日本の神道

 

【問】伊勢の皇大神宮、伊勢の天照大神宮などという神様の問題についてお伺いしたいのですが。

 

【答】 日本の神道ですが、もともとは神道ということばもなかったのです。神社というのはただお墓のような

ものなのです。先祖をまつりまして、その先祖を崇拝して、ただ尊敬してしまっているというのが、むかしの日

本の神様にたいする考え方なのです。ところが、徳川幕府の中期に中国語に訳されたバイブルが日本にはいって

きました。そこで、あのバイブルの神教の考え方、あの考え方が日本の神道にはいってきた。こういうりっぱな

ものがあるならば、われわれもそれになぞらえて作らなければなりませんといって、作ったのが神道の教義なの

です。いまの神道なのです。要するに、キリスト教の流れのようなものです。

 

 ところで神様というものは、一つは仏教上の神、一つはキリスト教の神、一つは日本の神様になるわけです。

日本の神様は氏神が中心です。氏神の大もと締めが天照大神、皇大神宮です。氏神を祭ったのは、氏子です。た

とえば、私がある村を作ったとします。そして死んだとする、その村の人たちは皆私の子孫ということになるの

です。村中の人からみれば、私が村を守ることになります。そこで村の人たちが私を氏神として祭るということ

になるのが本体なのです。それで日本の国家を守るという大もと締めが皇大神宮になっています。ところがいま

は、イナリを祭ったり、なんとか地蔵さんとか、わけのわからないものを祭っています。そうなってしまうと、

神様だか仏様だか、見当がつかないでしょう。そういうものを祭っているところまで、神社と称するようになっ

てしまったのです。

 

 さて、この日本の先祖を代表したものが天照大神なのです。ですから、われわれが、天照大神に頼みたてまつ

る以上に、天照大神もわれわれを守らなければならないと思うのです。ところで、天照大神のみことのりは、た

った一つです。「いまみず穂の国は我が子孫の君たるべき国なり、汝皇孫行きて治めよ皇祖の栄えまさんこと天

壌と共に極りなかるべし」この内容というものは、たった一言国を守りますよといっているのです。だからわれ

われとしては、尊敬して行かねばならんと私は信じます。日蓮大聖人様もそうおっしゃっておられます。この日

本の神々は、題目の声を聞いて法味を受け、威光を増すことになっているのです。

 ところが日蓮大聖人様、御出現あそばして七百年、その七百年のあいだ天照大神に法味を差し上げていない。

氏神にも、法味を差し上げていない。そこで日蓮大聖人様のおことばによりますと、神天上説と申しまして、日

本の善神は日本には住んでいないのです。そこで、天照大神の社にも氏神の社にも、皆、悪鬼邪神が住んでいる

ということになっています。だから、ろくなことがないのです。先ほど申しましたが、「皇祖の栄えまさんこと」

というのは天皇陛下の住みたもうことでしょう、ところが、「栄えまさんこと天壌と共に極りなかるべし」とい

う、たった一つの約束が果たされないではありませんか。マッカーサーに取られてしまったり、いま、天皇陛下

とソビエト人と、どちらが力になるのだかわからないでしょう。日本の国民は天皇陛下をだいたい忘れたみたい

です。そういうかわいそうな天皇陛下にしてしまったというのは、天照大神に守護の力のないせいかもしれませ

ん。こういうと、天照大神の悪口をいっているようですけれども今度の戦争中には、ほんとうの天照大神は、日

本の国にはいなかった。天上に行ってしまったのです。だから、しかたがありません。そこで早く広宣流布して、

天照大神にお帰りになっていただいた方が、日本の国は幸福だと思います。そうしたら景気よくお祭りをやりた

いと、私は思うものでございます。