
にましょう」と、そういったのです。
そこで今度は無著菩薩がいうのには「おまえはその舌で小乗教をほめ、そして弘めたのだ。だから今度はその
舌で大乗教を讃歎し弘めなさい」と。そこで世親菩薩は大乗論を説いて、小乗を破折し、大いに大乗教の普及に
努めたというのです。
さらに一願を立てて世親菩薩は誓った。「今後自分は一生涯の間、小乗教を説かない」と。こう決心して、大乗
教を唱えたものですから、この罪が消えて弥勒のいる兜率の天に生まれたとあります。
大聖人も、御書の中に、南無阿弥陀仏の言葉がほとんどでてない。たしかに、大聖人は一生涯、阿弥陀仏とい
うことをいわぬという御決意があられたように拝せられます。これはやはり信仰する者の決意です。われわれも、
なにかあるときに南無阿弥陀仏といわなければならぬことがあると、困ります。私もいわないつもりですが、い
わないと意味が通じない時があるから「何枚だ、何枚だ」と、紙の勘定でいこうと思っている。(笑い)
馬鳴菩薩は東印度の人、付法蔵の第十三に列(つなら)れり本(もと)外道の長たりし時勒(ろく)比丘と内外の邪正を論ずるに其の心言下(げんか)に解けて重科を遮せんが為に自ら頭を刎ねんと擬す所謂(いわく)我・我に敵して堕獄せしむ、勒比丘・諌め止めて云く汝頭を切ること勿れ其の頭と口とを以て大乗を讃歎せよと、鳴(みょう)急に起信論(きしんろん)を造って外小を破失せり月氏の大乗の初なり
東インドで弘法した釈尊の仏法は、整然と何代も伝わってくるように、きちんと付法蔵経に予言されています。
馬鳴菩薩は、付法蔵経に予言されている第十三代目の人です。インドだけの予言です。まだバラモンの大将であ
った時に、お坊さんと議論して、バラモンは間違っているということがわかった。そして自分の首をはねようと
した。自分の首を斬って地獄におちて自分の罪を消そうとしたのです。
そこで勒比丘がいうには、おまえは首を斬る必要はない、その首と舌とをもって大乗を讃歎したらどうだとい
われ、そこで馬鳴は起信論を作って、初めてインドに大乗教を弘めたのです。