唱題中の邪念について

 

【問】唱題中いろいろと邪念が出て困るのですが。

 

【答】 真剣に信心していれば、しだいに御本尊だけのことを考えるようになります。「おどる宗教」で説く無

我の境涯などというのは、あるはずがありません。自分を忘れたら気違いであります。無常、無我、空、は小乗

教の教えであります。宗教は現実生活の上の利益をめざしたものです。御本尊は主師親の三徳を具備しているが

ゆえに、真剣に念ずる心(念力)があれば種々の生活の悩みが解決されるのです。観念文の観念とは心に念ずる

ことで、それがきちんと御本尊に映ります。先ほどの質問にあったアル中の夫を総本山に、無理してよこした妻

は、自分でくるべきです。なぜなら悩むのは妻の方だからであります。いろいろの妄想が浮かぶのは、人間とし

てあたりまえで、私も唱題中に妻子のことを思うことがあります。信仰が強くなれば御本尊のことのみしか考え

なくなります。これを法華三昧と称します。妻の愚痴もこの時は子守歌のように聞かれるのです。