死んだ人が迎えに来たという
【問】私の折伏した人が、このたびなくなりました。そこの家は、五年間のうちに四つも葬式をだしておりま
す。最初祖父がなくなり、次に孫、そして、その孫がケガをして死ぬ前に、「おじいさんの所へ行く」といっ
ていたそうです。次に祖母がなくなり、この時に孫の声がして、「おばあちゃん迎えに行くよ」と聞こえたそ
うです。次に娘さんが喀血してなくなった。このことが、いま、私の村で評判になっています。仏法的に死ん
だ人が、迎えにきて死ぬものか、どうなのでしょうか。
【答】そういうことは、ありうるのです。なぜこういうことがいえるかといいますと、この大宇宙というもの
は、十界の生命なのです。地獄もあり、餓鬼もあり、畜生もあり、仏界もあります。ところが、この大宇宙に、
その十界がありながら、なにもじゃまにならない。たとえていえば、いつもいうことですが、ここにドイツのこ
とばもあるのです。また、アメリカのことばもあります。ラジオ東京もあります。NHKもあります。だが決し
てじゃまになってはいません。私の話のじゃまになっていません。ところが、ここに機械をすえつけたら、じゃ
まどころか、うるさくて話などしていられません。しかし、ここでラジオ東京の波長と合わせれば、ラジオ東京
が出ます。決してドイツのことばは出ません。
同じように、大宇宙の中へ、われわれの生命はとけこむのです。そして、おのおのは地獄なり、餓鬼なり、あ
るいは畜生なり、それぞれの生命の性格の中へとけこむ「我」というものが存在します。それは霊魂ではないの
です。また、死霊などというものでもない。「我」なのです。この苦しみがもつ生命の波長というものが、生き
ているものも、十界の生命をもっていますから同じその波長をうける時に、そういうことばで聞こえたように思
え、もしこれを精神学者にいわせれば「幻覚」というのです。
また、本人にはそういうふうに見えたり、感じたりする夢のようなものなのです。それは死後の生命の波長の
影響なのです。これを生きているものが強くて、こちらから題目の波長を送れば向こうが浮かぶのです。そうで
しょう。同じ波長は通ずるのですから、こちらの生命力で、仏界の生命力の題目の波長を向こうへ送ってやれば
勝てるのです。逆に、こちらが弱いから、向こうの生命の波長をうけて、ちょうどラジオの機械みたいになって
しまいます。そして、その音を自分だけが聞くのです。自分だけは見えるのです。そういうことは、仏法上、説
明はできます。だが、こちらの生命力がほんとうに強ければ、そんなことは、ありません。絶対うけません。逆
に向こうを救ってやれます。それが仏法の哲理です。ありうるということです。それはこちらが弱いからです。
こちらがほんとうに強い信心になれば、そんなものはうけません。絶対うけません。反対に向こうへ波長をおく
ってやって、向こうを救ってやっていくのです。ですから、死んだ妻、死んだ先祖、これをいままでも、死霊だ
などとだまされていたわけです。そのようなごまかしに、ひっかかってはいけません。そんなことをいったら、
死霊ばかりいて、身動きがつかなくなります。