(五)
時代が混乱すれば人の心も混乱する。自分では真直な行き方だと思っていても、後から考えてみれば気狂沙汰
である。神道家はいきり立つ。仏教団体はあわてふためく。日蓮宗各派もこの騒ぎには巻き込まれずにはおられ
ない。笠公はぽつねんと軍人会館の小さな応接間に身延の槍谷を待っていた。彼が思うよう〃ここで本山を俺が
のっとってやるか。さもなければ槍谷がいうように清澄山の管長になるかしなければならん時だ。幸いにも妙光
寺から軍資金は出させたし、今すこし槍谷から出させさえすれば天理教の松本が出している新聞をさわぎ立たせ
て、あれから東京の大新聞の社会部へすこしばらまかせれば、思うつぼにはまる事に違いない。そうすれば俺も
六十幾つで花を咲かせるようなものかなあ"とウットリした時に、
『やあ、お待たせしました』
と槍谷が入って来た。見るからにせいかんな闘争人らしい。笠公はぴょっこりお辞儀をして
『突然御相談したい事がありましてね』
『妙光寺の騒ぎの方はおさまりましたかね。後任住職でもめてるそうじゃないかね』
『ずい分、お耳が早いんですね』
『君が妙光寺の住職になりたがって眉見を追い出そうとした事件は、耳新らしいんじゃないか。今度はそれが駄
目になったら鏑木君と妥協しようとして眉見をおし立てて、秋山住職と喧嘩させとるぐらいの事は誰だって知っ
ているよ』
『松本からあなた聞いたでしょう。あいつは仲々腕のある奴ですよ』
『そうだね。あれだけ日蓮正宗もたたかれれば、少しは合同論にかたむくだろう』
『いやそれで私の神本仏迹論は軍部でも支持している位、立派なものなんですがね。それを本山の堀井が一内務
部長のくせをして私と法論をしようとしているんですよ。あんな小僧には負けやせんが、やはり世論というもの
が大事だから新聞記者に少しばらまこうと思うんだが』
『皆までいいたもうな笠公君。いくらか出せってんだろう。すっぱりいこう五千円じゃどうだ』
笠公はにんまりとした。すかさず槍谷は
『相当信者の中にも強硬なのがいるそうじゃないか、どうだい、そこの五千円を使つて君の本山を訴える手はな
いか』
『松本が国神問題で本山の不敬を騒ぎ出しているので、あれはどうしても軍部につよく響いているんだ。本山の
昔からの慣習は不敬にわたる事が非常に多いからそれを付け加えて警視庁につき出してやろうかな』
『この前にあなたの講演を聞いて国神問題をあんなに上手にかたずけるとは思わなかったが、あの論法から日蓮
正宗の不敬事件は成り立つよ。一つやってみたまえ、本山がびっくりして合同論に傾くよ。その時は君を本山の
法王とするか、行政上、止むなくば一時清澄山にいてもらうかどっちかにするよ』
『僕には非常にたくさんの信者がいるから、神田のマルスの主人でも妙光寺の鏑木嘆平でも私がやると決めれば
応援するに決っている。一番やって見ましょう。五千円は大丈夫だろうね』
(六)
春の夕闇は人の心に何となく和やかさを与えるものだ。それなのにここ常泉寺の本堂は喧々轟々といきり立っ
ている。
『笠公の神本仏迹論はけしからん。今日堀江さんがびんとやってくれなければ虫が治まらん』
といきまいている老人もいる。
『一体御本山が身延と合併するなんてとんでもない事だ。そうならなければならんもんですかね』
憂わしげにポツンとつぶやいている婦人もいた。幹部席の方で心配そうに、総代らしい人々が寄り合ってひそ
ひそと話をしている。
『もう五時を過ぎているんだが、昼に来るといった笠公がどうして来ないんだろう』
今日は宗内の大問題となっている神本仏迹論について、堀江先生と対談して白黒をつける日である。牧田先生
も宗内の事件と見て心配そうに坐っておられた。
しかも単なる神本仏迹論という事ではなくて、笠公が本山に対しての攻撃やおどかしを封じ込まねばならぬ時
でもあった。心ある僧侶、心ある信者は人一倍の緊張を以って笠公の来るのを待っていた。
『どうして来ないんだろう。』
『笠公という人は偉い人かねえ。ずい分軍部に信用があるそうだね。水魚会でもずい分、幅がきくっていうじゃ
ないですか』
『身延の連中とも仲々よい交際をしているらしいという事だね』
『なかなか弁舌の立つ学者だそうじゃないですか』
『うん、比叡山で天台をずい分勉強したそうだからね』
『あんたはあの人の一念三千の説法を聞いた事がありますか、私は聞いたがなかなか立派なもんだ』
『だがね、笠公を箱根から東へよこすと必ず事件を起こすから関東へいれてはいけないという大先輩もおられた
そうですよ』
『なかなか信者の心をつかむのが上手だっていう評判ですね」
『神田のマルスも笠公の後援者じゃないですか』
『あの有名なマルスの主人か』
『どうして、どうして笠公の出している大日蓮の費用は、全部あの人が出しているという評判ですね』
『やあ、あれは大したもんですよ。あれで堀江さんを攻撃していましたよ。そして自分が一番偉そうに書いてあ
りましたよ』
こんな会話が交されている内に、時間はだんだんたって六時になった。その時電話のベルがリンリンと鳴った。
『関口さんですか、ハアハア』
『エエッ、警視庁へ訴えたんですって誰をですか、御本山を』
所化はあわてて幹部に報告した。幹部一同は驚いた。
堀江尊師は腕ぐみをして、それをもみながらつぶやいた。
『気狂いもこうなれば本物だ』
(七)
昭和十八年春五月ー社会はあらゆる方面において混乱を重ねていた。
太平洋戦争から起こった事ではあるが、日本人の全体が気狂いの様相を呈している。新聞では勝った勝ったの
報道がにぎわっていたが、後からふり返って見れば、陸海軍ともに衰微の兆をあらわして来ていたのだ。戦争と
いうものは負けいくさになればでたらめである。
当局の宗教合同政策に対して、時の猊下はこれに屈したならば、何のかんばせあってか霊鷲山会において大聖
人に御目通りせんやと強き決意の上に、内外の圧迫に対して強く立たれていたのである。孤中の堀江尊師もカサ
公を法門外に放逐すると共に、御自分から内務部長の位置を去ったのである。宗内の癌を切開すると共に自らも
身を浄うしたのであった。
五月の大石寺は実にのどかな風景である。七百年の夢をしずかに抱いている。富士の霊峰をわが住いとせられ
たのである。
牧田先生は先頭に立って、日本一の三門を静かに通りすぎられた。続いて巌さんが
『いつ来ても、いい所だなあ』
と後から続いてくる岩瀬社長をふり返った。
『先生でもこういう静かな風景がおわかりになるんですか』
『馬鹿をいえ。君のように無風流な人間とは違うよ。あの富士の心がわかるかい』
『山に心があるなんて恐れ入ったもんだ』
『岩瀬、おまえなんかは風流の事なんかいうがらでないぞ。金をかんじょうしていればいいんさ。風流の事はこ
の西川でなくちゃね』と大きなどら声で抗議がでた。とたんにアハハハという大笑の声が起こった。それは西川
の親友である藤沢さんである。
西川、おまえ風流っていうのは雨のふる日におれに傘をささして野天糞をたれた、あれかい』
『西川の野天糞とは何の事かね』
本馬はからかい出した。藤沢さんはニタニタ笑いながら、
『こ奴がね、俺の家へ遊びに来たんだよ。帰る時に駅まで傘をさして送っていってやったんだ。その途中、うん
こしたいと言い出してねえ、しようがないから途中の草むらでさしたんだが、雨が降るんで仕方なく俺が傘をさ
しかけてやったんだ。所がこ奴め、気の毒ともいわないで『おい風流っていうのはこれをいうんだぜ』っていい
やがった。だから西川の風流なんてのは野天糞以外にはないんだよ』
一同は声を出して笑い出した。
牧田先生は黙々と先頭でお笑いにもならない。このたび御山から至急の出頭の御命令が出た……幹部を帯同の
上、登山するようにと……
そこで牧田先生は巌さん始め五人の幹部を帯同して御本山に登ったのである。緊迫した時の情勢に牧田先生は
緊張した面もちであった。