子供が後頭部に傷を受け脳をおかされた
【問】 生後一年と三か月の子供が後頭部に傷を受け、それがだんだん大きくなって、何か脳へ影響しているら
しく、ひじょうに知能が遅れ、からだもクニャクニャで、マヒしているのです。信心の力でなおるでしょうか。
主人は信心していません。
【答】 いまから四年くらい前に、大阪へ行きましたとき、その子は、頭はむしろ利口なくらいでしたが、から
だがぜんぜんきかないのです。その子が去年の秋、そうとうにじょうぶになったと、礼にこられましたが、あな
たの場合は、それをなおすにはたいへんです。
まず、ご主人も、いっしょに信心しなければなりません。夫婦で、真剣に信心をして、一年めなら一年めにき
てもらう以外にないです。ご主人が、御本尊を誹謗するようでは、おそらくは死にもしない、なおりもしないと
いう状態がつづくのではないでしょうか。夫婦そろって、一生懸命やりなさい。そうすれば、いつも言っている
とおり、原則どおりです。なおらなければ死にますし、死ななければなおります。どっちつかずの状態で、困ら
せることはありません。なおるか、死ぬかです。死んでもすぐ出てくる、じょうぶになって生まれてきます。
こういう話があるのです。私は、もう何べんもこの話をしたのですが、私が牢から帰ってきて、三世の生命と
いうことを言い出したのです。それまで学会では、三世の生命論を知らないから信用しないのです。いまの科学
の人たちは、また生まれてくるというと「そんなばかな話なんて、迷信だ」というのです。
ところが、本間という人の座談会へ行ったら七十いくつのおばあさんが、「先生、それはもっともだ」という
のです。私の方がおどろきました。だれに話しても、反対ばかりされている、それに賛成者が出た、しかも無学
文盲のおばあさんです。そこで、私の方から質問したのです。「いったい、あなたは、なんで、それがわかって
いるのですか」と、そうしたら、じつはうちの村に、長太郎というばかがいた。そのばかが死んだときに、だれ
がいたずらしたものか、手のひらに、南無妙法蓮華経と書いたというのです。そしたら隣村の村長さんの家に、
その子供が生まれたというのです。手にきちんと南無妙法蓮華経と書いてあるというのです。それでひじょうに
利口な子で、今度はばかではないのです。そして、たいへん、じょうぶだったのです。それで、みな「あれが長
太郎の生まれ変わりだ」というものですから、村中知らないものはないという。「私は、その人を見ているから、
先生のいうことを信用する」というのです。
だから、たまにそういうことに出くわしたから、わかったのでしょうが、法華経の哲理からいきますれば、法
華経に縁を結んで、この世でなおらない状態の人がいるでしょう。生きていても、どうにもならない人がいるで
しょう。そういう場合には、一応、大宇宙の生命にもどるのです。この法華経の結縁によって、きれいに罪が洗
われて、りっぱなからだと、すがすがしい心で生まれてくるのです。
ところが、早く死ねばいいと御本尊に願っていると、いつまでも死なないのです。それは不思議なのです。
「どうしてもなおしてやりたい」という一念で御本尊にすがれば、裏と表とどちらが出るかは知りませんが、そ
れは、きちんとあらわれます。それは御法の力なのです。だから、親は夫婦そろって、かならず、一生懸命にな
おそうという心で信心しなくてはなりません。八卦ではないのですから、子供をおぶってきて、「この子はなお
りますか」ときかれても、返事するわけにはいきません。仏法哲理に照らしてみる以外に方法はないのだから、
父親がガタガタいっているようではなおせるものかと、私は思います。