巌さん負け戦
(一)
牧田先生一行を上野の駅へ送った巌さんが、家路へついたのは夜の九・時少しすぎであった。疲れた体を電車に
ゆられながら牧田先生の事、寺西君等の事を考えていた。
寺西君の妙にからんだような、反抗的な態度を何となく憎らしいと思った時に、ハっと自分の胸をつくものが
あった。この巌は牧田先生に対しては、絶対に従順である。牧田門下で第一位の存在の親子であり、師弟である。
牧田先生との蘭係はこの巌以上のものはない筈だ、しかも理事長の職にあり、寺西君を牧田先生の後継者に育て
ようとする位置の者が、寺西君に感情的に引かれて、濃い薄いにかかわらず怨嫉を持つとは大変な誤りである。
自分が寺西君と同位置に落ちたということは牧田先生に対して相済まないし自分自身にも恥ずかしいことである。
寺西君はいかほど自分を憎み嫉もうとも、はっきりと今後は寺西君に対しても嫉みも憎みもない自分であるとい
うこと、しかる後、自分に怨嫉のない証拠が出た時に、彼の怨嫉をはっきり教えてやらねばならぬ、と思った時に巌さんの顔は晴れ晴れとした。
しかしその晴れ晴れとした顔も又沈痛な顔に変わって行った。自分の牧田先生にお供の出来ない境涯を悲しん
だのであった。何処へ先生が出掛けるにしても傍を離れることがなかったのが、この頃の事業の落ち目から、借
金に借金を重ねて行かなくてはならぬために、一日も会社を明けることの出来ない身となってしまった。巌さん
は出版の事業と、印刷の工場と私塾とを経営していたが、毎日の支払いは手形や小切手で支払うのであった。
資本主義の信用制度の機構というものは、銀行に十万円なら十万円の金を預けて置いてその十万円を土台にし
て小切手に五千円とか三千円とか、一万円とかを書き込んでその銀行で支払うようにするのが常道なのである。
また手形は三千円なり、五千円なりを記載して、何々銀行で支払うとか、何々銀行で六十日後なり三十日後な
りに支払うと約束しているもので、その支払う期日前にその金が充分手許に来ることが確かになってから支払う
べきが常道である。もっと手堅い人は、現実に銀行に十万円の金をちゃんと積んで置いて、十万円以下の手形を
書くのが正しいのである。
また小切手にも横線小切手と横線なしの小切手とがある。横線なしの小切手というのは普通の小切手であって、
これはその振出し銀行へ直接持って行って、銀行から本人がすぐ金に引き出して来れる小切手である。横線小切
手というのは、小切手の角に銀行渡りと書いて二本の棒にかこまれたのが押されている小切手である。この小切
手と、さきにいった手形とは、直接に銀行へ持って行っても金を貰うことが出来ないのである。この小切手およ
び手形は、一応どの銀行かなりへ振り込んで、交換所を通じて銀行同志の中で決裁して、しかる後にこの小切手
を預け入れた人の貯金帳に入るのである。
これは取引に間違いのないために出来たものであって、落したものを拾った人や、盗んだ人等がある場合はす
ぐわかる仕組みなのである。この小切手、手形を書いて銀行に金のなかった場合は、不渡り手形、不渡り小切手
といって全国の銀行に通知され、銀行取引は解除されて、信用が一時に落ちて事業が出来なくなる仕組みが今日
の信用制変である。
以上述べたことは経済上の正道である。これにもまた邪道というべき方法があるのであるが、巌さんは今その
邪道に落ち込んでいるのである。
(二)
手形は品物を買った時、二月後或いは三月後にその代金を銀行で支払う約束をするものである。小切手は銀行
に預けた金を当日支払いに当てる為に発行するもので、絶対に支払うべきが当然であって、その時に銀行に金が
なくて支払いが出来ない時には、不渡小切手、不渡手形といって交換所から全国の銀行に通知され、商人として
絶対に信用を失うものである。このように支払い手段としてあるべき手形小切手が、三十日なら三十日というよ
うな支払い日に当たって、今銀行に金はないが、午後三時以後に、横線小切手で払っておけば一日に銀行に入れ
て、翌日二日に自分の取引銀行に小切手がまわってくるから、その日銀行に現金をもっていけばよいというよう
な不健全な方法が小切手の邪道である。又二日に金の出来ない場合にその支払いが九千円だとすると、三日先の
小切手を書いて、利息五百円なら五百円差引いて九千五百円の現金を受け取って、それを銀行に入れて信用を落
さない方法もある。
ここ迄くればその商人の経済は行きづまりであって、邪道中の邪道になるのである。
手形は商品の反対給付として払うべきものであるのに、金を借りるために手形を振り出すことは、普通、商人
間の当然として為されている。これは交換手形といって手形取引の正しい方法ではない。例えば一万円の金を借
りるとして、それが六十日先払いの一万円の手形を振り出して、九千円の現金と取替える方法がある。こんな事
をすることは商人として経済の行きづまりになったことである。
巖さんは今、このような邪道的な手形小切手の振り出しが何千枚と出て、経済の行きづまりに立っているので
ある。彼は以前に振り出した手形小切手が毎日銀行へまわってくるので、銀行の規則として手形小切手の総合計
金を午後三時迄に届けなければ、不渡手形小切手を出す直前になっているのである。それで毎日午後の三時迄は
地獄のような思いをして、巌さんは金策に夢中になり焦燥の思いに駆られながら、どうしてこの経済の行きづま
りを打開しようかとの苦心は一方ならぬものがあった。二時、三時には油汗を流して電話をかけ、使いを出して
いる巌さんは可哀そうというより他の何ものでもなかった。
しかし三時を過ぎればほがらかな顔になり出して、裕々と散歩をしたり客に話をしたりする時は又別人のよう
な感があった。眼前に困っても前途に不安は持っていないようであった。支配人の山田も彼の度胸のよさにはホ
トホト感心していた。
雪子さんは女だけに非常な心配をし、よき相談相手にもなっている。今日交換が終わって(交換というのは銀
行にまわって来た手形小切手の総合計を銀行に届ける事である)朗らかな巌さんが事務所の椅子にどっかりと腰
かけて、うまそうに煙草をすっている時、松村の圭子さんが入って来た。巌さんは朗らかに迎えた。
『先生、何か職がないものでしょうか。しばらく休んでおりましたが、働きたいと思うものですから』
巌さんはその聡明そうな、しかもおとなしい圭子さんを好ましそうに見ながら、
『徳山さんからお便りがありましたか』
『そんな事はどうでもいいのです。只仕事を探して頂きたいのですが』
『よろしい、承知しました。家庭教師の口はいかがですか』と言った。