弘安二年十月十二日の大御本尊
【問】弘安二年の十月十二日の御本尊様について教えて下さい。
【答】弘安二年の御本尊は、本門戒壇の大御本尊と申し上げ、日蓮大聖人が出世の御本懐として、弘安二年十
月十二日に御図顕になられたのであります。聖人御難事(御書全集一一八九ぺージ)に、建長五年より、余は二十
七年にして出世の本懐を遂げたとおおせあそばされています。
日寛上人は、大御本尊様について「なかんづく弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊は、究竟中の究竟、
本懐中の本懐なり、すなわちこれ三大秘法随一なり、いわんや一閻浮提(世界)総体の大御本尊なるがゆえな
り」といわれています。
さらに、日寛上人は大御本尊の功徳について、「これすなわち諸仏諸経の能生の根源にして、諸仏諸経の帰趣
するところなり、故に十方三世の恒沙の諸仏の功徳、十方三世の微塵の経々の功徳、皆咸く此の文底下種の本尊
に帰せざるなし、誓えば百千枝葉同じく一根に趣くが如し、故に此の本尊の功徳は無量無辺にして、広大深遠の
妙用有り、故に暫くも此の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅
せざるなく、福として来らざるなく、理として顕われざるなきなり、妙楽のいわゆる正境に縁すれば功徳多しは
是なり」とおおせであります。
このようにすばらしい大御本尊が、七百年の昔から日本に厳存し、今日では奉安殿に御安置されているのです。
これに対しては、なにものも絶対疑っては相なりません。いま、安永弁哲が、偽作論の中で、第九代の日有上
人様が板曼茶羅を偽作したといっている。これが、他宗の間違った議論なのです。これに皆迷う。総本山で、明
らかにすればいいのに秘密主義なのです。それは「時を待つベきのみ」というご命令をそのままうけていらっし
ゃるから、正直なのです。総本山ぐらい正直なところはないのです。
日有上人が御本尊を偽作したというのは、身延の連中のいうことなのですが、そういわれると、そういうこと
もあるかなと、思うものもあるでしょう。私は総本山へきて、日有上人の御本尊を拝したことがあります。これ
は現在でも御宝蔵にきちんとしまってあるのです。身延派はこの御本尊様と間違えているのです。またおかしい
のは紫宸殿御本尊様のことをいっているのでもない、これは年号が違うのです。またどの御本尊様ともいえない。
まったくのうそです。弘安二年の御本尊様は、弘安二年の御本尊様です。これは拝んでみれば功徳があるのでわ
かるではないですか。あの御本尊様を他の人が作れますか。私がラジオやテレビを作るようなもので、いくらや
っても映らないようなものです。洗濯機にしても私が作ったのでは動かないのです。そのようなものです。大御
本尊様を拝んでいれば、そんなことはわかるではないですか。弘安二年の御本尊様は、日有上人が作ったのでは
ありません。日有上人のは別にあるのです。