人間革命
(一)
地方裁判所へ通わぬ日が長く続いて十一月が訪れた、巌さんの三畳間生活も規則正しく続いて今では板につい
た感があった。一万遍の題目を唱える間もまた思索の時間も絶えず彼を悩ましているものは、法華経の真理は何
物ぞやということであった。これを解続すべき手掛りの書物とてはない、小林一郎先生の法華経講義を読んでみ
ても、なんとなくふにおちない個所が多い。彼は悩みに悩み続けていた。法華経に関する種々の書物を拘置所常
置の図書館から借り出して読んでみても心に掛かった〃もや〃はどうしても吹き払えない、床の中へ入って眠れ
ないまま考えれば考えるほど目がさえる、こんな晩が幾十夜もあったことか。
例を言うならば序品第一の王舎城耆闍崛山(ぎしゃくせん)中に大比丘衆万二千が集まった、また学無学が二
千人摩訶波闍波提比丘尼の眷属六千人、菩薩摩訶薩八万人が集り、また釈提桓因の眷属二万人、天子の類い一万
人、大自在天子の眷属一万二千人、その他数万の大衆が集まっているがこれはどんなことを意味したものだろう
か、こんなたくさんの人数が集まってどうして釈迦が説法できたものだろうか、千人でも山の中に集めて説法す
ると言ったら大変なことである。それではこれは嘘だと断じてしまうのか、大聖人の御書の中に法華経の文字六
万九千三百八十四文字これ悉く仏なりと、そうすると、大聖人様はこのことを深く読み切り遊ばされているに違
いない、これはどんなことを大聖人様がお知り遊ばしたのだろうか、末法の仏様がうそをおっしゃるわけがない。
あの時は部屋を歩きながら、こうつぶやいたものである。
『仏様のおわかりになったことをわかろうとすることがまちがっているんだ。わかりっこなしとあきらめてしま
おうか』
またある時は、
『ああわかりたい、法華経の真理を知りたいものだ』
こう言って頭をぶったことが幾度か。
また朝の勤行は日の出へ向かって小さな窓からさしこむ朝日を受けて声高らかに唱題しながら心の中にあれこ
れと思いを浮べたものであった。
観世音菩薩普門品二十五に書かれている観世音菩薩のあの大功徳本当に観世音菩薩にあの功徳ありとせば御本
尊との関係はどうなるのか。これについては大聖人の仰せに観世音菩薩の功徳は自我偈の残滓であると、そうす
れば寿量品の御利益の広大は思い知られるがそれはどんなものだろうか。こんなふうにあれやこれやと彼の心に
悩みの数々が雲の如く去来した。
天台の文句を読みたいものだ、玄義を手に入れたいものだ、大聖人様の御義口伝を熟読したいものである。こ
の思いから幾度となく会社の方へも手紙を出したが梨のつぶてである。戦争が苛烈で手に入らない上に古本の中
には書き入れをしたものがあり、それはいっさい差入れを許されない。文句、玄義、御義口伝には新本がないの
でそれで入らないのかなと心に思ってなぐさめてはみたものの、法華経の真理に対する愛着は日に日につのる一
方であった。
深山に入って道に迷ったものの不安といらだたしさを考えたら、彼の日常は殆んどこれに似たものであったろ
う。
(二)
十一月の中頃、朝の太陽の光りが三尺ほどの窓へ差し込んでいた。朝の行事を終わった巌さんは、清々しい気
持ちで太陽に向かって、心に大石寺の御本尊を念じながらお題目を唱えていた。百八十万遍台の題目である。こ
の春三月頃から、題目の数を数え出したのであった。数のふえることは楽しみなものであった。この日、彼は題
目の数が進むにつれて心はしんしんと落着いてきて、なんとも言えぬ楽しさが湧き出てきた。
春の野原をそよ風が吹くような気持ちは何ともいいようのない平和なものであった。
夢でもないうつつでもない、数限りない大衆とともに虚空にあるものでもなく、地にあるものでもなく、皆と
ともに御本尊に向かって合掌しているのではないか、これが数秒であったか数分であったか、彼はその時間を知
るよしもない。ただ従地涌出品の経文通りの世界にいるということを意識しているにすぎない。その経文は、
是の諸の菩薩、釈迦牟尼仏の所説の音声を聞いて下より発来せり。一一の菩薩皆是れ大衆唱導の首なり、各六
万恒河沙等の眷属を将いたり。況んや五万・三万・二万・一万・恒河沙等の眷属を将いたるものをや。況んや
復乃至一恒河沙。半恒河沙四分の一、乃至千万億那由佗分の一なるや。況んや復千万億那由佗の眷属なるをや。
況んや復億万の眷属なるをや。況んや復千万・百万・乃至一万なるをや。況んや復一千・一百・乃至一十なる
をや。況んや復五・四・三・二・一の弟子を将いたる者をや。況んや復単己にして遠離の行を楽へるをや。是
の如き等此無量無辺にして、算数・譬諭も知ること能わざる所なり。是の諸の菩薩地より出で己って、各虚
空の七宝塔の多宝如来釈迦牟尼仏の政に詣づ。到り己って二世尊に向いたてまつる。
巌さんは此の大衆の中の人なのである。永遠の昔に法華経の座に連らなったのであった。大聖人の三大秘法抄
に、
此の三大秘法は二千余年の当初地涌千界の上首として日蓮慥かに教主・大覚世尊より口決相承せしなり
此のことばが胸に彫りこまれたように浮き出してきた。これはうそではない。自分は今ここにいるんだと叫ぼ
うとしたとたん、彼は椅子の上に坐っていたのである。
つき出る涙をぬぐったのである。
朝日は清らかに輝いている。牢獄にある身として万一を思いはかり、彼は常に新しいハンカチをとり出して、
後から後からせき来る歓喜の涙は止めどもない、そのハンカチがびっしょりぬれるまで、彼は泣きつづけたの
であった。
彼はつつと立ち上がって声高らかに題目を唱え、ああ我は地涌の菩薩ぞ、大聖人の口決相承を受けられた場所
に、光栄にも立ちあったのであったぞ、その感激は実に深いものであった。彼は一時間の後、法華経を開いて従
地涌出品を読みなおした。また寿量品を読み属累品を読み気にかかっていた法華経の箇所をよみなおしたのであ
った。
不思議不思議。昨日迄あれほど難解であった法華経が手の玉を取るが如く、明瞭に読めるではないか。彼はた
だ感謝するばかりであった。そして遠い昔に教わった法華経を思い出したとしか思われない。よし自分の一生は
決まったぞ、この尊い法華経の流布を以って一生涯を終わるのだ、孔子は四十にしてまどわず、五十にして天命
を知るとか、彼はうんとうなって立ち上がった。そして部屋の中を行きつ戻りつつ、叫んだのであった。
『彼に遅るること五年にして惑わず、彼に先立つこと五年にして天命を知る』
時に彼の年は四十五才であった。
以上 戸田城聖先生の小説人間革命(妙悟空著) です。
次にあとがきが続きます。
文庫本の人間革命(池田大作先生が戸田城聖先生の人間革命を修正しています。文庫本で出てくるロシア人の捕虜の話とかは、ありません)
師弟ではなくご自分のため?に、平気で書き換えるんですね。創価学会は。
戸田城聖先生語録とあるが、戸田先生語る日蓮正宗(趣旨も)と書くべき所を創価学会と書き換えている。仏敵である。学会員を洗脳したいのか? 創価学会本部幹部か?
https://ameblo.jp/kingdog136/theme-10076647577.html