(三)
圭子さんが帰ると、行き違いに銀行のお使いから雪子さんが帰って来た。
『先生』巌さんは会社の社長としているけれども、私塾の経営をしていた関係から誰も社長とも専務さんとも呼
ばなかったのである。
『雪子さん。御苦労さんでした。支配人もあなたには感謝している。こう経済戦で負け戦になって来ては、どこ
で立ち直れるかもわからないし、いつお礼の出来ることやら』
『私はそんなことは少しも考えてはおりません。明日飛行機で牧田先生の所へ応援にお出がけの前に、お話しす
るのは申し訳ないと思いますけれど、一身上の問題で、是非今日お話し申し上げたいことがあるのですが、申し
上げてよろしゅうございましょうか』
あまりに真面目に、眼に涙まで含んでいる雪子さんの様子に、巌さんはびっくりした。
『ききますとも、アメリカへ行って来いということでも何でも聞きますとも』
いつものひょうきんな態度を雪子さんは、
『真面目に聞いて頂きたいのです。実は御承知の通り、私は本家の後継ぎになっているのですが、本家の叔母の
承諾を得て東京へ出て来たものの、叔母から去年以来帰れ帰れとやかましかったのです。夫になる人も決ってい
るので、帰ればすぐ結婚することになるのですが』
と言った時に雪子さんの声は泣き声に変わった。巌さんは黙然として唇をかみしめるだけであった。
『私は帰りません。私は帰りませんとどんなに頑張ったことでしょうか』
雪子さんの声はすすり泣きに変わって行った。巌さんは鉄砲弾を自分の胸に打ち込まれたような気持ちになっ
た。そして自分は確かにこの人を恋していたということがはっきり意識されて以来、可愛い部下として、愛しい
教え子として友達のように、妹のように取り扱っていたこの人に、いうことの出来ない根強い恋をしていること
を強く意識した。経済戦の負け戦の中に、愛しき人を失う胸の辛さは、嶺の中で風雨に打たれるにも似て、巌さ
んは自分を愛しくさえ思った。そして太い太い溜息をついた。言うべき言葉がなかった。雪子さんはすすり泣き
の中からしぼるような声で、
『帰る事にきまったの。帰る事に決められたの。一家中総がかりで。一生お傍でお手助けしたいと思った私のた
った一つの願いも破れて、昨晩から屍(しかばね)のような私になうてしまったの』
黙然と二人の間には言葉がなかった。
『どうしようもないことだ。今迄働いて頂いたことは一生忘れますまい』
沈痛は巌さんの声がもれた。負け戦に次ぐ負け戦ともいうべきか。その時雪子さんは始めて巌さんにすがりつ
いた。
『それが出来ることでしょうか。出来ねばこそあなたも泣くのでしょう。ああ遅かった。自分の心もはっきりし
たし、あなたの心もはっきりしたのに、少し遅すぎたのね』
返事もなく膝にもたれてすすり泣く雪子さんの肩を優しくなでながら、
『運命に素直であると共に、運命と戦う者が、人としてもっとも強い生活だ。戦いましょう。あなたも戦いなさ
い。別れていても一生あなたを忘れない』
雪子さんの鳴咽の声は益々高かった。しばらく巌さんは、
『明日、飛行場へ送って来て下さるでしょう』
むなしく雪子さんの頸筋を眺めて、巌さんは淋しそうであった。
(四)
六人乗りのすこぶるまずい飛行機ではあったが汽車よりは速く、その日発って札幌の時計台の牧田先生の夜の
講演会には、充分間にあって巌さんは札幌についた。猪苗代湖の風景も、エゾ富士の姿も、心打つ程美しいもの
ではあったが、雪子さんの胸打つ泣き声が心に残って、その苦しさの何割かは残っていた。
しかし、牧田先生と旅館で講演の打ち合わせをしかけた時の巌さんは何もかも忘れた学会の闘将であった。寺
西さんから種々の報告を聞いて、札幌の闘争は負け戦だとつくづく感じた。
札幌師範の大先輩であり、寺西君がついてるからという安心感を巌さんの弟が、札幌師範の後輩として札幌に
いるため、それに講演会を依頼してあったので、大成功とまでは行かなくても、相当の戦果は納めるであろうと
思っていったのに、無神論者の弟、牧田先生に反旗を翻していたのが大きな原因ともなり、何も彼も失敗に終
わっている。どうして今少し人数を先生につけて寄こさなかったのかと悔やまれたけれど、今はもう後の祭りであ
る。一切は巌さんの手落ちと巌さんはホゾを噛んだ。
これも自分の経済戦の負け戦から来ている事と目頭を熱くした。
午後六時から始まるというのに、時計台の広い講堂には七時になってまだ二十人足らずであった。先ず寺西さ
んが価値論を論じ、巌さんは宗教の必要論を論じた。牧田先生が、生活と宗教の問題を講演している間に、寺西
君と巌さんは薄暗い電灯の下の控室に坐っていた。
『巌先生、失敗でしたね』
寺西君の顔を射るように見つめた巌さんは、
『寺西君、君に僕の心の中を打ち明けて置きたい。僕は非常に生意気だと思っていた。それが憎しみに変わって
いることに気がついた。君がどう思おうと僕には関係のない事だが、僕自身が君を憎んでいることが、僕自身に
とって非常に嫌いなことなのだ。それは僕を卑屈にし、僕をいやしくし僕が君と対等になっていることだ。この
ことを人まぜせずに一度話したいと思っていたが、僕が非常にいそがしいのでつい遅れてしまった。今日限り、
いや僕自身はとうの前からだが、決して君を憎まんからそれだけはサラリとしていてくれ給え。誰が何といおう
とも僕が君を憎んでいる筈とは決して思ってくれるな。君を一時たりとも憎んだことは、男らしくはっきり詫び
よう。堪忍してくれ給え』
あまり単刀直入なので寺西さんは狼狽したようであったが。
『決して私は先生には反抗致しません、そんなことはちっとも考えていませんでした。気にかけんで下さい。ど
うか今以上に御指導を宜しくお願い致します』
とへつらうようにペコンとお辞儀をした。巌さんは手を振って、
『君が解ってくれれば結構結構』
と言って二人はそれから雑談に入った。
翌一日牧田先生にお手伝いした巌さんは、三日目にはまた飛行機で帰った。
牧田先生は札幌の失敗にこりることもなく、遠く釧路まで遠征せられて、帰られたのは、それから一週間後で
あった。
牧田先生が帰られてまもなく学会に妙な評判が立った。巌さんが寺西さんに札幌で手をついてあやまったとい
う評判であった。巌さんの一党はいきり立った。それを報告されるたびに、巌さんは苦笑して『ホホウ、それは
面白い』といったきりであった。